初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

なぜ世の中はスピード重視、できるだけ速い方がいい、と考えているのでしょうか?
例えば絵を描くのに時間がかかる人、速い人がいるとします。

時間がかかる人は、なにがまずいんでしょうか?

それが仕事だったら締め切りがあるから?

それなら、なぜ世の中は締め切りがいつも厳しいのか?

もっとゆっくり仕事をする世の中になってはなぜだめなのか?

大量にものが作られ、大量に捨てられ、そのループでいつも忙しいと人々が苦しんでいる。
物が多過ぎて断捨離ブームが起きている。
忙しすぎて、下請けのブラック企業はなくならない。
人はうつ病になり、過労死する。

「速ければ速い方がいい」、これは思い込みではないですか?

質問者からの補足コメント

  • 皆さん回答ありがとうございます。
    速さを重視するのは競争だからというご意見がありましたが、ビジネスにおける競争というのは、それが公正にサービスを向上させるから競争しているわけで、この世の基本原理がスピード競争であるわけではないんじゃないかと思います。

    もし競争に勝つには毎日大忙しで残業だらけにしないといけないなら、利益をあげている企業ほどブラックだということになりますが、実際には逆ではないでしょうか。

      補足日時:2017/04/03 20:51

A 回答 (13件中11~13件)

「なぜ世の中はスピード重視、できるだけ速い方がいい、と考えているのでしょうか?」



いや、それはそういう世界にいれば、そのようになるだけで
そのような世界を拒否する人もたくさんいます

スピードを重視する世界と時間とは無縁の世界にいる人もいるということで
すべての世界がダメとはいっていません

ただ、あなたがスピードを重視する社会に入られたら
その世界はあなたを拒否するでしょう

マラソンのような大会でスピードを競う競技を
反対しているようなものです

あなたが
世界はひとつしかないと思っていることが思い込みです
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ある 公務員と銀行の交流があり。


人材交換したらしいです。
銀行マンは バリバリ仕事をこなして 見るからに 浮いた存在。【まぁ お茶でも しようよ…との世界観】
公務員は税金で生活しているか訳で。
一般は 3人雇うより 1人で3人分働いてくれたら 基本給に歩合も付けて。
3人も雇う 必要もなくなり。
人件費が利益になる訳。
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たしかに全体的な速さがもっとゆっくりな方が最適という考えもあるかもしれません。



しかし、一方で全体の最適解と一人ひとりの最適解が
相いれない場合も多々あります。

簡単な例ですが、
人類全体の数はもっと少ない方が人類全体にとって有益だとわかっているとして、
「では私が死にましょう」というのが個々の人にとって最適解になるでしょうか?

これと同じように、
全体でゆっくりにした方がいいとわかっていても、
その人にとってはこのスピードでなければ
自分の生活が成り立たないという状況があるので
なかなか全体のスピードを変えるということは難しいのだと思います。
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