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ブルタバを作曲した時のスメタナの身体的な状況はどんなだったか分かる方お願いします!

A 回答 (3件)

たまたま、「ノリントン指揮/ロンドン·クラシカルプレイヤーズ EMI Classics」のCDを持っていたので、そこから引用すると、



“第2曲の「モルダウ」の総譜の終わりには、痛々しくも「まったく耳が、不自由になって」と付記されています。”

ライナーノーツには、第1曲の「ヴィシェフラト」の総譜にも、「耳の病を患いながら」や、初演の際にも「何も聴こえなかった」とあります。

プラハの国立図書館のサイトを調べれば、自筆譜か草稿が見られる場合もあるので、検索してみてはいかがでしょう?
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No.1です。



現在絶版のようですが、こんな本があるようです。興味があれば読んでみてはいかがでしょうか。(私は読んでいません)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%8 …
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「ヴルタヴァ」は、日本ではふつう「モルダウ」ですね。

連作交響詩「わが祖国」の第2曲。

「わが祖国」を書き始めたのは、晩年の1875年頃(スメタナ51歳ごろ)のようで、第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」と第2曲「ヴルタヴァ」は1875年中に作曲したようです。残りの4曲を含めて「わが祖国」全曲を完成したのは1882年(スメタナ58歳ごろ)のようです。

本人ではないので、健康状態や気分など知る由もありませんが、それ以前の1874年には完全に聴力を失っていますし、奥さんとは完全に破局状態だし、音楽に関しては批評家たちから酷評されていて、精神的にもかなり参っていたようです。

スメタナの伝記などがあるとよいのですが、マイナーな作曲家なので、あまりそういった文献もないようです。
下記のWikipediaが正確かどうかわかりませんが、参考になるのではないかと思います。
チェコ語が分かれば、チェコ語の文献ならいろいろあるのではないでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%89 …
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