晴耕雨読という箴言がありますが、その言葉の出典を
教えてください

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A 回答 (1件)

塩谷節山(えんやせつざん)という人の、


「晴耕雨読、優游(ゆうゆう)するに足る」 というのが出典のようです。
世俗を離れて悠々自適に心静かに生活する、ということで、理想の老後の生活をいうのだそうです。私は勤勉な生活態度の事をいうのかと思ってましたが。

昭文社の故事ことわざ辞典で調べてみました。
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Q淮南遺風の出典と意味をお教えください

淮南遺風の出典と意味をお教えください。

読みはイナンイフウでよろしいのでしょうか?
どのような意味があるのでしょうか?
中国古典からの言葉のようですが、出典もお教えいただけたら嬉しく思います。

Aベストアンサー

 
  淮南については、色々故事などが関係して複雑で、よく分かりませんので、自信なしにします。
 
  ただ、これは淮南(わいなん)と読みます。先の方の仰っておられるように、淮河(わいがわ)の南に位置する地域のようです。現在、淮南市という都市が、安徴省にありますが、この辺りを含む、かなり広大な地域が、淮南だったようです。
 
  日本の豆腐の起源は、淮南だという説があり、その真偽を確かめに日本から民間の調査団などが中国を訪れているようです。淮南は、前漢の淮南王劉安(前179~123)で有名で、『淮南子(えなんじ)』という、色々な話や思想の書かれた本の編集者は、この淮南王劉安で、先の豆腐の起源も、ここに書かれているのでしょうか。発明者は、淮南王劉安だとされています。
 
  淮南市は、南京の北の辺りにあり(南京は、揚子江沿い近くにあったはずです)、大体、中国では、少し南よりの中心部位だと思います。北京は北の端で、中原と呼んでいる場所も、揚子江流域を考えると、少し北によっています。しかし、中原の中国からすると、逆に、淮南地方が、南に当たるのだとも言えます。豆腐が淮南起源だとされているからでもありませんが、中原、北部中国とも、揚子江以南の南中国とも異なる風俗・風習の文化がこの地方にあったということではないでしょうか。
 
  (この地方は、江南地方という名であると、稲がそこから日本に伝来した場所とも知られ、何かと古代日本と縁のある地域です。江南文化として、揚子江流域の南で、中原とも少し違う、文化地帯であったので、「江南遺風」、江南の地域文化の名残ということで、「淮南遺風」ということばあるのかも知れません)。
 

 
  淮南については、色々故事などが関係して複雑で、よく分かりませんので、自信なしにします。
 
  ただ、これは淮南(わいなん)と読みます。先の方の仰っておられるように、淮河(わいがわ)の南に位置する地域のようです。現在、淮南市という都市が、安徴省にありますが、この辺りを含む、かなり広大な地域が、淮南だったようです。
 
  日本の豆腐の起源は、淮南だという説があり、その真偽を確かめに日本から民間の調査団などが中国を訪れているようです。淮南は、前漢の淮南王劉安(前17...続きを読む

Q「最悪の政治家は民と利益を争う」という言葉の出典を知りたいのですが。

以前,新聞の社説で中国の古典からの言葉として「最悪の政治家は民(民衆)と利益を争う」という言葉を目にしました。
出典を教えていただければ幸いです。お願いいたします。

Aベストアンサー

司馬遷の「史記列伝」のなかの「貨殖列伝」にあるようです。
「すぐれた政治家は(人民の生活の)ありかたのままにしておく。それに次ぐ人は人民に教えさとす。そのまた次は何とか調整していこうとする。いちばん劣った政治家が民と利益を争うものなのだ」(岩波文庫、小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳「史記列伝」(5)、151ページ)。

参考URL:http://www.gispri.or.jp/newsletter/1998/9804-1.html

Q「日月相推」…この意味と出典を教えて下さい。

何かの本を読んで気になっています。文中~…すべて「日月相推」だよ。…~とありました。
すべて歳月が解決する。と解釈していますが、いいのでしょうか?また、出典と意味を教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

以下サイトに載っていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/fujiprintmorichan/3288163.html

日と月とが互いに推(お)し合って、その明るさが交互に変わって生ずることで、
昼も夜も明るいこと。憂いや悩みも、時間が解決してくれることをたとえる言葉である。

漢文流には、「日月(じつげつ) 相(あ)い推(お)す」と読み下せようか。
出典は、『易経(えききょう)』の繋辞伝(けいじでん)。

とあるね。

Q「出物腫れ物所嫌わず」という言葉の出典元を教えてください。

「出物腫れ物所嫌わず」という言葉の出典元を教えてください。
どこかの雑誌記事に、禅の言葉だと書いてあったのですが、そうなんでしょうか?

Aベストアンサー

#1です。
#2さんご指摘の通り「ひらかな盛衰記」は元文4年(1739)4月11日竹本座初演とあるようです。
ただ、ここでの「出物腫物」は一個の熟語にして妊娠後期の状態そのものを指しています。
したがって「出物」単体でオナラを指し、それは「腫物」並みに自身では制御できないものなのだという意味での記録としては、ようやく「鹿子餅 屁」において残されていることになります。

ところで東福寺の東司は、室町前期に再建された日本に残る最古の便所として重文になっています。http://www.tofukuji.jp/index2.html
その使用にあたっては厳しい作法が行われていたようです。
http://sango-kc.blog.eonet.jp/eo/2007/03/post-c6ed.html

一方、京の手軽なタクシーやバスの観光に手ごろなこの寺の見学で、必ずガイドが頃合いを見計らって得意顔で謎かけするのがここの東司紹介で、ここでも「どないして使わはったんでしょうねぇ」と恍けながら日本では出物腫物ところ嫌わずという言葉があるとして、聞いた外人はなるほどそんな煩雑な手続きなど構っちゃいられない”Need knows no law.”とばかり変に感心しきりとのオチもあるとやいなや…。

とまれ、人間は等し並「臭皮袋(しゅうひたい)」とは然り乍ら、作麼生。
「秘すれば危うし」
http://www.genyusokyu.com/essay08/seiryu/1004.html
「「為他知而故犯」
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/b2c4c90ff7d190c7a7d929268fc6284b

#1です。
#2さんご指摘の通り「ひらかな盛衰記」は元文4年(1739)4月11日竹本座初演とあるようです。
ただ、ここでの「出物腫物」は一個の熟語にして妊娠後期の状態そのものを指しています。
したがって「出物」単体でオナラを指し、それは「腫物」並みに自身では制御できないものなのだという意味での記録としては、ようやく「鹿子餅 屁」において残されていることになります。

ところで東福寺の東司は、室町前期に再建された日本に残る最古の便所として重文になっています。http://www.tofukuji.jp/index2...続きを読む

Q次の漢文の出典と意味を教えて下さい

先日外出先で次の漢文が書かれた掛け軸を拝見しました。
蘭植中塗 必無經時之翠 
桂生幽壑 終抱彌年之丹

帰宅してから身近にあるもので調べて見ると、仏祖統紀というものの中に、この漢文が記載されているらしいことがわかりました。この漢詩の出典(どの様な方の言葉なのか)と意味を是非教えて頂き、勉強したいと思います。ごく最近まで教育、外国語のカテゴリーで同じ質問をさせていただいていました。今回こちらのカテゴリーに変えてもしご存じの方がいらっしゃればと思っています。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 自信がないまま、自分なりに調査・考察を進めていたのですが、No.1のmimireさんのお父様がおっしゃる解釈が自分のものとそれなりに一致しましたので、勇を得て現時点での一応のご報告を致したいと思います。

 まず「仏祖統紀」ですが、

http://www.tabiken.com/history/doc/P/P351R100.HTM

に(日本語で)詳しい解説があります。全54巻で、中国の宋代の僧・志磐の撰述。1269年完成。仏教の祖である釈迦牟尼仏より宋代に至る高僧の業績とその足跡を列記したもので、中国の正史の体裁に従い、紀伝体で書かれているそうです。和訳したものが『国訳一切経』に収録されているとのことですので、該当部分をご覧になったらと思います。図書館蔵書を検索してみましたが、田舎住まいの私の近辺の図書館では無理のようです。

 で、該当部分(外国語の方の質問〔923658〕に引用なさっている部分です。)の大意ですが、

 キン(竹冠に均)州の僧である惠洪【「あざな」は覺範】は、宰相であった張商英と節(度?)使であった郭天信(の事件)に連座して崖州(海南島)に流罪となった。靈源清禪師がそれを聞いて、嘆いて言うには、「蘭を中塗に植えると、必ず長年の間の緑色がない。桂(=肉桂や木犀などの仲間)の木は深い谷に生えて、ついには年を経て赤い花をつける。昔の人はこういった。『賢くて深く物事を察してながら、(自ら)死に近づく者は、人のことをあれこれ悪くいうの好む者である。』と。(確かに)覺範(=惠洪)にはそういうところがあった。」と。

というくらいだと思います(自信なし)。惠洪・張商英・郭天信は宋代の互いに親交のあった人物であることは間違いないようです。(中国語のサイトの記述を、分かるところだけ拾い読みしました。よければ、

http://ykyz.net/yuwen/Article_Show.asp?ArticleID=2034

などを参考にしてください。)

 mimireさんが、詩の「前半と後半はまったく逆の意味だそうです」とおっしゃるのは、蘭をいいかげんな植え方をすると、本来の緑色が発揮できないのに、桂は人知れず育ってその持ち前の美しい赤色を発揮するという点だと思います。私は、惠洪が僧でありながら政治にかかわって(仏教・禅を通しての親交でもあったと思いますが)流謫されたことを、蘭にたとえ、桂のたとえで、人知れず寺に籠もって修行を積めば立派な僧になれたのに、という嘆きを表したのではないかと思っています。

 詩の作者である靈源については、「宋代靈源惟清禪師」という記述のあるサイトがあり、

http://iriz.hanazono.ac.jp/data/zenseki_172.html

に記述がある霊源惟清(?-1117)のことかな、と思います。

 それから、「古人謂。聰明深察而近於死者。好議人者也。」の部分は『孔子家語』の巻第三「観周第十一」にある、礼を学びにきた孔子が帰る際に、老子がはなむけとして贈った言葉の一部に相当します。これは近辺の図書館の貧弱な蔵書で確認しました。

 自信がないまま、自分なりに調査・考察を進めていたのですが、No.1のmimireさんのお父様がおっしゃる解釈が自分のものとそれなりに一致しましたので、勇を得て現時点での一応のご報告を致したいと思います。

 まず「仏祖統紀」ですが、

http://www.tabiken.com/history/doc/P/P351R100.HTM

に(日本語で)詳しい解説があります。全54巻で、中国の宋代の僧・志磐の撰述。1269年完成。仏教の祖である釈迦牟尼仏より宋代に至る高僧の業績とその足跡を列記したもので、中国の正史の体裁に従い、紀伝...続きを読む

Q言葉の出典を教えて頂けるサイトやコミュニティ・研究機関を教えて下さい。

「人生行路において発見する最良のものは、心の友であり、心の師である。これを求むるは人生の目的であり、これを得るは最大の果報である。」ということばの出典(執筆者・書名・章節など)を探しています。
当初10月19日「カールヒルティのことば」というタイトルで質問しましたが8日間回答なかったので削除し、
10月27日「『人生行路において・・・』って誰のことば?」で再質問しましたが、これも今日まで11日間回答なかったので、削除し、3度目の趣向を変えての再質問です。

どうもよほど有名な言葉でない限り、古今東西の書物の海の中から該当の言葉に行き当たるのは難しいと見え、私の前後の(つまり質問後10日前後たった)同種の(言葉の出典に関する)質問はどれも回答ゼロになっています。

そこで、このような言葉(フレーズ)の出典を教えて頂けるサイトやコミュニティ・研究機関などを教えて頂ければ有難いです。
他に広い意味で出典を調べる何らかの方法があればそれも教えて下さい。勿論冒頭の言葉に心当たりのある方がおられれば一番有難いです。

Aベストアンサー

ウェブ上の検索方法は、経験と勘でしょうか。(笑)
こういう翻訳された言葉は、広く一般に使われるような言葉でないと、ウェブ上に載ることが少ないですね。
Wikimedia にも、Wikiquote というのがあって、名文句も収録されています。
Carl Hilty についてもありますが、
http://de.wikiquote.org/wiki/Carl_Hilty
2番目のものが、多少似てはいますね。
ドイツ語もかじっただけなので、ここらで退却。^^;)

参考URL:http://de.wikiquote.org/wiki/Carl_Hilty

Q「何すれぞ去らざるや」の出典と意味

多分、論語だと思うのですが、ふとこの一節が頭に浮かんできて、どういうエピソードに出てくるのか気になって仕方がありません。この一節の出典とどういう話の中に出てくるのか解説を漢文に詳しい方、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

出典は『礼記』の「檀弓篇」です。ここから『苛政は虎よりも猛し』という故事成語が生まれています。
「何爲不去也」は「(そんな恐ろしい所を)どうして去らないのですか?」という意味です。
原文および解説は下記を参照してください。

参考URL:http://www.e-t.ed.jp/edotori40094/kaseip.htm,http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-053.htm

Q出典をさがしています。ある小学生用国語問題集に使われている物語文の出典

出典をさがしています。ある小学生用国語問題集に使われている物語文の出典を探しています。その問題集の巻末にある主な出典一覧の中では、「村中季衣 デブの四、五日」というのがそれらしいとは思われるものの、そういう本を見つけることができません。もしかすると、これは書名ではなくて、その中の1作品のタイトルかもしれません。まったく別の本である可能性も多いにあります。どなたか、ヒントになる情報をお寄せ頂けると幸甚です。以下に引用文の一部を掲載いたします。

おばさんにつれられて、歩いて歩いて、そして、場所のほとんどわからない犬小屋の前で、わたしはデブと再会した。「さあ、わん公、ねむいだろうが、しっかり食べときな。」デブは、においをかぎつけていたらしく、格子になっている戸のすきまから鼻をつきだして待っていた。

Aベストアンサー

「デブの四、五日」は『小さいベッド』の中の一話です。

小さいベッド 村中李衣 著 かみやしん 絵
偕成社 1984年7月 ISBN 4-03-635210-5

参考URLは国立国会図書館国際子ども図書館の書誌情報です。

※村中李衣(むらなか・りえ)さんですね。
    ̄

参考URL:http://kodomo3.kodomo.go.jp/web/ippan/cgi-bin/fSS.pl?nShoshiId=30961&nKihonId=30952&sGamen=SI

Q出典、詞書とは?新古今です

新古今和歌集を学んでいます。
が、出典、詞書の意味がいまいち分かりません。
一つの和歌についてまとめるとき、出典、詞書を書く、ということを聞いたのですが、出典、詞書がどのようなもので、どうやってまとめるのか、分かりません。

出典はCDロムが関係する、とかなんとか聞いたのですが、何せ初心者で、興味だけでやっておりますので、どう関係するのかさっぱり分かりません。

分からないことだらけで恐縮ですが、詳しくお教えいただければ幸いです。

Aベストアンサー

国文科の学生です。

出典はその語・表現・和歌などのもとになったものが収められている書物を言います。
和歌の場合、昔の書物などにある和歌を踏まえて作ってある場合があります。

詞書は和歌の前に書いてある、文書のことです。
その和歌についての背景などが記されています。

>興味だけでやっておりますので
素晴らしいですね!
和歌は調べればとても奥が深くて面白いですよね。
頑張ってください。

Qこのゲーテの言葉の出典は?

塩野七生の『人びとのかたち』(新潮文庫)に、このような一節がありました。

<小林秀雄の作品を読んでいたら、ゲーテの言葉であるという、次の一句を紹介していた。
 「ローマの英雄なぞは、今日の歴史家は、みんな作り話だといっている。おそらくそうだろう。ほんとうだろう。だが、たとえそれがほんとうだとしても、そんなつまらぬことを言っていったい何になるのか。それよりも、ああいう立派な作り話をそのまま信ずるほど、われわれも立派であってよいではないか」>

この、ゲーテの言葉は、どの作品(文章)に含まれているのでしょうか?
ご存知のかたがいらっしゃれば、教えてください。

欲を言えば、その小林秀雄の文章も、どれか教えてください。

Aベストアンサー

 私の手元にある文庫本『無常という事』(小林秀雄著、角川文庫、平成元年改版41版)では「文学と自分」という章の「歴史と文学」の中に同じ文章があります(49頁)。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041141036/249-1553544-7650731#product-details

 その中で小林秀雄は「ゲーテが、エッケルマンにこんなことを言っていた。・・・・略・・・」とあります。わたしの理解する限りでは、ゲーテの作品中の文章ではなく、エッカーマン(小林はエッケルマンと表記してますが)の『ゲーテとの対話』の中の言葉ではないでしょうか。私も本著は読んでいませんので、ご参考までに。
 エッカーマンの『ゲーテとの対話』は岩波文庫から出ているようです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-1553544-7650731


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