【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

石の上にも3年という言葉の源を辿ると仏教に行き着いた。

で、なぜ石の上にも3年というどこから3年という数字が出て来たのか博学者は知ってますか?

私が思うに仏教では12年の修行という12という数字を好んでいたことが分かっている。

この12は多分、1年が12ヶ月だったので、どこかの高僧が弟子に先生、いつまで修行すれば良いのですか?と聞かれて、師もいつまでが修行なのか考えて一年が12なので適当に10倍にして12年じゃ。と行ったら、弟子たちがなるほど。と行って書に、仏教の修行は12年なりと書に記して、後世の人やその書だけが伝わった外国でなるほど。仏教は12年の修行が必要なのかとなり、12年は長い。6年にしよう。で、時代が流れてゆとり世代の僧が6年は長い。3年にしようとなって、そうだ。石の上にも三年という言葉を書に残そう。

で、我々は学校の先生に石の上にも3年。我慢が大切です。

と習った時点で修行期間が1/4になってて、石の上にも3年の時点で既に我慢出来てないというオチだった。

という話をはありますか?

石の上にも3年の3年はまじでこういうニュアンスを含んでいると思う。あながち間違っていないと思う。

禅の道元は日本にある全部の禅宗の宗派の教えまで体得したという。で、道元は俺は全ての禅に精通していると言っていたが、その修行をした寺に残されていた道元は「道元という者。10ヶ月滞在した」という記述が残っていたらしい。

要するに道元は修行した気でいたが、その禅宗は道元はただの泊まり客扱いだった。修行したじゃなくて滞在。

まるで日本の首相みたいに外国の留学じゃなくて外国の夏のオープンキャンパスに参加したことを留学って言ってた安倍さんみたいなものだった。

道元は石の上にも3年どころか10ヶ月滞在しただけで全てを精通したと言って当時の人を騙してた経歴詐称のコンサルタントのショーンKとあまり変わらない。

で、石の上にも3年は12年の修行が減っていった数字だと思っている。

A 回答 (1件)

達磨大師が、石の上に3年座り続けて修行して悟りを


開いたという故事に由来している、たとえです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/08 07:29

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