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生きていく意味を教えてください

A 回答 (43件中21~30件)

ここで熱力学的関係ないよね。

えんとろぴーは絶対理論だけどな。第2法則がな。生きる意味なんてないよ。この世に絶対はない。マッハ理論
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ない。

楽しめよ!
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物質に「目的」はありません。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。
「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
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死ぬ意味が説明できない以上、生きる意味があるんです。

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意味なんてないよ。

きっと

生まれたから生きてるだけかと思う。

そりゃ、何か大きなこと成し遂げて、生まれたときから一般人とはどこか明らかに違うような人もたまにいるけど。

そんな人はきっと、生まれ落ちた意味があるのかもしれないけど。

それ以外の人たちは特にないのでは?

途中で死にたくなった人は、実際死んでるし。

死にたいけど、生きてる人もたくさんいると思う。
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★ 生きて行く


☆ という表現にこだわるならば すでにあなたは《生きている》。
少なくとも ご自分の考えでは 生きることが出来ている。

そこで その上で・さらに 生きて行くこと これには どういう
意味があるか? みなさんは どう考えてそうしているか? これ
を問うているのではないかと捉えてみました。

当て外れかも知れませんが そういう問題意識の質問として受け取
ることにします。

わたしの考えでは 答えは かんたんです。
やりたいことをやる。――これに尽きます。
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さてさて



聖書とかも適当に書いてあるしコーランでも良いし仏教のいろんな経だね。
般若心経等は、そりゃもう人ってものの生まれて死ぬまでに味わったり思うようなのを
適当に書いてあるから、それ読めば人が生きる中身もそこそこ把握するだろう。

後は、細かく個別に理解捗らせたければ無数の哲学書と心理学書なども片っ端から
読みあさっとけば、自分に合いそうな言葉を得られるんでないの?

断片的な情報を、各自から収集するよりも手っ取り早い。

Aの教えは、生きるとは死ぬこと。
Bの教えは、生きてる間に決めた目標を達成すること。
Cの教えは、Cの欲望を満たすためのCの忠実なコマとして生きる事が意味だと言う。

他にもあるけれど、今の世で日本に生まれ育ち暮らす場合にそこそこ自由に
生き方決めれるってことだ。

人も動物も呼吸せにゃ死ぬ 飲み食いせにゃ死ぬ 排尿排泄出来にゃ死ぬ
寒暖の調整しないと死ぬ

他に、死因は様々にあるけれど死なぬように一応の寿命まで己の命を保たせつつ
次の世代に、命のバトンリレーをする事も生きる意味の一つである。
子を、産めないとしても他の誰かが助かる何かしてれば人種として
存在しても問題ない価値が有るってものだ。
他の子供らに、自分が得た経験を伝達伝授して活かされたり情報とか技術とかで
受け継がれてけばそれも生きる意味となる。

周囲の人らが、その人の生きた意味を適当に付与する。

物事を、多角的に広義的に思考するって事もこの質問する者として欠かせない。
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人は意味によって生きているのではない。

生きているという現実があるだけだ。それは意味のように筋の通ったものではなく、脈絡がなく、断片的で、意味がおよそ見出せないものであるかもしれない。

カオス状態であることは、苦しいことである。そこで、ある者たちは、自分の人生に後付けで意味を見出す。
しかし、これはあらかじめ答えがあることを探すのではない。後付けで答えを見出すのである。言い換えると、算数の問題のように、誰が見ても正解が用意されているわけではないのだ。他人に正解を聞くことができない。
自己満足であろうと、卑屈であろうと、適切であろうと、自分で自分を評価するということである。
そして誰もその答えを採点はしてくれない。

仮にあなたが20代なら、この答えを考えるにあたって、とっかかりさえも見つからないだろう。
まだ自分の力で生きておらず、社会や親に生かされている段階だからである。
自分で生きるのは、もうこれしかないという地点が明らかになるまで、まず生きてみるべきである。

昨日を振り返ってみるとよい。もしケータイをいじって、ゲームをして1日が終わったとしたら、それが今のあなたの「現実」である。怠惰であろうと、なんだろうと、自分を受け止めることから全ては始まる。
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生きていく意味。

。。教えたり、教わったりするものでは無いですね。。。
生きていく意味。。。強いて言えば、「考えるもの」でしょうね。。。

「生きる目的」(人は何のために生きているのか)については個人的に考えたことがあります。

人は何のために生きているのか。。。風の谷のナウシカ・考。。。
http://jinen.exblog.jp/16878881/
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人が生きていく意味というなら、幾分か答えようもある。


自分が生きていくという意味なら、幾分か答えようもある。
しかし、ただ生きていく意味というのなら、大した答えもないだろう。

ソクラテスいわく、ただ生きるのではなく善く生きるのである。
これは一例だけれど、生きることの意味についての本質的な捉え方です。

この生きていく意味の主語が大事であり、それに伴って答えが色づけられる。
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