アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

宗教だと国ごとにライフスタイルなどが違ってくるのはわかるのですが、日本に多い仏教では宗派が違うと何か争いが起きたりしないのですか?

A 回答 (8件)

日本では


南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華教を間違えて唱えなければ
争いはおきない
何処の国や地域でも 土着の風習を否定しない

インチキ仏教は 堕落した教祖みたいのが
厳しい決まりを勝手に作り オー神よ
何て言ってる 窮屈で自由がない  すでに仏教ではない

昔から 仏教同士 武力の衝突はありません
仏教は他宗教から責められて迫害を受けた歴史はありますが
仏教が他宗を攻撃する事はありませんでした

仏教は他宗に対し 寛容でした

坊主が堕落し 僧兵を構える寺はありました

まあ 仏教もキリスト教もイスラム教も 
堕落した 坊主 聖職者 指導者が
教義を 邪見 偏見 我見で 都合よく解釈し
信者を扇動しているのです

コーランも聖書も仏典も平和的です




仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm
    • good
    • 0

昔、一時期、一部の地域で、日蓮宗と他の宗派でいさかいがおきたようなことが、ごくたまにありましたが、(そのような宗派が違うことで、住民や地域で相互に武力攻撃で争うようなこと)は、どの時代でも、どの地域でも、ほとんどありません。


米国でも、フランスでも、中国でも、英国でも、またインドネシアのようなとこでも、インドやパキスタンのようなところでも、宗派が違えばいろいろライフスタイルや禁忌が違ったりしますが、だからといって日常的に住民同士、地域間で暴力的な争いは起きるものではないです。
"人間関係"というのは、なにを指しているのか不明ですが、潅漑農業などの場合、みず争いのようなことは起きます。信仰や宗派は直接は関係ないです。産業や経済は、互いに相互依存もしているような関係と競い合う関係とがあり、"負けられない・勝ち残る・敗退撤回衰亡"ということも地域間や住民間で起きます。また、暴動や打ち壊しなどのことも、貧の側が富を攻撃対象として行うこともあり、それが宗派などに絡んでいるように思われて(例えばユダヤ系が悪者として認識されて)いることもありますが、特殊な事態で困窮している人が多くならなければ、そうした争いも起きたりはしないです。 通常状態ならば、宗教や宗派の違いは、違いというだけで、違和感や反発などは起きても、住民同士、地域間で暴力的な争いが起きるものではないです。
個別にならば、あの宗派は鼻持ちならない、あいつらは許せないとなんだかとても激高して、敵対行動をとる人間が時々発生します。 それって、その個人の個性や育ちが強く影響することであって、仮に敵対が宗教行動や宗教団体に対して行われたとしても、宗教や宗派が異なるもの達が近隣に住んでいるということとは直接の関係はないです。
    • good
    • 1

戦国時代や江戸時代なら、宗派でまとまって何かをやってたりするので、〇〇宗は~みたいなこともあったでしょうが、今ではほとんどないですね。

金持ち喧嘩せずではないですが、何か言ってきたりしてもやんわりいなすのが最近の対応だと思います。
他の回答の、天皇が~ってのもウソですが(そんな家庭は存在しないかほとんど存在しない)、日本教って考えがあるくらい日本人は宗教に独自の解釈を持っていて、仏教もキリスト教も日本教〇〇派なんだ、などといったらキリスト教徒から烈火のごとく叱りをうけるのだけど、そんなところもあると個人的には感じています。

子供がオーム真理教か何かの新興宗教で親と争ってるってのならTVで見たような気がしますw
    • good
    • 1

日本ではほとんどおきません。

理由は「すべての宗教を天皇が認めて一緒に祭祀する」伝統があるからです。

これと全く同じことをやって領土全体の安定をもたらした国家が存在します。それはキリスト教が普及する前のローマ帝国です。ローマはイタリアの小さな都市国家から始まり、最大期はイギリスを含むヨーロッパのほとんど、トルコ周辺のアラブ諸国の一部まで含んで居ました。

当時の世界はどこも多神教で、それぞれの民族にそれぞれの神様がいたのですが、ローマは各民族を併合吸収すると、ローマのカピトリーノの丘にその民族の神をまつる神殿を作り、最高祭祀(と言っても選挙で選ばれる)がすべての民族の神々に祈りをささげていました。

つまり民族の神様たちが平等だから「各民族も平等」という考えであり、日本の朝廷も日本統一期に同じことをして「各豪族の神様はみんな平等」とやったのです。その後、仏教を取り入れるのですが、そもそも仏教は「国家宗教であり、国がみんなに与えたもの」だったので、宗派の違いは基本的に争いにはなりませんでした。

もっともローマもキリスト教を国教にすると他の宗教を廃絶し始めます。そうなると各民族は伝統や価値観を維持することと、ローマに参加していることへの選択を迫られ、結局ローマは崩壊してしまうのです。

日本でもキリスト教が弾圧されたのは、結果として「キリスト教は日本になじまない」と秀吉が気がついたからです。なぜなじまないかというと「天皇の祭祀にキリスト教を含めることができない」からです。

だから弾圧して廃絶したわけですが、実際には隠れキリシタンが「自分の信仰」として行う分には目をつぶっていたようです。それを布教しようとすると弾圧になったのです。仏教でも比叡山と信長が戦ったように「他人の信仰を無視して、自分の教義を押し広めようとする」と日本の為政者とぶつかったわけで、それは「日本はすべての信仰が自由である」という日本統一時の約束違反になったからです。

ですから日本では、今でもどんな宗教を信じようと自由ですし、一人の人間が神社でお参りして、キリスト教で結婚式を行い、仏式でお葬式をしても問題ないのです。最近ではイスラム教すら受け入れつつありますね。
    • good
    • 1

近年での争いは無いと思います。



神道と新神道、鎌倉仏教と主に戦後に興った新興宗教、
カトリック、プロテスタント以外の新興キリスト教、
イスラム、ヒンズーにも宗派が有りますが、
争いで言えば、キリスト教が最も争いに係わっている、
利用されているということでしょうか。
それに比べれば仏教の争いは、争いの内には入らない
程小さいです。
敢えて言うなら、小競り合い程度ってとこでしょうか。

ただ、戦国時代において仏教徒によるキリシタン弾圧は
凄まじいものがあり、一般市民を仏教の名の下に役人達が
キリシタンを拷問し殺害していったわけです。
迫害に合いながらも熱心なキリスト信者は隠れキリシタン
となり、それが今でも続いていることには驚かされます。

確か世界文化遺産に長崎の教会群が選ばれたとか、どこかで
聞いたような気がしますが、その後どうなったのかな?
    • good
    • 1

新興宗教絡みはありますね。



相手や家族がその宗教で、結婚がダメになったというのは良く聞く話です。
    • good
    • 0

法を犯してまで対立して報道されてその方が信じている宗教の名誉が傷つけられたりする様な事は余りする人はいないと思います

    • good
    • 0

起きてるじゃん、争い。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!