「お昼の放送」の思い出

小説を書いている際に、以下のような文章を書いてみました。こういう文章はありなのでしょうか?
団長は彼の頭の上の木の柱の木目をあんぐりと眺めていました。
わざと「の」を連続使用する事で冗長な文にして、ぽかんとしている感じを出してみたかったのです。
調べてみたところ、一般的に「の」は3回以上、連続使用すると、悪文になるとサイトで多く見たので気になっています。
どなたか分かる方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんでしょうか?

A 回答 (4件)

>わざと「の」を連続使用する事で冗長な文にして、ぽかんとしている感じを出してみたかったのです。



そういう感じが本当に出ると思いますか。冗長な感じは出ますが、「ぽかんとしている感じ」は出ないのじゃないですか。「冗長」というのは「煩わしい」ことであり、別の意味では「動き」をも感じさせます。いい文章には「文章感覚」の鋭さが要求されます。
 『行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲(佐佐木信綱)』
という短歌は「の」を重ねて使っているので有名ですが、この流れるようなリズム感は、これはまた別の感覚です。
 分かるというより、あくまでも感覚の問題です。
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この回答へのお礼

自分自身、文章感覚がまだまだ鈍いのだなと思いました。
もっと感覚が鋭くなるように、勉強していこうと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/14 15:59

まったく理解出来ない発想です・・。



まず「の」の連続使用以前の問題として、そもそも「ぽかんとしている感じ」を出す必要が皆無の文章です。
なぜなら、「あんぐりと」と言う表現で、「感じ」どころか、「ぽかんとしている様子」を、直接的に書いている様なものだから。

また、言うまでもないですが、「の」の連続使用により、「ぽかんとしている感じ」が出るなどと言う、国語的根拠もありません。
従い、そんな感じを共感できる読者も居ません。

それと、「団長」と「彼」とか、「木の柱の木目」など、「の」以外にも無意味な重複が目立ち、冗長を通り越して、嫌気が差します。
すなわち、「団長は頭上の柱の木目」で済む文章で、重複させることで、視覚的なズームアップ感などが増すワケでもありません。

要は、「奇妙な表現」「人と違う表現」をしてみたいだけの様で。
それはそのまま、「奇妙」とか「変」としか、受け止められませんよ。
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この回答へのお礼

なんとなく、ぽかんとしている感じになるかもしれないなと思ったりもしたのですが、やっぱり奇妙ですよね。
ありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2017/09/14 15:45

誤解をおそれずに言えば、「馬鹿っぽく」見えます。


推敲してください
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この回答へのお礼

馬鹿っぽく思われるのは嫌なので、今後はこのような文を止めていこうと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/14 15:52

詳しい事は全く解りませんが、



上の木の…辺りで読むのが嫌になりました。
わかりづらい。と言うか読みづらいです。

まだ 頭上の…

の方が読みやすいかなと思いました。
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この回答へのお礼

やっぱり自分でも「の」が多すぎるので読みにくいと思いました。これからは減らしていこうと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/14 15:50

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