
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
律令制では国の中にいくつかの郡があり、郡の中にいくつかの里がありました。
それで、郡の役人の郡司が里の長の里長を使って支配していました。
国の役人の国司は各郡を回ったりして、支配のチェックをしていました。
荘園が発達するにつれて、この体制が変わっていきます。
荘園ができるようになると、中にはしだいに国や郡の役人が立ち入ることができなくなる荘園も出てきました。
荘園以外では、郡司の支配を低下させて国司の責任者に力を集中させ、一部の郡は細かくわけたりして郷とし郷司が支配したりしました。
国司の下にあった土地は公領というようになり、郡司や郷司が同程度の力で国司に従いました。
ですので、「荘園」と「公領の郡と郷」が並立していたということですね。
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文の付け足しです
体制(荘園公領制)に変化していった。