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No.2ベストアンサー
- 回答日時:
・武士勢力の成長の実証
平将門の乱、藤原純友の乱で地方の武士勢力の成長が朝廷に伝わり、今までの朝廷の軍事組織では対応できなくなっていることが証明された。
・清和源氏の摂関家への接近
そのため、源氏や平家という武士勢力の棟梁に官位を与えながら朝廷に取り込んでいった。特に源経基の子孫は摂関家に接近し、後の源頼義、義家といった人物を出した。貴族と接近した武士勢力は貴族や自社が持つ権利などを利用し積極的に荘園経営に乗り出し、自らの経済基盤の確立を行なった。
・朝廷が地方の反乱鎮圧に地方の武士団を使用するようになったことの契機
また、朝廷はこういった貴族に接近した武士勢力を懐柔しながら自らの勢力拡大、反乱勢力の鎮圧などに利用していった。
・清和源氏と坂東平氏などの坂東の諸勢力の接近
平将門の乱を契機に源経基の子孫と坂東の武士団との間に接点が生じ、この後、平忠常の乱、前九年の変、後三年の変等により清和源氏の諸勢力が坂東に根付くことになり、鎌倉幕府ができる勢力を形成していくことになる。
・平貞盛の坂東から伊勢への本拠移動の契機
それに対して、平貞盛を中心とする桓武平氏は平将門の乱、平忠常の乱などを契機にそれまでの本拠を坂東から伊勢に移していくことになり、坂東に残った一族とも繋がりが薄くなっていく。
・藤原秀郷流の武士団繁栄の契機
また、平将門の乱で勝利に貢献した藤原秀郷の子孫はこの後、坂東、奥州などに広まり、佐野氏、小山氏、結城氏、奥州藤原氏、小田氏、藤姓足利氏といった武士団を形成し、武士の藤原氏といったら秀郷の子孫かと思えるほどの大勢力に成長する。
No.1
- 回答日時:
平将門の乱と藤原純友の乱を通じて、朝廷の軍事力はまだまだ脆弱であり、また地方の武士の実力を見せ付けられたことにより、朝廷は武士を積極的に奉仕させるようになった。
また、地方組織の武力拡充にも力を注ぐようになった。これで点数は出ると思いますが?お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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