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はじめまして。
始めて質問させていただきます。高2男子です。

今、日本では「いじめ」が問題になっています。
強い者が弱い者に暴力を振るう。
弱肉強食とでもいうのでしょうか。
そして、よく「いじめはいじめられる方にも責任がある。」
と耳にします。

僕は、これに共感できます。
「絶対に」とは断言できませんが・・・。
確かに、暴力を振るのは悪いことです。でも「いじめられる方」って絶対に非はないのでしょうか?
何もしてないのに「いじめ」って起こるんでしょうか。
「いじめられたから助けて。」と誰かに助けを求めることが
果たして本当に「良いこと」なのでしょうか。

本人が自分で「いじめられた」原因を探し、改善することに本当の「解決」があるのでは?と思うのです。
いじめられて、キレて言い返したり殴り返したりするのは簡単です。
先生や親に助けを求めるのもまだ簡単です。
でも、いじめられた原因を自分からなくすって中々できないんじゃないでしょうか?
「我慢」って少し必要なことなんだと思うんです。
それで、忍耐力や耐久性も育つような気がするのです。

◎ 皆さんは「いじめはいじめられる方にも責任がある。」という考えに
共感できますか?できませんか?
できれば皆さんが思う理由を添えてくれたら光栄です。

言いたいことは分かってもらえましたでしょうか。
たくさんの回答をお待ちしております。
よろしくおねがいします。

A 回答 (42件中1~10件)

卑怯な態度と取られるかもしれないので、回答しようかと迷っていたのですが。



一言ではやはり言えない、です。

昔からそして今後もいじめは存在します。

1.被害者側に原因がある場合。

ⅰ)一般論的に被害者側に原因と責任がある場合
意地悪をする、何かと鼻にかける、無責任であるなど人に嫌われる言動がある場合。
ⅱ)一般論的には納得できないかもしれないがその環境では分からなくもない。しかし被害者側に責任は求められない場合。
成績がいい、先生にほめられた、表彰されたなど妬みや裏切り(これらは大人に気に入られたことであり子ども社会からの裏切りに映る)に起因する場合。容姿や障がいが原因の場合は地域の大人に原因がある場合がある。こういう人たちに心無い言動をする大人が多い地域が確かにあります。

2.加害者側に原因がある場合。
性格が粗暴、何でも腕力に訴える、などいわゆるいじめっ子です。

私が子どもの頃はこれらのうちのどれかが原因でした。1.ⅰ)の時は被害者側に責任があり、それ以外は加害者側に原因があるというように単純でした。それではすぐに解決できたかというとそうでもありません。特に教師の言葉は正論ではあるが状況にあっていない場合がありました。同級生に金持ちを鼻にかけるやつがいました。周りの我慢が限界に達するといじめが起きました。彼は短気ですぐ手を出すくせにすぐに泣かされます。教師は「ケンかで敵わないなら勉強で見返せ」と言いましたが、そんな事をすれば余計にいじめられたでしょう。信じられないかもしれませんがあの時代あの環境はそういう状況だったのです。当事者にしか分かりません。
今の子どもたちのでも他人に対して想像もつかないような考えをする者がいます。自分が接した子どもたちの中では深刻な問題に発展することはありませんでしたが、危ないなと感じることはありました。

今深刻な問題になる場合、本来いじめの原因になるようなことではない、そもそも理由らしい理由がないために被害者が改善しようがない、逃げ込む場所や助けを求める相手がいない(行動を起こさないのではなく本当に「ない」)、加害者側がいじめっ子ではない、昔のような暴力でないことが多いなど状況が違いすぎます。

加害者側は複数のことが多いのですが、彼らも自分たちの「仲間意識」のためにいじめを行っているふしがある。誰が首謀者かもはや分からなくなっていることもある。いじめそのものが目的になっていることがある。

加害者も被害者も「許容量」が小さくなっている。気に入らない人がいたら「あいつ気に入らねえ」と心で思って済ますことができずすぐ行動に移す。ほんの少しの孤独にも耐えられないから過敏に反応する。友達関係に少しでも軋轢が入るのがこの上なく耐えられないから悪いと思ってもやめようと言えない。

どちらかが改善すればすむような状況ではありません。
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この回答へのお礼

「卑怯」なんてとんでもない!
自分も本当はまだよく分かってませんし・・・。
回答していただけるだけで本望ですし、
回答してくれることは何に対しても、ありがたいことです。
ありがとうございます。

妬みなどの「いじめ」の心境。
少しなら分かります。
「喧嘩で勝てない」から「勉強を頑張る」というのはおかしいと思います。
もっと他に心の問題で・・・「見方」を変えることを勧めるべきだったのではないでしょうか。
もちろん「いじめた」張本人が一番悪いですけどね。

そうですね。「許容量」ですね。
きっと今と昔では色んな部分でたくさん違う部分があるんですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 15:11

そうですね、どなたかも書いてらっしゃいましたが「責任はないが、原因はある」という辺りなんじゃないかと思います。



何事にも「程度の問題」というのがあるので、もしどうしても明確にしたい場合は、いじめであるかどうかに関係なく「法的に責任が生ずる行為」であれば問題アリ、という事になると思います。簡単に言えば、誰かに精神的苦痛を与えればそれに対する保障(つまりお詫び)をしなくてはなりませんし、もしそれを故意に隠蔽(みつからないようにやろうと)した場合には「悪意がある」とみなされて見つかった時にはダメージが増えます。法律で言えば、苦痛を与えられた側(つまりいじめられた側)に責任は生じないでしょう。これからもそこが覆る事はないと思います。

僕はいじめられた方ですが、むしろ良かったと思ってます。

先ほど書いたように「程度の問題」はあるので、僕が受けた精神的苦痛というのは自殺に至るほどではなかったという事ですね。今ココに文章を書けてる訳ですから。(笑)

それでもいじめられてる時はやっぱり生きてるのが辛かったです。

ここでそのまま死んでしまうか、原因を考えて改善するか、それはいじめの程度の問題なのか、個人の根性の問題なのか、自分の事なのでよく解りません。たまたま担任が良い先生で、仲裁に入ってくれたのは大きかったと思います。そこで相手が改心するか、それとも余計恨んでいじめを酷くするかも分かれ目ですが、僕の場合は前者だったので運が良かったのかもしれません。

小さいながらに「運が良かった」と感じて、それからは派手になり過ぎない程度に色々活動をしました。原因は「おとなしい(暗い)」「見た目が女っぽい」というところにあったので、「男らしく、活発になればいいのかな」と考えて、髪型を変えたり勉強を頑張ったり学級委員になったり。「次は運がないかもしれない」と背水の陣だったので、表面的には普通を装ってましたが内情はかなり必至でした。(笑)

そうこうしてる内に努力の差が出たのか、強面に見えたいじめっ子の「お山の大将」はてんで普通の人になり、社会に出てからはむしろ小さくなっちゃってなんだかかわいそうになってしまうくらいでした。アリとキリギリスではないですが、いじめる側というのはどうも油断するようです。

今思えば、社会に出たら「弱肉強食」は学校の比ではなくなります。

学校という閉鎖空間では閉鎖空間ならではの陰湿性が目立ちますが、いじめる側も「誰かに守られてる」わけで、食物連鎖のように「更に大きい生き物に食われる」といった非情な部分があまり強くありません。だからこそ油断してしまうのでしょうが、いじめっ子というのは「ある意味で虚弱な子」と見る事も出来ます。ちょっとしたイライラや誘惑に勝てず、低い方へ流れていってしまう、本当の意味で人間らしい姿であると言えるかも知れません。

だからこそ、どこかの時点でそれを教えてあげなくてはいけない、そしてそれを唯一教えられるのは先生や親ではななく「いじめられっ子」なんじゃないかと最近思うようになりました。

調子に乗ってる盛りですから(笑)、先生や親に注意されたくらいじゃ聞かないでしょう。一番驚き、かつショックなのは「いじめてた相手は、実は自分とそう変わらない能力の人間だった」「なまけていると並ばれるどころか抜かれる」という事に気付いた瞬間だと思います。これほどドキッとする事はないでしょう。

「相手を馬鹿にする」という行為は何かの弾みで自分に帰ってくる、という事を教えるられるのは「いじめられっ子だけ」という風に考えると、「原因」ではなく「責任」という言葉にこだわるのであれば、それがいじめられっ子に与えられた「責任」なのかもしれない、と思います。
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この回答へのお礼

また変わった趣旨の「責任」ですね^^

「いじめられっ子」なりの違い部分の「責任」ですか。
おもしろい考え方ですね。

いじめる側は相手を下等の者として、いじめるのですね。
全ての子供は何事も「自分が中心」だと仮定するのだそうです。
まだまだいじめっ子は「子供」なのかもしれませんね^^

回答ありがとうございました。


やっと、全ての素晴らしいご回答全てにお礼することができました。
たくさんのご意見をいただき、こんなにも「いじめ」は難しい問題なのかと改めて考えるきっかけになりました。
皆さん、「絶対に「いじめ」はなくなることはない。」と言われていますが、きっといつか「いじめ」がこの世からなくなることを夢見て、人生を楽しく過ごすのもいいかもしれませんね。
何事にも「100%」というものは存在しないと思いますので・・・。

この中から「良回答」を選ばせていただく訳ですが・・・、
皆さん、本当に良い回答ばかりでしたし、できれば全ての方に20ポイント差しあげたいですのですが。
決まりなので選ばせていただきますね。

「いじめ」について深く考えさせる時間を与えてもらえたことを
心より感謝しております。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/05/14 12:09

#14です。



私の書き方が紛らわしかったみたいですね・・・
ご理解頂いたのと逆の趣旨です。

「いじめられる側」に常に責任がないと仮定した場合に矛盾が生じるので、「いじめられる側」に責任がある場合もある、と言う趣旨です。
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この回答へのお礼

逆でしたか!すいませんでした。

なるほど・・・「いじめられる側」に決して責任がない訳じゃない。ということでしょうか。
共感できる・できない。という回答を求めるのは「いじめ」という難しい問題にはあまりにも浅さかだったようですね^^;

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/14 11:43

ある意味で共感できません。



人生なんてサバイバル、逆風に負けないように生きていかないと死んでしまう。

って、弟に(!)説得させられました。

責任とかそういう問題ではないということです。
誰かに責任があったから、それが原因だというのはねぇ。。。
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この回答へのお礼

もうすでに、人生を謳歌したような弟さんですね^^
しっかりしてそうです。

そうですね、責任があるからといって、それを原因にしてはいけませんよね。
考えさせられます・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/14 11:39

殺人事件が在った時、殺された人が護身術を身につけてなかったり、ボディーガードを付けていなかったりと防衛策を講じていなかったりすると殺された人にも責任があることになるんだろうか?



去年のいじめ自殺で「まじめだから」と言う理由でいじめられた人がいましたが不真面目になるように努力しなかった本人の責任なんでしょうか?

いじめられる側に原因があったとしてもそれをもっていじめてもよい事にはなりません。
いじめは反社会的な行為ですから、どんな理由でも正当化することはできません。
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この回答へのお礼

見方を変えればそういう考え方もあるかもしれません。

「真面目」が原因なら「責任」はありませんよね。
でも、真面目が嫌われているなら他の部分で補おう。
という考え方もありますよ^^
「真面目」な人の、たまーにする「ノリのいい返し」ほど
おもしろいものなんてないと思います。

「いじめ」は正当化なんてできませんね。
「いじめ」は卑劣極まりないです。
自分は「やられて嫌なことは、やるな。」をモットーにしています。
そんな社会になれば、「いじめ」が少しは少なくなりそうですね。

お礼日時:2007/05/12 15:48

#19です。

御礼ありがとうございます。

少しの我慢が将来の糧になるかどうか。
あなたは高校生、との事ですので、私の経験をお話しましょう。
私が最も辛い経験をしたのはあなたと同じ年齢の頃でした。
高2の時のクラス。いじめの主犯格(女番長)がいました。
私は学年内で特に嫌われていた子と仲良くしていました。
彼女の嫌われていた理由は
頭が良かったがそれを鼻に掛けていた(ように見られた)
性格も少々変わっていていつも一人でいた。
見てくれの問題もあった、のです。

最も学校は底辺校でしたから、少しでも成績のいい子は杭を打たれていたのですけど
頭が良くても、見てくれがよかったり何か光る特技がある、人気がある子は何もされなかった。

嫌われていた子にも家庭内の問題があったんです。
仲良くなってからそれを知りました。
とても可哀想な子だったんです。

それを知らない皆は「彼女はひねくれた嫌な奴だ」と言いました。
そんな彼女と一緒に居た私は一瞬で標的となりました。
「傍観者」は「苛める側の味方」でした。またそう見えました。
私の事を知らないはずの子までそうでした。

ただ一人だけ「傍観者」で助けてくれた子がいました。
その子は番長グループの取り巻きを友達に持っていましたが
ノートを貸した時に何か励ましを書いてくれた事を覚えています。
内容は忘れましたがその言葉で辛い学校に毎日通えたのは確かです。

先の回答で書いたのはこの経験が元になっています。

いじめられる側には原因がある、と表面的な物言いが一般的になるのは
正直嫌です。
表面だけでは判らない事を知る事も大事なんです。
苛める側にも勿論それはある。

冒頭の問いについてですが
苛める側も傍観者も大人になるにつれ苦しむ人を「我慢」も含めて「理解」で判っていきます。
それでも苛める人もいるし、見ていて上手く関わらないようにする人もいます。

ですがただの「傍観者」にはならないで下さい。
原因がある、と思っていても。
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この回答へのお礼

いえいえ、とんでもないです。

「内面」って中々分からないですし、難しいと所ですよね。
自分は「外見」とか「話し口調」で判断するのはやめるようにしています。
いじめられて簡単に「死ね」とか言われると、自分の人生がとっても小さなものに思えて悲しくなります。

自分の「いじめられる側には原因がある」という考え方は
「内面」的な考えです。
考え方が卑劣な人だったり、人を妬むことしかしなくてその相手を恨む人など・・・。

自分は、「いじめられている子」とは「友達」になることが多いです。
要は「内面」が問題ですので、「外見」では人を選ばないようにしていますよ。
回答者さんの心、素晴らしいですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 15:43

責任ではなく、「原因」「要因」はあることが多いと思います。


例えば、天然パーマがいじめの発端になった場合、いじめられる側に責任はないけど、要因はあるといえます。

原因、要因の中身には「いじめられる側にも責任があるだろう」と感じる事案もあります。いつも嘘をついていて、しまいに相手にされなくなったなんていうのがこの例です。

次に、責任と言うものを些細なものにまで追求すれば、「いじめられる側の責任」は増大します。

例えば、「戸締りを忘れたのだから、泥棒に入られたのは自分にも責任がある」という考え方です。

もし天然パーマの子が空手有段者や、ひょうきんな人気者なら、そうそういじめられないと思いますので、いじめられるのは、いじめられないよう個性をみがかなかった本人の責任であるとも言えるかもしれません。
もっとも、ここまで責任追及しては本人に酷ですが。

しかし、いじめ問題の解決という観点に立てば、上記のようなことも議題に挙げるべきだと思います。
もちろん、同時にいじめることがいかに卑怯であるかの教育とセットで。
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この回答へのお礼

「原因」と「要因」ですか。
確かにそっちの方が多いような気がしますね。

天然パーマひとつにおいても、相手が「特徴」ととるか「悪い部分」と取るかはその後の天然パーマくんの行動に関わってきますしね。
難しい問題です。

そうですね。そういう教育もあってほしいです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 15:37

#18です。


ちょっと例えが悪かったし言葉が足りなかったようですね。

自分がしたことは結果が良くても悪くても結果も含めて責任はやった人にあると言いたいだけです。
そうでなければ子供が可哀想です。

逃げ道を先に作って言い訳して行動する無責任な人間なんて会社は必要としないでしょ。
仕事を任せられる人間にするためにも責任はやった人に全てあるべきです。

ただ、子供ですから見通しも甘いし判断も甘いし、責任能力もないですから責任を取れる範囲を越えたら指導している親や教師が尻拭いをするしかないのでしょう。
だから親や教師の言うことをちゃんと聞いて行動すれば、指導している親や教師が全面的に責任を取るべきなんですよね。

それを、「やるな!!」って言うようなことを自分の欲求を満たすだけのために、勝手にやってその結果が自分に都合が悪ければ他人に責任転嫁するなんて無責任です。
そんな卑怯な考え方は若い時から教えるべきではないと思います。
それで共感できないだけですけどね。

最近の小学校は自分の行動には責任を持てって教えないのかな?
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この回答へのお礼

「道を外す」ことを前提に「別の道を作っておく」という感じでしょうか。
確かに響きはいいですが、会社側は「すぐ逃げられる可能性」があるので正気じゃないですもんね。

「いじめられる側」には全く責任はない。ということでしょうか。
確かにそうかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 15:31

できません。


何か気に食わない部分をもっている人がいたとして、例えば「不潔」にしましょうか、不潔でいやなのであれば「もう少し清潔にしたら」と「言えば」いいのではないですか。どうして言わずにいじめるのでしょうか。気に食わないなにかがあるのなら、本人に言えばいいじゃないですか。口があるんだから。いじめる必要ないでしょう。「あなたは○○で、私はそれがちょっと気になるからやめてください、直して欲しい」みたいに言えばいいでしょ。まぁなかなか言いにくいこともあるのかもしれないけど・・・。
いじめられてる側は「なぜ自分がいじめられるのかわからない」という子もいますよ。
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この回答へのお礼

言ったら言ったらで、今度は言った本人が
「あいつ生意気」となっていじめられるかもしれませんもんね。

以前、そのような同級生がいました。
誰も近づかなくて、皆に邪険にされていたと思います。
一人で公園で遊んでいたりしていました。
自分も見かけたら一緒に遊ぶようにしていたのですが・・・。
そのあと「香水」をつけてくるようになったその子は以前以上に
除け者になれていたような気がします。

言ったとしても「どう直すのか」といったことも重要ですよね。
確かに「言えば」いいだけのことですが^^;

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 15:26

>>ミニスカートを履いていて強姦。

ミニスカートを履いてる方も悪い。
とはちょっと違いますが、まぁそんな風にも思います。
きれいごとを言っても犯罪は起こります。どんなこんな言っても起こるんです。だから、それにできるだけ遭わない対応をしていかないと生きていけないんです。(大袈裟ですが。)
いじめは良くない事くらいはきっとみんな分かってるんです。でも、いじめは絶対なくならないんです。
いじめる方が悪い。たしかにその通り。だけど、いじめられる方も悪いんです。もっと言うなら、そんな起こって当然なものに、対応する手段を教えてあげず、「加害者が100%悪い]など言ってるバカ親が子供よりもっと悪いですね。さらには「いじめをなくそう」と言ってる教師。なくなることはないです。そういう苦悩をも乗り越える精神力や、対応力を付けさせる必要があるのでは?!と思います。
もちろん加害者が悪いのは分かってるんですが、犯罪者も被害者も現実にいてこの日本、この世界ですから。
アメリカの銃乱射事件のように、対応も何もなさそうな事件でも、精神病院がもっとしっかり彼を束縛していたら事件は起こらなかったのでは。などと言われてます。結局責任のなすり合いですね。
なんか哲学的になって申し訳ないのですが、とにかく今の家庭や学校では自分が被害者にならないように、そしてなってしまったときにどのような対処をしていくのかを子供と一緒に話して身に付ける必要があるのでは。と思います。今までは子供には加害者にならないように。と教えてればよかったような時代でしたが今は完全に違いますからね。
家庭が離婚も増え、身勝手な親が増えたのも背景にあるのでは。と思います。いつの時代も子供は現在社会の被害者で犠牲者です。
よって、いじめる方も悪く、いじめられる方も悪いと思います。悪いの意味の違いですが。
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この回答へのお礼

精神力や、対応力ですか。
「いじめ」で育てることができる「力」ですね。
そうです。「親」も一緒に考えることが一番大事だと思います。
「やられたらやり返せ」とか「お前がしっかりしていないから」だとか
そういうことでは本当の「解決」にはなりませんもんね。

申し訳なくなんてありませんよ。
哲学的でも何でも、自分頑張って理解しますから大丈夫です。
謝られるのは慣れていないので・・・少し悪い気もします。
良いご意見です。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/12 15:21
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