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私は神社や神様というものを凄く信じています。
しかし、私の恩師の先生はあまり信じておらず、神様は心の中にいるもので、自らの心の支えにするために人間が作り上げたものだと言います。
私はそうは思いません。
実際にパワースポットと呼ばれる場所には太古昔からその地に何か強いパワーを感じるとされる場所に神様が祀られたのだと思いますし、実際に神社などが建てられている場所は磁力が凄く強いと言われています。
私もパワースポットへ行った次の日に思っていたことが思い通りになったり、神社に願い事をした次の日に願い事が叶ったりと不思議な経験をしています。
皆さんは信じますか?
また神様、神社に詳しい方、教えて頂けたら嬉しいです。

A 回答 (18件中1~10件)

そういう人も居るし、そうでない人も居るということ。

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私は、神様やあの世や幽霊を信じたりするのを否定はしません。


しかし、「見た」といった人種だけは全力で拒否です。
クロマニヨン人の幽霊って噂一つ有りません。
忠犬ハチ公の幽霊下さい。
後者の方々は、単純に精神疾患であると思ってます。
前者の方々は、あまり口に出して言うべきではないと思ってます。
ご先祖様は確かに存在してましたが、神様は見えません。
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私は神様と呼ばれるものや霊や宇宙人などの存在信じてますが、宗教は信じてないです。

理由は、人間は団体として集まると堕落するものだから信用出来ないからです。でも、心が弱ってる時とかそれが必要な人にとっては必要なものなんだろうなと思います。

神社も、本物のあれば偽物もあると思いますよ。多くの神社は既に悪魔のようなものに乗っ取られてると言われてます。私利私欲で現世利益を売り物にしてるパワースポットと呼ばれるものの多くが穢れてると言われてます。乗っ取られて神社などにいるのは狐などの低級霊が鎖で繋がれてて、50円などの小銭を投げて「大金持ちになれますように」などと願うと、叶えてくれますが、その代わり死後に自分も繋がれて同じように奴隷として働かされ扱き使われる目に合うらしいです。それ以外も、変なことの為に騙されて悪魔に祈らされてる場合も多いそうです。

なので、私は神社仏閣や教会に行く時は自分の為に祈らずに「今ここに健康で来れてありがとうございます」とか感謝の祈りか、せいぜい身内の幸せだけ祈るように心がけています。祈るならお墓参りがいいですよ、そこには自分の先祖がいるので間違っても変なことはされないですから。
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神様は人類が作り上げたもの という先生の教えは理論的に正しいことです。


パワースポットというのは信仰心が作り上げたもので、万人が得られるものではありません
また願い事をした次の日に叶うのは偶然です

ただ信じる気持ちを持つことで救われる人もいるので、信仰の自由はあります
願いを持つことで何らかの不思議な流れを呼び込むことを信じるのも自由です

ただ 神様はあくまで人間の信仰心が作り上げた「空想の生き物」であることは否めません

ちなみに、機動戦士ガンダムユニコーン にこういうった台詞があります
「人類だけが神をもつ、可能性という内なる神を」
自分を信じて、努力を重ねることの大切さを語ったものでもありますがね
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全く信じません


でも信じたい人がいることや、その人のために一定の効用があることは理解します

若い頃は、信心なんてアホのする事だと思っていましたが
今は、少なくともアホとまでは言いません
人それぞれだからねぇという感じ
丸くなったモノですね我ながら
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ヒトが持つ喜怒哀楽の感情を外部から切り替える方法としてはいいんじゃないの?それが自発的に出来るヒトは不要です。

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生物的、物質的な神と言うのは存在しません。


恩師の先生が言っている事が正しいです。
人は必ず何かに頼ります。
その頼る対象が「神」と言う事に為る事で、目に見えない肌でも感じないと言う厳かさがより神聖な物にしてしまっている。

> 神社に願い事をした次の日に願い事が叶ったりと不思議な経験をしています。

まずそこが違います。
考え方としては普段から貴方の事を神は見ていて、貴方の事を手助けするに相応しいかを判断しチョットだけ背中を押したり
キッカケを作っているに過ぎなく、願いが叶ったのは貴方自身の行いであって、そのお礼をしに行くのが神社と言う考え方。
決して神社でお願いしたから願いが叶ったと言う事では有りません。
普段の行いとタイミングが偶然に一致した結果でしかありません。
神社でお願いしたから願いが叶うと言うのであれば、神社でお願いした人全ての願いが叶っているでしょう。
普段は何も気にせずお願い事があるときだけ神社へ行くなんてあまりにも自己都合過ぎますしね。
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一番良いのは自分が神に成ることですよ


人間は誰でも神に成れる肉体・精神構造に成って
いますから・・・ただやたらに成れませんけどね(笑)
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「神社」と言えば、天皇家を考えないわけにはいかないでしょう。


天皇と「神様」のわかりやすい例に、昭和天皇があります。
彼は、国家元首(前憲法に置いて、ですが)です。
軍を統帥する立場でもありました。
だからこそ「死んだら靖国でまた会おう」のような概念も生まれたのでしょう。
もしも天皇がイスラム教徒であったりした場合、まさかそれでも「死んだら靖国で」はあり得ないだろうと思います。
あの特攻隊も、「神風」などとは呼ばなかったはずです。
そして、何よりも象徴的な出来事は、それまで「現人神」としていた天皇が、戦争に負けたという程度のことで、ある日突然「いやあ、僕って今日から普通の人間ですんで」と言ったことです。
普通の宗教では、様々な修行を積んで、神や仏という最高権威を手に入れるのに対して、神道に置いては「ちょっとした事情」があれば、昨日まで「俺って神様」と言っていた「神様」が、今日から突然「ただの人間」に変身可能なのです。
まあこれは「神様であるからこそ為せたこと」ということである可能性はありますが、相当に不思議です。
そして、神様である天皇が、国家元首且つ軍の最高統帥者であったにも関わらず、あんなにもこっぴどく負けて、しかもその影響が今もこの国に残り続けているという事実は、更に不可思議です。

「触らぬ神に祟り無し」は本当なのかも知れません。
明治から昭和初期のこの国は、神に触れすぎたという可能性を感じます。
神社でお賽銭とお祈りやおみくじ、パワースポット程度の扱いが、この国の健全性の担保に有効であるように思います。
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日本には古来から八百万の神様がいらっしゃいますからね。

自然現象の一つ一つにも畏怖を感じるのは尊い事だと思います。
インターネットで見かけた「ある日船でブッダがやってきた。だから神々の一人に加えた。ある日船でキリストがやってきた。
だから神々の一人に加えた」というのは実に日本人らしい宗教観だと思います。
先生の仰る事も正しいんじゃないかな。神様は心の中にもいます。1億人いれば1憶人の神様が。
きっと一神教のキリスト教やイスラム教ですら一人一人の思う神様の形が違ってるんじゃないでしょうか。

神様にお願いして叶ったなら、必ずそこに行ってお礼をしてくださいね。
お願いするだけしてお礼を言わないなんて、普通に人付き合いでもアウトですから(笑)
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