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小学校高学年の児童が、読書体験を元にして、ディベート(肯定派と否定派に分かれて論戦を楽しむ活動)を実践するのに適した文学作品を捜しています。5,6年生の児童が5時間ほどで読み切れる短編で、肯定派と否定派に分かれて論戦を楽しむことのできるようなテーマを含む作品がありましたら教えて下さい。

A 回答 (3件)

O・ヘンリーの「賢者の贈り物」


ドストエフスキー「罪と罰」の最初の殺人の場面まで
野上弥生子「海神丸」
「平家物語」の熊谷直実が平敦盛を殺すシーン(現代語訳)があれば、、、

など、いかがでしょうか
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この回答へのお礼

日本の作品しか視野の中にありませんでしたので、海外の作品を紹介していただき、大変参考になり感謝しております。「平家物語」については、小学校高学年の児童に適切な現代語訳本を探し始めております。O・ヘンリーは、他の作品にも目を向けていきたいと考えております。

お礼日時:2004/09/22 21:29

こんにちは。



太宰治「走れメロス」
芥川龍之介「蜘蛛の糸」
有島武郎「一房の葡萄」

などでは定番すぎるでしょうか。
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございました。
いずれの作品も著作権が切れているようなので、お金のない学校現場でも、子どもたちに思う存分読書を楽しませてあげられそうです。
3作品とも活用させていただきます。

お礼日時:2004/09/22 21:20

こんにちは。



浜田広介氏の「泣いた赤おに」はどうでしょう?
この作品のメッセージは辛辣だとおもうのですが。

赤おにと青おにの関係にのみ心をうたれていると、この辛辣なメッセージをつい見逃しがちになってしまいます。
作者は、その背景にある人間たちのエゴイスティックさに対してはっきりと嫌悪感を示しているのではないでしょうか。
エゴイスティックな見方というのは、つまり、「鬼」であるという外見や既成概念でのみ判断しようとする物語前半部での人間の判断基準、
後半部で仲良くなった後にも赤おにに対する評価は、「おいしいお茶」だとか「こざっぱりした住まい」などをほめるばかりで決して鬼自身を見つめることができない人間たちの価値観の脆弱さです。
人間たちはいつも本質の周辺をのみ見つめて判断をしてしまっています。

浜田広介という作家は『「善意を旨として」を自己の創作のより拠とする。』とはいいながらも、
この作品の中ではかなりなニヒリズムに支配されていたのではないでしょうか。
単純にメッセージを受け取るなら
「くだらないともだちがたくさんいたってしょうがないじゃないか、
そんなことより、自分の事をしっかりとわかってくれるただ一人の親友を持っていることが大切なのだよ。」
青おにに視点を置くと後者のメッセージが強くなるし、
赤おにに対する人間の振るまいに注目すれば前者のメッセージが色濃いかもしれません。

さて、「一年生になったら」という歌では「友だち100人出来るかな」なんて歌いますが、どうなのでしょう?
友だちはたくさん必要なんでしょうか?
ボクなどが読むと「くだらない友だちなんていらないよ。」って方に共感してしまいます。

「友だちはたくさんいたほうがいいんでしょうか?わずかで良いんでしょうか?」
これがテーマです。
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この回答へのお礼

気が付きませんでした。それがありましたね。討論が盛り上がりそうです。高学年の児童は、すでに、皆さんのご指導を参考に活動を開始するところです。中学年の児童に「泣いた赤鬼」を提供したいと考えております。ご助言いただいたほど、深い討論は無理かもしれませんが、良い本に気が付かせていただき感激です。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/29 22:38

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