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 小さな頃から上辺な感じの付き合いの友達関係に不満があり、「本音で語り合おうよ」と思っていた私。
 しかし、それに合う友が現れる事もなくこの年になり、最近はテレビの中にいるメンバーが心の友みたいな感じです。毎回標準録画し、暇さえあれば見ています。見ていないと、心が不安定になるほどの依存具合です。
 満たされない関係を続けてもしょうがないと思い、人脈もますます狭くなる自分に対して「この依存はやばいかな~」と思いますが、そういう人としか接する喜びを感じられないと私は思うんです。むしろ、何故みんなも「しゃべり場」やらんの?と思ってしまいます。それどころか、「あの番組寒いでしょ」みたいな評価がとても多いです。
 あの番組での対話形式が力関係などの不平等や理不尽な要素を取り払った形でも対話だと私は思っているんですが・・・。

A 回答 (12件中1~10件)

すばらしい対話を多くの人に見せたい、


その対話の場にいるかのような喜びを味わってほしいと
製作されている番組は
「しゃべり場」ばかりではありません。

だまされたと思って、
朝日tv系「徹子の部屋」を見てください。

わたしなら、
あの番組を録画して、暇さえあれば見たいですね。

それと、
世間話程度で終わる軽薄な人間関係は、
切ろうと思えばいつでも切れるのだから、
その中からひょっとして、何かのタイミングで、とても親密に話せる相手も出てくるかも、知れないし・・・

つまり、人脈ひろくしようと思わなくていいけど、
今アル人脈は、手付かずでおいといたら?どうですか。

では失礼します。
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もう中年の者です。

「しゃべり場」数分間だけ見たことあります。「わかいなあ」とおもいました。
あれって「本音といいつつ自他を比較しつつ」って
自己確認の場だなと感じました。?
良いことです。同じ目的ならば・・・

しかし実生活の中ではそんなこと必要に感じていない人もまた多いわけで、
貴方の「本音」は検討違いな重さ、激しさ、驚きを他人に与えているかもしれないなあ。
立場を取り払って対等に話す。
これも貴方がそれをしても良いくらい相手にとって重要、魅力あるならば可能です。
そうなるには性急な態度は最もいけないことです。
なぜならば貴方はそのとき、相手を無視していてすでに対等に扱っていないからです。
なぜ本音が言える人がいないか、このあたり思い出してみては?
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誰でも皆本音で話したい欲求はあると思います。


うわべだけの付き合いだけを求める人は
余程一人が好きな人なんじゃないかしら。

でも人には付き合いのステップというものがあります。
最初は当たり障りのないところから始まって
そのうわべで自分と合うポイントやグッとくるところを見つけてから
だんだん心を開いて、いわゆる「ぶっちゃけトーク」をする段階になり、
その後に真面目なことも真剣に議論できるような関係に発展します。

「しゃべり場」のような番組は
接点のない若者を集めてメディアの中で無理矢理そういう設定を作っています。
番組上「本音」がルールになっているので
駆け引きも今後の付き合いに関する思いやりなども必要ありません。
ある意味ネット上の討論とも似ているかも?

あれが全て同じクラスの人間だったり知り合いだったら
なかなかあそこまでうまくいかないのが本当のところなんじゃないでしょうか。
それ程現実世界ではステップが重要視されるのです。

もしステップを踏まずに「しゃべり場」のような体験をしたいのであれば
そういうセミナーやサークルもあるので、参加してみるといいかもしれませんね。
(くれぐれも怪しいのに引っかからないよう・・)
私が学生時代に参加した大学の研修には
全ての人物が匿名で背景も何も知らされずに本音トークするものがありました。
ちょっと不思議な雰囲気でしたが、その場では確かに気持ちよかったですね。
でも相手と分かり合うというよりは自分を主張する方がメインになる為
友人関係を築くのにはまたうわべ付き合いが必要で面倒になって
その後の付き合いは全くありません。

プライベートでも仕事の話でも何でも本音トークして
しかもいろいろ理解し合えるのは
やっぱりステップを踏み越えた親しい友人だけだな、と思います。
悪い部分も含めて自分を認めてくれている人に
本音で話す程気持ち良いことはありません。

私は高校時代までそういう友人はできず、
大学に入ってから初めて出会いました。見つければ一生物です!
質問者さんもいつそういう人物に出会えるか分かりませんよ?
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苦言を指しますが、質問者様自身が閉塞状態かな?って。

自分以外のみんなの語らいばかり気にするより、自分が何をしたいか?を具体化して前へ歩む事をしない限り、この社会で他者が本音を語ることもなければ、本音を言える人とめぐり合う事はないと思います。自分が行動した事はやがて、他者を通じて自分にはねかえって来るのでは?それは本音を「ど~ん」とぶつけて来る相手かもしれないし。
質問者様が思ってる以上に世の人達は本音をけっこう語ってますよ。ただ、それはチャンネルを設定して見れるものではないので、複雑で見えずらいですが。
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その気持ち理解できます。


本音で語ろうと思うタイプなので大勢で騒ぐより、少人数で話すほうが、そういう話にもっていき易いので好きですね。
ところで、私はこんなタイプなので嫌な気分になることが多々あります。友人と二人で食事して、真剣になって考え、答える・・・でも相手からは真剣な返事がない・・。こんな事多いです。

たまに真剣に話せる人に出会っても、そういう人は意外と人間付き合いがうまくない(失礼!)人が多いような気がします。私自身もそうだと思っています。
そうなると長続きって難しくて、嫌な離れ方をした(親友だと思っていた)人も何人かいました。

しゃべり場は、その真剣さを前面に出すことが主旨なので、内容はともかく、あのように熱く語っています。でも話している子の中には、初めてこういう事を話した・・なんていっている人がいて、それを見ている限り、日常的に熱く語っているわけではなさそうですよね。
この質問に答えてる方を見ても、共感してくださっている方が多いので、そういう対話関係を求めている人って多いと思いますよ。ただそれをどこでどう表現して表面化していいのかがわからない人が多いのではないでしょうか?

だから社会に不適応なのではないと思います。真剣に対話したい人はきっとすぐ近くにもいると思いますよ。
質問のアドバイスになってないかもしれませんが、私も真剣な対話が好きな者として書き込みしました。
がんばってくださいね。
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どこかの芸人さんが言ってましたよ。


「しゃべり場にでている若者が『みんなマスコミに踊らされているんだ!』と言っていたが、本当に踊らされているのはお前のほうだ!!」ってね。

私、議論をメディアが流すっていうのは意味あるんだろうか?といつも思うんですよね。意味があるのは議論であって、メディアというフィルターを通したものではないと思うんですよ。そこに出て意見を言う人はメディアの影響を受けるだろうし、議論が主題になって結論はおざなりだし、視聴者は実際に参加していないから自分勝手に解釈できるし。

oremoteruさんもわかるでしょう。しゃべり場を視聴者として見るのは楽だって。メディアとは無関係の場で、本音で語るのは大変ですよ。まあ、その生の会話が必要であり重要だってことですね。
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>あの番組寒いでしょ、みたいな評価


それも一種の「本音」でしょう?
本音で「語り合いたい」のであれば
その種の評価も認め、そのような評価がされる理由を
理解する努力をすべきではないかと思います。

oremoteruさんは、この年になるまで
本音で語り合える友が現れなかったと言いますが
では、あなたの周りの人々は皆、本音を語り合わない人たちなのでしょうか?
そういう人もいるとは思いますが
全てがそうだとは私には思えないのです。

本音を「語る」のは、そう難しくありません。
相手が聞いてくれるか/否か?は別にして。
でも、本音を「語り合う」のは難しいことだと思います。

本音を語り合っちゃうと
自分の本音も引き受けてもらわないとイケナイし
相手の本音を引き受けないとイケナイ。
これには大変な覚悟が必要だ。
そんな覚悟は、そうそうしてはいられないと思います。
だから、私なら本音を語り合う相手は、思い切り「選ぶ」。

自分の本音をぶつけるべき相手を選ぶ、というよりは
ぶつけられた本音を自分で受け止めてあげたい!と思う相手を選ぶ。

あなたが「本音で語り合えない」と悩んでいるのは
もしかしたら、他者との語らいの中で
あなたが相手の本音を引き出してない、もしくは
あなたこそ相手の本音に聞く耳をもたない、のかもしれない。

失礼なことを言ったかも知れない、ごめんなさい。
でも、他者とは自分を映す鏡でもあり
自分が他者の本音を引き受ける覚悟が示せて
初めて相手はあなたに本音を語ってくるのだと思い
真の「本音の語らい」はここから始まると、私は信じます。
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こんにちは。



あの番組は私自身も、見たことがあります。

若いティーンエイジャーの人たちが、積極的に意見を交わしていますね。
おそらくとても真っ直ぐな、純粋な方々なんだと思いますよ。

>小さな頃から上辺な感じの付き合いの友達関係に不満があり、「本音で語り合おうよ」と思っていた私。

余談ですが私の娘も真っ直ぐで、理不尽さにすごく傷つきやすい子どもでした^^;

ただ、現実世の中みんながそう(善)であればいいのですが、理不尽なこと、不合理、不条理なことなど、悪の部分がたくさんあるのが常ですから、そういう人にとっては「生き辛い」のだと思います。

童謡詩人の「金子みすゞ」さんでも、心がきれい過ぎて回りに合わなかったことなどが挙げられます。

ことわざを引っ張り出しますが、
「清濁併せ呑む」の精神が必要だと思うんですね。
「清い水には、魚は棲めない」・・・と同じで
正義感の強い人ですとか、完璧を求め過ぎると一見、善のようにみえるのですが、外部の気に入らないこと、他人のマイナス部分が目に付いて、小さなマイナスも見逃すことが出来なくなり、その結果、人に対してマイナスの対応をしてしまいがちになります。

言葉を言い換えれば、狭量の正義感などは本人にも、まして他人にもマイナス思考を誘ってしまうと思うんですね。

日々日常生活を営んでいく上で、強風もあれば、ほほをそっとなでるそよ風もあり、これと同じだと思います、心地良い人もいれば、気に入らない人もいると思います。
ですけれど、どんな風(境遇)にも合わせられる、強さと柔軟性を持った、柳や竹のような木のような「寛容さ」が大切ではないかなぁと思います。

素直に本音を言い合えることは素晴らしいですよね
信頼、尊敬があればこそ、お互いに言い合えるのだと思います。
たくさんの人ともまれながら、同時に、人間関係もそういう人に巡り合ってくるのではないだろうかと思います。
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(正直私はTVを週に合計2時間くらいしか見なくて、その番組も1度ちらっと見ただけです)


ご質問者さまは、本音トークが好きなんだ、この理解でよろしいですね?大雑把ですが。

私もけっこう、昔からそういう不満がありました。本音じゃない語りって、交流の潤滑油にもなるけれど、それがメインになるのが不満でした。コミュニケーションは得意なほうなので、周りの人は寄ってきてくれますが、自分で認める友達というのは本当に少ない…というか、厳しいふるいにかけていくと、1人もいないのでは?って思いました。TVなどで思想家や社会活動家が、本音で語り合える人ばかりに囲まれているようで、どうやったらああいう人生が送れるのかなと思っていました。

そんな思いは私も長く持ちつづけていたのですが、どれのせいとか一言で言えませんけど、最近その「(本音で)話したい、交流したい」という満たされない不満が随分納まってきました。

それは実際、自分の正しいと思う世界への小さな一歩の活動をはじめたからではないかと思うのです。活動しはじめたら、数年かかってですが、自分が思っていたことにとても近いものを持つ人が吸い寄せられるようにきたり、自然淘汰みたいにそういう人だけ周りに残ったりしてきていることに先日気がつきました。

また、自分とは本質的にはかなり違うな…と思って、そのうち自然消滅すると見ていた友人と最近会ったら、私は半ば諦めているので流行とか世間的な話しかしなかったのに、彼女が今まで言わなかったような本心を語りはじめて嬉しい驚きです。こういうのが共時性=シンクロニシティなのかな?とも思いました。

一時はそうしてどんどん自分のスピリットに純粋に近い環境が濃くなっていくように思いましたが、その中でつっこんで語り合っているうちに、どんなに語っても言葉で語り尽くせない個人個人のハードルがあるんだと気づき始めました。どんなにぶっちゃけトークができる間柄ででも。そこで溝を埋めようと頑張って時間をかけて話し合っても、やはり個人と個人の世界は完全には重なり合わないのですね。むしろ、それ以上の語り合いは言葉だけ先走って害になるかもしれません。

最近、語り合いに対する過去の自分の強烈な思い入れは無くなりました。これは語ることが無駄なのではなく、あるところまで行きついたから気づいたんだと思います。ある程度語らいで自分に近い人々と交流できたら、あとはただ自分の信じる道を1人で極めることが重要なのだと思うようになりました。
何時間のぶっちゃけトークも必要なく、吸い寄せられるように必要な人や好きな人が近づいてくることがあるってわかってきました。
自分に強い原動力があると、何を言わなくても、何かパフォーマンスがなくても(そういう表現力はあったらプラスになるでしょうが)わかる人には肌を通して伝わる?という何か確信めいたものが起こってきました。

それから最近は、自分がそう変わったためか、世の中の人で本音トークっぽいのをしていない人でも、別に本音を隠して生きているとは限らないのだという見方に変わってきました。むしろ自分が変わったことで、周りの人が言葉という情報にしなくても発信している原動力に気づくようになったかもしれません。この人はこういう人、と一面しか見えていなかったのが他の面も見えるようになって、言葉数が増えたわけではないのですが、そこから自分が読取る力が上がってきたのかもしれません。すると言葉で言いたい!という本能は大して無くなり、自分が孤独という意識もなくなってきました。自分が変わると、自分と他の人が繋がっているということに気づきました。

質問者さまは、まだ共感できる仲間に出会っていない段階ですが、自分を出すことで仲間を探すことを諦めないことと、誰もいなくても自分で何かに取り組むとか、自分の世界を濃く?していることで、きっといつか進展があると信じています。頑張って下さいね。
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「本音で語り合おうよ」という気持ち、痛いほどわかります。

。。

私も昔から友人とのうわべだけの会話が嫌で、会話をするときには「腹を割って話そうや」と場をもっていくタイプでした。
シラフでは無理でも酒が入ると本音が出てきやすいし、本音が出てきた時の会話は後でも「ええこと話あえたな」と思えるものなので、とても気持ちがいいもんなんですね。

でも、最近はあらゆる場において「腹を割った話」をしようとする自分がいて、自己嫌悪に陥ることも少なくありません。

確かに本音での語り合いはいい面もありますが、一方で相手が触れて欲しくないところまで触れてしまうという問題があります。
誰にも、どんな親しい相手であっても触れて欲しくないなと思う部分はありますよね。テレビの世界ではそのつっこみかたも1つのショーになりますが、実際の人間関係においては下手をすれば信頼を失いかねません。

(多分くまのプーさんだったと思うんですが)プーが友達のクリストファーロビンに対して言った「ぼくは君といれば何もしなくても楽しいよ」というセリフがあります。私も私の友人にとって「何もしなくても一緒にいて楽しい友人」でありたいなとよく思います。
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