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生きるってなんですか?
あなたは誰の為に生きていますか?そもそも生きるとは、誰かの為に生きるということなのでしょうか?

私は彼氏の為に生きています。

誰かが私を求めなくなった時に死のうと思っています。

A 回答 (34件中1~10件)

なぜ生きるのか?


それは生まれ難くして生まれた喜びと生かされてきた感謝にむせび泣くためなのです。
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そうやって悩んだり苦しんだりして答えを導き出して何かを知って学んで成長するためだったり



幸せになるためだったり

今でしかできない事を体験して経験するために

生きるんだと思います
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私も「生きる」ということが今でもよくわかりませんが、ただ身近な人の死に触れて、生きることのありがたさを感じました。



誰かの為に生きるのも素晴らしいと思います。

私の場合は、まず自分がしっかり生きて、家族や親しい人を大切にできればいいと思ってます。その姿勢が、私にとっての「生きる」なのかもしれません。

私は独身ですし、41歳のおっさんで特に浮いた話もないので、もともと求められる状態の人間ではないのですが、それでもしつこく自分から誰かを、生きることを求めて生きています。生きることが意地になっている感もあって。


ご質問者さんには、ご自身としても生きることを求めていってほしいと思います。
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>誰の為に生きていますか?私は彼氏の為に生きています


誰かのために生きると与えるのでは無く求める愛になります。
代償を求める愛です。
代償を求めると必ず物足りなくなり、相手にもプレッシャーを
与え別れが訪れます。
代表的なのが「松居一代」さんです。
彼のために生きるとすれ違いが生じ結果が別れになります。
「自分の人生を楽しむために生きる」が私の生きかたです。
そのために人を活かす活動をしてます。
自分を成長するために。
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突き詰めると、誰も自分の事なんて必要じゃないもんですよ。



死ぬ日まで生きる。

それだけなんですよ。

生まれた日から毎日、1日ずつ、死に近づいている。

私は、とりあえず、かわいくて仕方がない我が家の猫さんを看とるまでは死ねないですね。

あとはそんなに頑張って生きようとは考えていません(笑)
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私は旦那です。


口には出しませんが、子供たちより旦那が大切です。
私のことを大切にしてくれ助けてくれました。
旦那が死ねば私も死にます。
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と言う事は今現在は彼氏が自分を必要にしなくなったら死ぬと言う事でしょうか?


もしそうならば彼氏には言わないでそうした方が良いです。
あなたは良いかもしれないけれど相手は一生それを背負います。それは愛ではない。
私は家族の為ならば苦労は何とも思いません。けれど
家族の為に生きると言うよりも自分がそうしたいだけです。
愛は何か違う気がします。
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昔は、主に「自分のため」に生きてました。


その人生を歩む間に、「自分より大事な存在」とも出会い、そう言う存在のために生きることも出来る様になりました。

自分より大事な存在を守るためには、自分を守るため以上の力も必要ですから、自分はもっと力を付けねばならないと気付きました。
自分が、より大きな力を付ければ付けるほど、自分もより幸福になれることにも気付きました。
また、自分を大事にすればするほど、自分にとって大事な存在のためにも有益であったり、より高い踏み台になれることなども。

「自分のためだけ」に生きることは、そんな自分は、自分以上にはなれないので、損な人生だと思います。
でも、そこに気付けば、自分のために生きることも、自分より大事な存在のために生きることも、「同じ」ですよ。

たとえば質問者さんも、「彼氏の為に生きる」と仰るのであれば、もっと「佳い女」になる努力をすべきじゃありませんか?
質問者さんが「佳い女」になること自体は、質問者さんにとっても、何も悪いことはありませんし。
人から必要とされ続ける方向にも向かいますよ。

逆に言えば、失礼ながら、自分が大事ではない質問者さんは、真に「彼氏の為に生きている」と言うのは、まだまだ「おこがましい」と感じます。
彼氏に必要とされ続けるために自分を磨き、自分の命ある限り、死ぬまで彼氏の為に生きる・・みたいなのが、真に「誰かのために生きる」じゃないですか?
たとえ彼氏が死んだとしても、彼氏のために生き続けることは出来るのですよ。
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物質に目的はない。

しかしその目的のなさはエントロピー増大=淘汰として進化を導き、結果的に生物として生きる方向性を与え、その事は意識に、意志の達成としての精神的充足の追求を目的化させる。
それは単純な快楽主義=「意志の強さ×達成度」の追求だけでなく、そうした結果を把握する「×意識を明瞭にする認識の深まり×結果の感受性」や、その目的を「×人生を通算した充足量の最大化する認識の深まり」の関数として得られる。
 その「認識の深まり」は、一方で分業化=社会生命としての助け合いを可能にした。しかし、自己の生の社会的拡張を不断に把握できる認識の深まりを怠り、その自己チューな意識をして他律的に社会行動をとらせるため、お金や出世といったアメや、法規やモラルといったムチを発達させた。
その結果、生きる事は、自律的な生=助け合う喜びから、お金をもらうためにイヤイヤ働かされる=苦痛から逃げた結果に変質したのだ。
 認識の深まりによる社会生命的自覚化(愛)=自律的社会行動(助け合い)=生きること自体による喜び(最大充足)こそが、人の真に生きる目的なのだ。

社会生命 自律的生 生きること自体による充足
「生きるってなんですか? あなたは誰の為に」の回答画像26
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私は自分を育ててくれた両親や娘の為に生きています。

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