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「グッドウィルハンティング」という映画を見ました。天才的な頭脳を持ちながら心を閉ざしている青年との格闘を描いた映画です。
その中でこうゆう場面がありました。
心を開かないことを攻められ、逆切れして主人公が叫びます。
「心を開くってなんだよ!おれが孤児院で育ったということを話せばいいのか!」

私ふっと思いました。そうか、心を開くって、人には話したくないことを話すことなのかな、と。
ちょっと短絡的過ぎるかもしれないけど、結局そうゆうことなんですか。

A 回答 (7件)

近いのではないですか。


話すか話さないかという行為が問題なのではないが、
話しても大丈夫、話せるということが心を開くと言うことだと思う。
自分の弱みや欠点、気にしていること、コンプレックスなどを相手に話しても相手はそれによって離れていったりはしない、という確信を持てること、相手に対する信頼感を持っていることが心を開くと言うことではないか。
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 心を開くというのは、自分の殻に閉じこもらないって事だと思います。


 自分の中で何でも解決してしまって、人の意見に耳を貸さない状態っていうんですかね?
 心を開くっていうのは、心に隙を作るというのかな?相手が入ってこれるような部分を作るというのかな?
 相手の言う事も理解しようとする事というのかな?
言葉にすると難しいのですが・・・。
 かたくなに心を閉ざす状態では、誰もその人の本当に思っている気持がわからないから理解出来ない。だから、そういう判って欲しいと思っている弱みとか悩みをわかるように見せる事っていうんでしょうか?
・・・判りにくくてごめんなさい。
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>心を開くって、人には話したくないことを話すことなのかな、と。



心を閉ざしているときって、嬉しい事、楽しいことも話したくないと思います。

そういう意味では、心を開くというのは感情が出せることではないかな、と思っています。

>逆切れして主人公が叫びます
というのは心を開く兆しが見えてきたのかな??
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相手が心を開いてきたなと実感したことがありました。


それまでお互い嫌っている状態に限りなく近かったのですが、ほんの些細なことがきっかけで、二人きりで顔を合わせるたびに相手がそれまで見せなかった表情やしぐさ、言葉を表わすようになったのです。話の内容は変わらず仕事関連なのですが、微妙に本人なりの冗句が混ざるようになったりしたのです。打ち解けてきたというか…。
“安心して自分を出している”状態に見えました。
相手のそのような様子をみて「この人は私に対して心を開いているな…」と思ったのです。

対して、自分が心を開いた状態を実感するときは、内心から言葉を発するときや、相手の心に響くことを願いながら話すとき、近くにいて何も話さなくても安心して穏やかな状態でいられるときです。相手はどう感じているかわからないですけど。^ ^;
なんとなく自分が浮かべているであろう表情が分かるときもありますし、気にしていないときもあります。

ただ、一度心を開いた人にはそれ以降、開きっぱなしになるのでしょうか? そこのところは良く分かりません。
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こんにちは


心を開く 人との関わりにおいてはとても大切な事だと思います。心を閉ざしている極端な例は話をしない事であり、人を受け入れない事だと思います。
そして又、心を開くと言うことには、段階があるように思います。
1.他人同士での会話・出会いの仕方。
2.少し、親しくなった方との会話・出会いの仕方
3.親しくなった方との会話・出会いの仕方
4.家族と親族との会話・出会いの仕方
等など、接し方・話し方が変わってくると思われます。
これらは段階的なこころの開き方をして関わっていると思います。1,2,3,4で交わす会話の内容を考えて見れば解るかと思いますが、如何でしょうか。
本当に心を開くとは私も体験が未熟ですが、
きっと、相手の方の思いを全身全霊で痛みも、喜びも全て受け止める心を自らが持ち、そして大切なことを大切な事としてお伝えしてゆく姿勢。ほんとうの意味での人を生かす境地が定まっている心ではないだろうかと思っています。心は深化・成長を遂げてゆくと聞いておりますので、
こうだとはいえないかも知れません。
絶えず、心が深化する境地の追求が大切ではないかと考えております。如何でしょうか。
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いや、違うと思います。



「心を開くって、人には話したくないことを話すこと」ではなく、「話したくないことは話さなくても、それでもリラックスしてその人の側にいられる場合、その人に対して心が開いている」のだと思います。

北風と太陽というイソップ物語を思い出しました。
旅人のコートを脱がせようと、北風がビュービューやっても、旅人はしっかりコートを巻き付けてしまう。
太陽がポカポカやると、暖かくなって旅人はコートを脱いでしまった。

この物語は、心を開くことに似ている気がします。

「心を開くってなんだよ!無理矢理コートを吹き飛ばされるってことかよ!」

そうじゃなく、暖かくなったので、自分でコートを脱ぐってことが、心を開くことに近いのではないか、と私は思えます。
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よこやりを入れさせていただきます。


#6さんの、「北風と太陽」ですが、似ている、ではなくて、この話の大意は、「キツイ言葉=北風」「温かい言葉=太陽」という意味なので、まさに、人に心を開かせるための、方法論を判りやすく見せていることになるんですが。
ええと、そうすると。
人に心を開く、ということができない人には。
周りに、キツイことを言う人が多いのかも、しれません。温かい言葉をかけてくれる人には、皆、素直になれるように。
#6さんと、言ってることは同じなんですが。
心を開けない人は、周りか、自分の過去の経験に、心を開くのが怖いと思わせてしまったことが、あることも(私なんですが^^;)。
こころを開かないことを攻めている青年は(冷たい言葉を浴びせているので)、北風なんですね。
逆ギレした主人公は、この場合、心を開いた状態ではないです。
だって、主人公は、コワイ顔をしているでしょ?
本当に人に心を開いていたら、楽しいとか、嬉しいとか、面白いとか。
そういう、プラスの感情が表に出てきていないと。
マイナスの感情が表に出てきている状態では、心は閉ざされていることになります。
逆ギレは、実際には真実を語っていたとしても、怒っているので、話した相手には、心は開かれていません。
楽しい・嬉しい・面白い・この人はいい人だ、など、感情面で、プラスの面が多く出ている人には、心が開いていることになると思います。
短絡的な答えで、すみません。
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