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モラハラ資料

比較し勝ち負けにこだわる自己愛性人格障害

自己愛性人格障害 詳細2011/07/2219:25 6 0




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← 自己愛性人格障害の特徴まとめ

やたら比較し勝ち負けにこだわる


・異常なほど勝ち負けにこだわる
・自分ageと他人sageが生きがい(身近な人をさげる)
・自分と他人を比較して、どちらが優れているか劣っているかに異常にこだわり、他人に『自分の優位性』を認めるような言葉・態度を求める。
・やけに他人に勝とうとしてると要注意、根拠もなく勝ってると判断することもしばしば(躁的防衛)

・1,2歳しか離れていないのにお兄さんぶる人お姉さんぶる
・相手より自分の方が格上であることを主張する。例えば知識なら自分の方が博識だとか学歴があるとか。例えば仕事なら自分の方が上司だとか経験があるとか。それをないがしろにされると腹を立てる。
・人に教えられるのが苦手。他人に新米扱いされたり、しかられることはプライドが許さない
・反面、人に教えるのは大好きである。

●他人の『人間関係』(友人の数とレベル、恋人の有無とレベル)、『バックボーン』(学歴、親の資産)、『生活レベル』(年収、貯金、家、車、服)、『心身の健康状態』をやけに気にする人
(人間を「目に見えるモノ」でしか評価できない)

●『子どもっぽい負けず嫌い』の傾向が見られ、『相手の長所や美点を素直に認めない・相手よりも自分のほうが優れていることを過度に強調する・相手の名声や価値を意図的に引きずり落とそうとする』といった言動

●他人との関係が常に競争(支配・被支配)なので、つまらない意地をはったり自分の意見に固執します。相手の言い分に賛成することは(たとえ相手のほうが正しいとしても) 【負け】を意味するからです。
【自分が悪くても認めない】【謝らない】のも負けを認めたくないからです。大きな屈辱感となってしまうからです。

●自己顕示や虚栄心の強さは、実際の自分よりも自分を優れたものに見せようとする行為や虚言(嘘)として現れますが、その価値判断の基準は『学歴・年収・所属企業・配偶者の属性・家柄・ブランド品(高額消費)・成功体験』など社会一般的な権威や俗世間的な価値観に依拠したものが多くなります。

内面的(人格的)な美点や知性的(学術的)な水準についての自己顕示や強調というものは基本的には余り見られず、人格的な美点は社会的な権威・地位と同一化しており、具体的な知識(知性)や技能よりも分かりやすい学歴・職業のほうに重点を置いた話をする傾向があります。自分や関係者がいかに他人よりも恵まれた属性を持っているか、どれくらい幸せな生活をしているかを実際よりも相当に大袈裟に吹聴するというのは、自己愛性人格障害の特徴でもあります。


理由:なぜ勝ち負けにこだわり優劣を競うのか


●自己アイデンティティが拡散しており、自分が何者であるのかの自己確認を、『他人との力関係(支配・従属)』によって確認しているところがある。

●過剰な自己愛を持つ人にとって、他人は常に比較の対象です。自分が相手を見下す関係でいられるか、あるいは見下される立場に追い込まれるのか、2つに1つしかありません。自己愛性人格障害の人が横柄で文句ばかり言うように見えるのは、他人を見下すことで、見下される立場になることを避けようとしているからです。尊大な自己イメージを守るための防衛策です。

●内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚があるときに成立する。自己の内的なものに自信がない彼らは、周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人と自分を比較しながら生きざるを得なくなる。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られず、必然的に対人関係は勝ち負けの世界となる。優越している自分は他者を見下す対象にし、転落した無能な自分は見下される対象になり、対等の人間関係を築くことが困難になる。

●自信がないから勝ち負けにこだわる
僕はかつて、なぜあんなに自分と他人を比較したのだろうと今考えて見ると、それは自分に自信がなかったからのような気がする。自分に安定した自信がなかったから、人に勝たないといられない。負けて笑っていられるというような人間が、実は本当に強い人間なのだ。勝ち負けにこだわるのは自信のない証拠なのだ。
「さまざまな人生」加藤諦三

●彼らのプライドの面白い所は、あくまで相対的なステータスにあるんだよね。
だから、他人を貶めて自分の地位が相対的に上がれば、それでいいらしい。
まあ、必死に努力して上に上がるより、コストは安くつくだろうが。

●なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ません。


権力に弱い


・権力や肩書きに弱い
・学歴や職種、肩書などで人を見ることが多い



身近にいて、嫌な思いしました。
自己愛人格障害者は病気ですか?

A 回答 (2件)

自己愛人格障害者は病気ですか?」←では 無く あなたが病気です・・



此処では 質問者のあなたの思うがまま・・

あなたが正解と すれば どんなに間違ってても正解になり あなたが不正解にすれば どんなに正しい事でも不正解に なる・・

そんな不公平な場所で 相撲を取るの?

八百長試合って そんなに 面白いのか?
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実際にある病気のようですよ。



特徴については誰もが多少は適合するものです。

しかし、稀に異常と思えるほど、過剰な人がいるらしいです。

これら人格障害を説明するとき難しいのは、

「誰にでも良くあること」

になってしまうからです。

しかし実際に接した人は、

「良かった、俺は日頃から自分が人格障害じゃないかと悩んでいたが、

 これに比べると普通だ。

 本当にあるんだねえ。驚いた。」

と感想を得るようです。



また、ネットで検索して調べたことがありますが、後半の分析はあっていると思いますよ。

ただし、それも一般の人にも適合してしまうので、明確な差として説明が難しいです。



そこで私の捉え方を論じてみます。

色々と紹介記事などを読んでいますと、

本質的には、「他人が自分と同じ存在に見えない。」と言う障害らしいですね。

現実であるのに、ゲームをしていると言う感覚しかないわけです。



ゲームの中では、人の家に勝手に入って、たんすを開けて物色することもあるでしょう。

しかし、現実ではやりませんよね?

Q)「それは何故ですか?」

A)「怒られるから。」

Q)「誰にも怒られないとしたら、やりますか?」

A)「やっても無駄な場合はしませんよ。場合によりけりじゃないですか?」

これを本気で言えてしまうという障害です。


他人に対して共感しないとか、メリットで行動するとか、

他人を利用するとか特徴が述べられていますが、

これらは正常な人が受ける印象です。

そのため自己愛が強いという印象になるんです。


しかし、本人の主観としての問題は「ゲーム感覚」です。

私たちがゲームをするとき、ゲーム内で登場するすべてより、

自分のほうが偉いと思っていますよね?

なにせ自分が唯一のプレイヤーであり、本当の人間なんですから。

それで良いと思います。

また、オンラインでゲームをしたり、コミュニケーションサイトで会話をするときは、

「いけね。相手は本物の人間だ。切り替えないと。」

とスイッチが切り替わるはずです。

これが正常なんですが、

「いけね。これはオンラインゲームだっけ。対応を変えない失敗する。」

と言う判断の仕方をします。

つまり、相手が人間であるかどうかではなく、プレイ条件が変わったと捉えます。


恋愛シュミレーションゲームと言うのがあります。

「あんたの恋愛感覚、情緒的過ぎてしまい、合理性にかける部分がありますよね?

 努力の余地ってのはあるんですぜ、旦那・・・。」

と若者に諭すには良いものですが、

「これを何度もプレイできるか?」

というと、そうでもありませんでした。

「だってまあ。相手は人間じゃないんだから? 無駄じゃないか。」

と言うわけです。

しかし、自己愛性人格障害の方にとっては、この感覚が無いと言う事です。

「ゲームによって満足度が違う。無駄なお金と時間は費やせない。

 慎重に選択する必要がある。

 他のやつのレビューもまあまあ参考になる。」

と言う感じ方をします。

人間が自分以外いないと言う感覚を持っている人とは、論点が揃いません。

けっしてその人が冷たいわけではないですし、思いやりが無いわけでもないんです。

心は普通にもっていて、本人は自分が普通だと思っているはずです。

しかし、

「自分と同じ人間がいる世界? ん~あったら幸せだよね。

 この世界? 糞ゲー、無理ゲー。作った奴に文句を言いたい。」

と言う感覚を常に持っています。

これを思っている人は自己愛性人格障害に適合しているでしょう。


ちなみに、上の感覚がそのまま主観で語られるようなライトノヴェルも出ています。

登場人物をゲームキャラの様に捉え、ゲームのように対応するので、最後は気持ち悪くなりました。

「同じ人間として、それで幸せであるのか?」

と心配する感覚が全くありません。


以下は私の感想です。

「人は条件のみで悩んだり、求めたりするのではないよ?

 他人の意思に支配されず、自分で感じて、自分で失敗したいものなんだよ。

 君は『どうすると相手を支配できるか?』 

 と言う条件ばかりを探し、自分が品行方正であると言う保障ばかりを探す。

 とても、気持ちが悪い。

 全ての人間には『他人に自分を理解されたくない』という欲求があるんだ。

 だから面白いんだ。それが嬉しくてたまらないわけだ。

 しかし、君は対応できないものを喜べない。それが欠陥だ。」
 

昨今流行の異世界モノは、そういう意味では条件ばかりの作品が多いですね。

何と言うか、自己愛性人格障害モノですかね。

キャラクターの性格をパターン化して、パターン対応が普通になっています。

しかし、自分がそのように扱われたら嫌ですよね?

「俺を決め付けるな。俺は人間なんだからもっと複雑なんだよ。

 俺をパターンで解釈しようとするのは、俺の人間性の抹殺と同じだよ?」

と言いたくなります。

ですので、正常な人間であれば、他人に対してキャラ付けとかパターン対応など出来ません。

やった瞬間に哀しくなりますし、生理的な嫌悪感を感じます。

「同じ人間として感じたい。道具みたいに扱った自分が嫌だ。」


さて長くなりましたが、

・ゲーム感覚の常態化

・同朋意識の欠如

の二点が本質的な欠陥に思えます。

ギャルゲー、乙女ゲー、ハーレムパターンのお話が流行っていますが、

登場人物は外見、スキル、性格、職業、ステータスでパターン化されており、

道具としての側面ばかりが強調されています。

こういったライトなものは、

ご都合主義だから嫌なのではなく、

異性を道具の様に評価する発想、その立脚点が気持ち悪いと感じます。

本来、余計な気を引いて相手を傷つけるのを恐れるものですが、全くそういう気配も無い。

制作サイドが、そういった人間、そういった感覚を持つ層をターゲットにしていることが、

もっとも気持ち悪いですね。

そこまで商業主義になるということ。

これはやはり人を道具としてみていると言う事でもありますよね。

「儲かると分かっているけど。そこまでしたくない。

 何故かって? 俺が哀しいから。

 それじゃダメだって、叱りつける方でいたい。」

と言うのが昔の大人であったと思います。

ビジネスや政治であっても、効率度外視で人間性を最重要とするものです。

これを理念と呼びます。




実際に接してみて分かるレベルもありますが、

潜在的に自己愛が強いというレベルもあると思います。

これらは普段から意識して、自分が変質していかないように気をつけるべきでしょう。



以上、ご参考になれば。
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