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私は、昔小学生の頃に、めちゃくちゃひどい一言で心を折られて、


それまでは「美人で優しいマドンナみたいな先生」がいて、「そのマドンナ先生に誉められるためだけ」に頑張って来ましたが、悪意あるやつに、


「お前はあの先生に気に入られるように頑張ってなんになるんだ、自分がないのかよ」とかめちゃくちゃひどいことを言われて、それ以来。「自分の為にも。誰かの為にも頑張れない、踏ん張りが効かない」となりましたが、

こういう「誰かの為にしか頑張れない、人の為にしか頑張れない」というのは遅かれ速かれ破綻して、崩壊しますか?

悪意のあるやつに心を折られなくても、「遅かれ速かれ」破綻して崩壊しますか?


ここを真面目によろしくお願いいたします。なお、真面目なので、批判は聞きたくないです、よろしくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • では。私はどうしたらいいですか?

    皆様の回答ではどうしたらいいかが見えてこないので、そこをよろしくお願いいたします。

    アドバイスにならないんです、私はどうしたらいいですか?よろしくお願いいたします。

      補足日時:2018/06/30 09:10

A 回答 (8件)

自分の行動は全て「自分で」正しいと考えたものを心がければいい。

それと、「ちゃんとしたでしょ」とその人にアピールしなくていい。たぶん、君はいちいちアピールし過ぎなんだ。
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この回答へのお礼

ありがとう

たしかに誉めて、誉めて、が凄まじいです。


わかりました、ありがとうございます。

お礼日時:2018/07/01 12:36

「誰かの為にしか頑張れない、人の為にしか頑張れない」


というのは遅かれ速かれ破綻して、崩壊しますか?
  ↑
理窟からいえば、破綻しやすいですね。
その誰かが亡くなった場合
裏切った場合
距離が離れた場合
などは、破綻するからです。




悪意のあるやつに心を折られなくても、「遅かれ速かれ」
破綻して崩壊しますか?
  ↑
実際はね、自分だけの為、のほうが
破綻しやすいですよ。

自分だけの為なら、頑張らなくてもいいや
となりがちになるのが、人間です。

家族の為、大切な人の為、の方がエネルギーが
出るものです。


オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果
した、アベベ、という選手が言っていました。

「国の為、という目的があったから、ここまで
 頑張ることができたのだ」
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前提からおかしい。


マドンナ先生に気に入られたいから勉強をやっていたならそれは自分のために頑張っていたんですよ。
だってマドンナ先生に気に入られて得するのはあなたでしょ。
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「そのマドンナ先生に誉められるためだけ」に頑張って来ましたが


>これは、真の意味で人のために頑張っているとは言えないでしょ!
褒められたいという事は自分のためやっていることに、結局はなるんですよ。

本当に他者のために、と言うのは自己の利害は度外視した行いの事を言うのですよ!
極端な例としては、濁流にのまれた子供を発見して、思わず流れに飛び込んで救助に向かってしまうような場合が、人のために行動したと言えるのです。
まあ、自分の命はかけなくても、他者のために、という行いは他にもいっぱいありますよね。

さて、本題。
自分の利益を目的とした、自分のために頑張るという姿勢は、目的が思い通りかなっているうちは良いが、
そうそう思い通りにならないのが人生です。
すると、努力が思い通り報われないとき、疲労がきます。
それを蓄積していけば、いずれ破綻してしまうことにもなるかも。
これに対して、自己の利益は度外視した、他社の利益を目的とした行動は、たとえ目的を達成できない場合でも、
利己本位の場合に比べて疲労の度合いが低いはず。まして、目的を達成して相手からお礼を言われた場合などは、その満足感から120%疲労が回復されてしまう事でしょう。
では、どちらの生き方を基本方針とするのが良いか。各々で考えましょう!^^
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貴方がそれで幸せであるのなら人に何言われようが関係ないのではありませんかね?


この場合先生の為に頑張っているのではなくてご自身の為ですよね?
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他人のために生きるには「理由」がいると思う。


あなたにその理由があるのかな?。
そこを自分で確かめないと。

自分なりでも、ちゃんとした理由があれば、それは成立するよ。
他人がどう思うかは別としてだけどね。
自分が納得できていれば、破綻まではいかないだろう。

先生に自分を捧げようと頑張ったのも、私は別に変なことだとは思わない。
恋心みたいなものだったんだろうね。
助言をした人も、悪意じゃなくて、あなたの翻意を確かめたかっただけなんだろう。
ただ「恋は盲目」だから、あなたにとってそれは否定に聞こえたんだろうね。

結果としてあなたは「最後までやり遂げることができない」という未練、やるせなさを抱えながら今まで来たんだろう。
しかしだ「結果」というのは残酷なものであって、成し遂げることが出来ようが出来なかろうが「現実」という形で現れる。
今がその現実の姿そのものだ。

過去には帰れないし、過去の人や出来事を否定しても現実の解決にもならない。
過去に逃げないで、今の現実を正確に受け止めて前進しようともがくこと。
誰かのせいとかじゃない「どうして今自分はこうしてる?」という、その根幹を見つけ出そうとすることだ。
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人のためにがんばるというのはすばらしいことですが、


あなたのおっしゃる「人のためにがんばる」というのは、
人のためにがんばることで自分が気に入られたい、というかたちを変えた自己保身です。

だから人のためにがんばることを否定されると気持ちがグラグラしてしまうのです。
気に入られるためにがんばってるのに、そのせいで違う人から批判されたら、
それはあなたの本意とするところではないのですから、そりゃ当然です。

本当に人のためにがんばっているなら、他人から批判されてもぐらつきません。

他人の目線で自分を規定しているので、他人から気に入られようとしているだけで、
自分で自分を規定して、自分で自分に自信を与える、ということを心がけた方がいいですよ。
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まず、彼には悪意はないと思います。

けっこうあなたに対して真面目な思いでないとその言葉は小学生でも吐きません。よほど違和感があったんでしょうね。「媚を売りに来る」ように見える子はよくいます。総じて母親が子に対して、自分ができなかったことをさせるなど、この資質を無視した高い理想を持っています。無理なことに挑戦し続けているので、破綻は間違いないでしょうね。最後は親に壊されると思います。
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