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勢至菩薩しかんぼさつはどういう神様ですか?

観音菩薩と勢至菩薩の神様は二大菩薩と言われていますが2神はどういう関係ですか?

A 回答 (3件)

勢至菩薩(せいしぼさつ)は智慧の光で全てのものを照らし、人々を迷いや苦しみから救う菩薩と言われています。

日本では、勢至菩薩が単独で祀られているところはほとんどなく、ほとんどが阿弥陀三尊の一尊として祀られています。

阿弥陀三尊とは、阿弥陀如来を中心に、観音菩薩と勢至菩薩が脇侍を勤めている三尊です。
観音菩薩と勢至菩薩の関係性は、上記の阿弥陀三尊が最も有名と言えるでしょう。
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> 観音菩薩と勢至菩薩の神様



神様ではないです。

> 勢至菩薩しかんぼさつはどういう神様

神様ではありませんが、勢至菩薩は、「勢至菩薩【せいしぼさつ】仏教の菩薩の一つ。大勢至菩薩・得大勢菩薩・大精進菩薩とも呼ばれる。サンスクリットのマハー・スターマ・プラープタ(Mahā-sthāma-prāpta)。観音菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍(わきじ)。智慧(ちえ)の光により衆生(しゅうじょう=ひとびと)に菩提心の種子(ぼだいしんのしゅし=釈迦のような正しい理解・知恵・穏やかで悟った境地を成就する基になる発起の心)を与えるのが勢至菩薩である」と言われています。
「しかんぼさつ」については、わかりません。

観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)という経典の中に、現代語にすると、次のような(釈迦シャカが阿難アナンに述べたこと)の説明があります。

次にまた大勢至菩薩を想い描くがよい。
この菩薩のお体の大きさは、前の観世音菩薩と同じである。しかしその円光は縦横がともに百二十五由旬で、二百五十由旬を照らしている。そして全身から放たれる光明は、ひろくすべての国々を照らして金色に輝き、縁のある人々はみな拝することができる。また、この菩薩のわずか一つの毛穴から放たれる光明を見るだけで、すべての仏がたの清らかな光明を見ることができるのである。そのためこの菩薩を無辺光と名づける。またこの菩薩は智慧の光でひろくすべてを照らし、地獄や餓鬼や畜生の世界の苦しみから人々を救うのに、この上なくすぐれた力を持っておいでになる。そのためこの菩薩を大勢至と名づけるのである。
この菩薩の宝冠には五百の宝の花があり、その一つ一つの花にはそれぞれ五百の宝の台があって、その一つ一つの台の中にはすべての仏がたの清らかな国土の広大なすぐれた光景がみな映し出されている。またこの菩薩の頭の肉髻は紅の蓮の花のようである。その肉髻の上には一つの宝の瓶があって、さまざまな光明に満ち、ひろく仏のはたらきが現れる。その他の姿かたちはすべて観世音菩薩と同じで少しも異なるところがない。
この菩薩を歩まれるときにはすべての世界が揺れ動く、その揺れ動くところには五百億の宝の花が咲き、それぞれの花のうるわしさはちょうど極楽世界のように気高くすぐれている。この菩薩を座られるときには七つの宝でできた極楽世界の大地がいっせいに揺れ動き、下方は金光仏の国土から上方は光明王仏の国土まで、その大地もまた揺れ動く。そしてそのすべての世界におられる数限りない無量寿仏の分身と観世音・大勢至の分身とが、みな極楽世界に集まり、大空一面に満ちあふれて蓮の花の台座に座り、尊い教えを説き示して苦しみ悩む人々をお救いになるのである。

この勢至菩薩(大勢至菩薩)の説明にあるように、大勢至菩薩の説明に先行して、観音菩薩の説明がなされています。

観世音菩薩を想い描くがよい。
この菩薩は、高さ八十万億那由他由旬(非常識に高い)であり、そのお体は金色に輝いて、頭には肉髻があり、その後ろには縦横がともに百千由旬の円光がある。その円光の中にはわたしと同じようなすがたの五百の化身の仏がおいでになる。その化身の仏にはそれぞれ五百の化身の菩薩と数限りない天人がつきそっている。 また全身から放たれる光明は、迷いの世界にいる人々すべてを照らし、そのすがたがそこに現れている。頭には宝玉でできた立派な冠をつけていて、その中には高さ二十五由旬の化身の仏が立っておいでになる。
この菩薩の顔は金色に光り輝き、眉間の白毫は七つの宝の色をそなえ、その白毫から八万四千の光明が放たれている。その光明の一つ一つには数限りない多くの化身の仏がおいでになり、そのそれぞれの化身の仏にはまた数限りない化身の菩薩がつきそい、それらの化身の仏と菩薩が、自由自在にさまざまなすがたをとって、すべての世界に満ちておいでになる。そのようすはたとえていえば紅の蓮の花の色のようである。
またこの菩薩は八十億の光明でできた胸飾りをつけていて、その中に極楽世界のうるわしいようすをすべてみな映し出している。また手のひらには五百億ものさまざまな蓮の花の色があり、十本の指先のそれぞれには印を押したような八万四千の絵模様がある。そのそれぞれの絵模様には八万四千の色がそなわり、それぞれの色はまた八万四千の光を放っている。その光明はやわらかで、ひろくすべての人々を照らしている。菩薩はこのすばらしい手をさしのべて人人をお導きになるのである。
またこの菩薩が足をおあげになるときには、足の裏にある千輻輪の相がおのずから五百億の光明でできた台座となり、足をおろされるときには、宝玉でできた花があたり一面に散り、行きわたらないところがない。  
その他、さまざまな特徴をその身にすべてそなえておられるのは仏と同じであり、ほとんど異なることがない。ただ、頭の肉髻と無見頂の相とが仏に及ばないだけである。このように想い描くのを観世音菩薩の真のおすがたを想い描く想といい、第十の観と名づける。
もし観世音菩薩を想い描こうとするなら、この観を行うがよい。この観を行うなら、さまざまなわざわいにあわず、これまでの悪い行いもさまたげとはならず、はかり知れない長い間の迷いのもとである罪が除かれる。この菩薩は、ただその名を聞くだけでもはかり知れない功徳が得られるのである。ましてそのおすがたをはっきりと想い描くなら、それ以上の功徳が得られることはいうまでもない。 そこでこの菩薩を想い描こうとするなら、まずその頭の肉髻を想い描き、次に宝冠を想い描くがよい。こうして順々に他のいろいろな特徴へと及んでいって、それらのようすもまた、まるで自分の手の中にあるもののように、きわめてはっきりと見えるようにする のである。

この観無量寿経は、中国製と推定されています。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E …

しかし、菩薩が人々を救うためにいろいろやって手をさしのべてくださっても、自力で自分を菩提の境地に持って行くことができない人、修行もできない、瞑想も難しい、邪心を起こしてしまう、悪行さえも何度かしてしまう、あれこれ悩み恐怖や不安を感じてしまう人の方が圧倒的に多いので、とにかく尊像やお釈迦様、菩薩などにすがって、『よろしくお願いします』と自己責任放棄、依存心一杯でもOKということになっています。
死んで、地獄にいっても、やがて救いだしてくれるという役割を、観音菩薩や勢至菩薩は持っていることになっています。
https://hobbytimes.jp/article/20161129c.html
勢至菩薩は、自分の犯した罪を帳消しにしてくれる『神様』ともいえないことはないです。 二十三夜の主尊は「勢至菩薩」
http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200810210.htm
https://syoten2012.jimdo.com/%E5%9C%B0%E5%9F%9F% …
二十三夜待は、太陰太陽暦では毎月23日に月齢に近い月が巡ってくる。行事として行われたのは正月・5月・7月・9月・11月の事例が各地で記録されている。聖天山境内の講中も正月の二十三夜を月待したことであろう。月待信仰が全国的に流行した背景には、太陰太陽暦によって人々が生活を営み、かつ月の持つ神秘さや力にあやかりたいという姿勢が神仏の信仰と結びつき「月待信仰」へと発展したといわれている。 近世以降は、庶民の信仰と近隣住民間の結びつきから多くの講により、造塔も行われたものであろう。  宗教との結びつきから、二十三夜は真夜中まで待って迎えることや下弦の月を舟に見立てて、仏がこの舟に乗って来て民を救済すると信じて崇めたといわれている。

勢至菩薩を『罪を帳消しにしてくれる“神様”』と考えるならば、観音菩薩は『今の自分や家族、子供たちに利益をもたらしてくれる“神様”、来世でも自分や家族、子供たちに利益をもたらしてくれる“神様”』です。生きている間の願いなら何でも叶えてもらえるし、死んだら地獄に行かないようにとりはからってくれるしという“神様”と考えても間違いではないです。

なお、“神様”は「神や仏」の「神」、風の神、水の神、豊作や戦いの神、一神教や多神教の神とは、ちょっと違っていて、普通は、神とは、勢至菩薩や観音菩薩のことは言いません。
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リンクを間違えました


https://hobbytimes.jp/article/20161129c.html ではなくて
https://hobbytimes.jp/article/20170212a.html です。

勢至菩薩ですが、意外なところで活躍しています。それは地獄です。
日本の地獄は十六小地獄。全部合わせて272もあるんですよ。この世の行い気をつけて。というぐらい楽しい地獄ですが、そこには裁判官がたくさんいます。
現世でした悪業の数々を調べて判決を下す裁判官は、閻魔大王だけと思っている人が多いようですが、実際には全部で10人います。ひとくくりにして10大王と言います。閻魔大王はそのひとりで5番目(35日目)の裁判を受け持ちます。
人間は死後7日後に裁判を受けます(初七日)。本人が正直に申告すればそれで裁判は終わる(転生する)のですが、言い訳ばかりが多くてなかなか本当のことは言いません。それで多くの場合は次の裁判官に引き渡されるのです。そして7日ごとに裁判を受け、7回目(四十九日)にようやく結審します。ほとんどの人はここで転生が決まります。法要の中で一番大切な日です。これが終われば忌明けということになります。
しかし罪状や本人の再審請求などによって、その後さらに100日、1年、3年と裁判が続く場合もあります。裁判官を一覧にしてみましょう。
7日目 初七日 ⇒秦広王(不動明王)
14日目 二七日 ⇒初江王(釈迦如来)
21日目 三七日 ⇒宋帝王(文殊菩薩)
28日目 四七日 ⇒五官王(普賢菩薩)
35日目 五七日 ⇒閻魔王(地蔵菩薩)
42日目 六七日 ⇒変成王(弥勒菩薩)
49日目 四十九日⇒泰山王(薬師如来)
100日目     ⇒平等王(観世音菩薩)(ここからは再審制度)
1年目  一周忌 ⇒都市王(勢至菩薩)
3年目  三回忌 ⇒五道転輪王(阿弥陀如来)


なお、勢至菩薩には、罪の抹消・帳消しの他にも、不老長寿、延命などのご利益があるがあるのだそうです。
https://butsuzolink.com/seishi/#i-4
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この回答へのお礼

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お礼日時:2018/09/08 22:38

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