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仏教?仏様を崇拝しても人は幸せにはなれないの?
仏様を拝むこと自体が間違いなの?
人間が勝手に作ったものなの?

質問者からの補足コメント

  • 仏教が誕生した後の世代が解釈を勝手に変えて、例えば、即身仏とか間違ったことをやり始めた。と聞きました。
    そもそも、釈迦さまが本当にいたかどうかとか、仮りに、いたとしても、その考えが正しかったのか?わからないの?

      補足日時:2024/03/06 19:03

A 回答 (8件)

仏様はただの偶像


仏様を拝むのは自らが仏様になることという説もあります
仏様によってお題目も違います
仏壇に向かって手を合わせる時
飾られている花は手を合わせる人が見るように飾られています
お線香は手を合わせる人の虫よけ
お数珠は魔除けとお教の回数を数えるもの
口に出すお題目は
阿弥陀様の教えに共感しますとか
蓮華経の教えに従いますと言っているだけ
いずれもお釈迦様の言葉 
般若心経に書いてある
この世は無であるという事を認めるというような意味
しあわせにしてあげるとは書いていません
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>自らが仏
→即身仏とか?

お礼日時:2024/03/06 18:57

No.4です。



>仏教が誕生した後の世代が解釈を勝手に変えて、例えば、即身仏とか間違ったことをやり始めた。と聞きました。

基本的には、釈尊が説いた教えを『仏教』と言います。紀元前500年頃の事です。
その後、釈迦滅後に弟子が集結し、経典をまとめたと言われています。
これを、俗に『大集経』と言われます。


>そもそも、釈迦さまが本当にいたかどうかとか、仮りに、いたとしても、その考えが正しかったのか?わからないの?

釈尊は実在していましたし、経典は文字として今のパキスタン、アフガニスタン北部から中国に入り漢訳されています。
その中でも、『法華経』は最高の経典とされて中国天台宗から日本へと入り、伝教大師が比叡山に日本天台宗を開き、そこから多くの僧を排出しています。その時点で『法』である『南無妙法蓮華経』は唱題行として、受け継がれてきたのです。

それを、『本尊』として人間が目に見える形で曼荼羅として顕したのが、鎌倉時代の僧であり、末法の御本仏である日蓮大聖人なのです。
この時点で、『末法万年』まで衆生成仏の因となる『法』が建立され、受け継がれてきているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/06 19:24

⚫︎拝むだけで悟れるわけないじゃん。



経典の内容を理解して実践しないと意味ないよ。

それを修行と言うんですよ。



⚫︎マントラや苦行を重視する宗派は嘘っぱちですよ。

空海の真言宗、最澄の天台宗、日蓮の日蓮宗などは、嘘っぱち。

何故なら歴史的背景を勉強するとわかります。

平安時代初期、お坊さんは、現在で言うところの公務員、官僚です。

寺院も坊さんも全て国の管轄でした。

その既得権益を得るために、宗派を作ったんです。


◯それを示す逸話として空海と最澄の喧嘩があります。

最澄が空海に対し、密教の経典を貸してくれと頼んだところ、断られたそうです。

さらに最澄に対して「経典を読んだだけで理解できるようなことでない。うちで4年間も修行すればわかりますよ。」

そこで最澄は自分の弟子を、空海の元へ修行へ行かせます。

ところが、いつまでも弟子は帰って来ず、問いただしたところ、最澄の元へ手紙が届きました。

「天台宗よりも真言宗の方が本物の教えだと思いました。なので、帰りません。」と空海の文字で書いてあったそうです。

それ以来、一切関係を持たなかったそうです。


◯要するに、重要な教えを公開してしまうと、自分の利権が犯される可能性があるため、それを怖れて教えなかったんです。


◯空海も最澄も損得勘定丸出しで、まるで悟ってません。 ゆえに悟ってませんし、嘘っぱちです。


◯日蓮宗は、天台宗の派生なので、嘘っぱちですね。

◯ゴータマシッタールタ本人は、苦行を否定していますし、マントラなんてやったことはありません。

そもそも経典とは、ゴータマシッタールタ死後に弟子たちが、ブッタから聞いた話をまとめたものです。 読むものであって、唱える物ではありません。


⚫︎浄土宗、浄土真宗、時宗も嘘っぱち。

「南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽へ行ける。」

仏教の開祖「ゴータマシッタールタ」は、そんなこと一切言ってません。

それは最もゴータマシッタールタ本人の言葉に近い世界最古の経典である「パーリ語経典」のどこにも書かれてません。


⚫︎法相宗も嘘っぱち。

特徴は「法」を重視するところです。

しかし、その法の内容が嘘っぱちに満ちています。

法相宗の法には、この世の万物を説明しています。

宇宙の成り立ちとか、霊魂の存在とか。

完全な嘘っぱちですね。

詐欺ですね。



⚫︎唯一、本来の仏教に最も近い日本の宗派は、「曹洞宗」、「臨済宗」です。

ゴータマシッタールタが坐禅にて悟った事実だけを重視しています。

開祖であるゴータマシッタールタ本人の教えにかなり近いです。

もちろん多少は、オリジナリティというか、改良されてます。


◯臨済宗は、坐禅をしながら問答をするといった、少しオリジナリティがあります。


◯曹洞宗は、ゴータマシッタールタ本人の教え(坐禅から考え方、法など)に限りなく近いことをします。


よって、日本仏教で最も本物に近いのは、「曹洞宗」です。


⚫︎質問の内容に戻りますが、拝んでも幸せにはなりません。

曹洞宗では、心身一如という教えがあり、修行そのものが悟りと説きます。

日々の修行のルーティンワークを行い、悟ることで自分の悩みや不安を解消させます。

主に坐禅です。

さらに経典の内容も勉強します。

その内容を理解し実践します。


そこまでしないと幸せにはなりません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/06 19:26

原則何かの見返りを期待した行為はまず実らない、と思ったほうが。


ロト6でもある人が言っていました数字5つまでは推理して楽しみなさい、でも最後の数字はサイコロで決めなさいと。
めざしの頭も信心から。
信心?ですね、期待することの実現を信じて・・・・ではありません。
自分にとって良いも悪いも一切任せてひたすら信じるのみ。
「これをすればよいことがある」こんなものに興味を持つ人に方法はありません。
不始末をしでかし、謝罪をしないことを指摘されてから謝罪しても、ちっとも謝罪になりません、当たり前だからです、当たり前のことをしても誰もほめてくれませんね、何の見返りもありません、誠意が皆無だからです。
生きていれば誰もが呼吸しています、だれかほめてくれますか?
すべて、あるがままで受け入れ。それをすればどうなる?なんて考える前に謝罪すべきは謝罪、うれしい、よかった・・その他瞬間ではあるが幸せを感じることが可能か、可能ならばすかさず感謝(対象が他人の場合は「ありがとう」)。
物は分ければ小さくなるが、幸せは分ければ分けるほど大きくなる、でもどう
いわれたほうも一瞬「よかった」幸せを感じ顔がほころびます、それを見れば言ったほうも「よかった」幸せは一つ増えますね。
あるがまま、で受け入れ、それ以上何も期待しない、これも仏教の教えなんです、都合の良いところだけ猿真似しても何の効果もありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/06 19:09

>仏教?仏様を崇拝しても人は幸せにはなれないの?



仏教と一言でいっても、多種多様の宗派があり、その考え方・捉え方は様々です。


>仏様を崇拝しても人は幸せにはなれないの?
>仏様を拝むこと自体が間違いなの?

この『仏』というものも、宗派によっては様々です。

◆『拝む』という事で、一言。

拝むという事は、その先に(対極に)『本尊』(注1)というものが存在します。
逆に言えば、これがないものは『宗教』とは言いません。
これには、当然、正しいものと間違ったものがあります。
正しいものを“正”として、間違ったものを“負”とするならば、そこに『拝む』=帰命する=命を掛けるという事で掛け算をすれば、当然、正はプラスになり、負はマイナスになる、、、という事です。

(注1)『本尊』・・・根本尊行するモノ。信仰の対象となるもの。という意味です。これには、千差万別様々なものが奉られる事があります。


>人間が勝手に作ったものなの?

仏とはいっても人間です。
普通の人間ではなくて、森羅万象にわたる『法』を知覚したから『仏』なのです。

本来であれば、『正しい本尊』に祈りを込めて、自分自身の生命境界を日々向上させていくための信仰が仏教であり、その行動によって自分自身が変革し幸せな境遇へと成って行く事をいいます。

その為に、仏は『法』というものを残しました。
『法』というものは、『南無妙法蓮華経』の事です。

この御本尊の前に単座して南無妙法蓮華経と唱える時に、あなたの胸中にある『仏の生命』が開いていくのです。その生命が根本と成って、あなたの心、あなたの表情や言葉、身体、行動を作り、それが家庭環境、社会環境まで連動していくのです。


参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。
⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。
⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。
⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁覚界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。
⇒声聞、縁覚二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/06 18:59

仏教は仏様より先祖を大切にすることです。



仏壇で先祖は拝むと蠟燭をつけると、蝋燭の変化で危ない時に教えてくれます。

仏さまを拝むより、先祖を供養したほうがためになります。
私は先祖に助けてもらっています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

葬式仏教?

お礼日時:2024/03/06 18:59

考え方が違う 


仏様はいつもあなたを見守っているから、曲がらず挫けず真っ直ぐ生きなさい、常に人を思い遣り感謝と報恩に勤しみなさい、そうすれば仏様はきっと貴方を幸せに導いてくれるという事で、何もしないで仏様にお願いしても幸せにはなれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/06 18:59

仏教とは精神的苦痛を緩和するためのケアを目的とした精神医学の一種です。


ヒトを苦痛を取り除くことが「幸せ」に通じる場合もありますが、本来は「幸せ」を与えてくれることを目的とした宗教ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/06 19:00

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