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日本各地に権現様と呼ばれる神楽がありますが、この権現とは
何なのでしょうか?教えてください。

A 回答 (5件)

ごん-げん【権現】


仏、菩薩が衆生(しゅじょう)を救うために種々の姿をとって
「権(かり)」に現れること。
また、その現れた権の姿。
権化(ごんげ)。
「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」説では、仏が化身して日本の神として現れること。
また、その神の身。
熊野三所権現・山王権現の類。

広辞苑(第六版) より
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>権現とは何でしょう



「権」は仮で、「現」はあらわれるということです。まとめると、仮(権の訓読みも「かり」で、同じ意味です)に現れるということになります。仏や菩薩が民衆を救うために、仮に神の姿となって現れたものを言います。
仏教が入ってきてから、日本古来の神々との融合が考えられ、奈良時代から神仏習合が進むようになります。最初は神前で経を読むなどでしたが、神社に神宮寺を建てたり(伊勢神宮にもありました)、寺院の鎮守として神社を建てたりするようになります(東大寺の手向山八幡宮が有名)。
これが、平安時代の本地垂迹説(「本地」は本来の、本源の意味。「垂迹」は、迹(あと)を垂れるということで、姿を変えて現れること)になると、神は仏が仮に形を変えて現れたものとの考えが出現します。八幡神は阿弥陀如来が本地仏で、日本に八幡神の形で現れたと考えられ、僧形八幡神像が作られたり、八幡大菩薩の称号を朝廷から贈られたりします。また、熊野大神はやはり阿弥陀如来が本地仏で、日本に熊野権現の形で現れたと考えられ、平安時代末期には「蟻の熊野詣」といわれるほどの人気を持ちます。
このように、本地垂迹説では神の本来の姿は仏であるとし(仏主神従)、仮に神の姿で日本に現れたと考え、「権現」号が出てきたのです。後の時代では、神主仏従の反本地垂迹説も出てきますが。

以上、参考までに。
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権現というのは、下の方も書かれている通り、仏様がいろいろな神様の姿で現れたものです。


神楽の場合は獅子舞のような獅子頭をした神様が出て来ます。
この権現様の歯で頭を噛まれると病気の予防になり、胎内めぐり(権現様の胴体の布の中に入れてもらう)をすると厄除けになる
と言われています。
権現様は神楽の中でも特に東北地方で行われている「山伏神楽」に出てくるようです。
山伏と言えば修験道ですが、これは神仏習合の信仰に関わっていますので、
この神楽を行う神社に祭られているのが「権現様」と呼ばれたりする訳です。
祭りの時に神社の神霊が獅子頭に降ろされ、獅子頭はご神体が宿った「権現様」となります。
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>この権現とは何なのでしょうか?教えてください。



皆さんの回答通り、民衆を救うために現れる仏です。
江戸末期まで、神仏習合で「仏が民衆を救う目的で姿をあらわした姿(神)が権現」となっています。
つまり、権現は仏の仮の姿です。(姿は神でも、中身は仏)
明治維新までは、仏が優先で神は仏より一歩低くみられていました。(仏主神従思想)
例えば、讃岐のこんぴらさんで有名な金毘羅神社。
江戸時代末期まで金光院松尾寺と称していて境内に金毘羅社が存在してました。
明治の廃仏毀釈で、金光院松尾寺は廃寺。建物はそのままに坊主が神主になり金毘羅神宮として独立しました。
金毘羅神宮の旭社は、旧金光院松尾寺の金堂です。

徳川家康が死亡した時、大明神として祭るか権現として祭るかの論争がありました。
家康の埋葬式は吉田神道で行ないましたが、号でもめたようですね。
本田正純・金地院祟伝・徳川秀忠は「大明神」を主張しましたが、天海の「豊国大明神(秀吉)とした結果豊臣家は滅んだ!」との一言で「東照大権現」に決まったようです。

神号か仏号か?
今は宗教の自由ですが、1945年まで時の政権によって神社・仏閣の地位が変わったように、権力者の葬儀も大変だったようです。
徳川2代から14代までは仏式で葬儀を行ないましたが、明治期に死亡した慶喜は神式で葬儀を行なっています。
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仏教が輸入された結果、日本ではさまざまな神仏習合の現象が起こった。


カミとホトケが混ざり合って「仏神」という考え方ができた。
「神宮寺」というのは、まさに神社の中に寺を建てたものです。
また当時には多くの天皇が仏法に帰依した。
神前でお経を読み、神を供養することが行われた。
その逆に、仏教が怨霊を鎮めるという逆の現象も起こった。
神社で仏を祀るという「権現さま」も、これら神仏習合のひとつの例です。
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