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日本では昔は人間の排泄物(糞尿)を肥料に使う文化があり、貴重な肥料として取引されていたために江戸時代以前の日本の都市は清潔だったと言われています。

一方、欧米でそのようなことをやっていた話は聞かないため(道に投げ捨てていたということは聞きます)、その状況では下水道が普及するまで(民家の隅々まで普及したのは最近だと思われます)、どのように処理していたのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 欧米では排泄物を肥料にする文化がなかったのか聞いているのに、それを出鱈目だと答えたのは、欧米でも排泄物を肥料にする文化があったという回答でよろしいか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/18 00:02
  • >都市の排泄物を大規模にリサイクルする江戸のようなシステムがそもそも欧米にはなかったのです。
    → そうであれば、昔の欧米の都市は排泄物を処理せず、相当臭くて不潔だったんでしょうね。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/19 07:30
  • 人権も同じですね。欧州では奴隷制が存在し、女性差別・人種差別が激しかったなど、人権が無視されてきたからこそ、人権の重要性に気付き、人権思想が発達しました。

    日本は奴隷制もなく、各種差別も少なかったからこそ、人権思想を発達させる必要がなく、発達が遅れたと思います。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/20 07:10
  • >日本は奴隷制度も差別もありました
    → おっしゃるとおりゼロではなかったと思いますが、欧州に比べると大分少なかったです。
      乱世の戦国時代にはいたようですが、江戸時代になると幕府が禁令を出したくらいです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/20 23:39
  • >人権の概念と奴隷制、女性差別、人種差別は、あまり関係ないです。
    → 奴隷や差別は人としての権利が無視されている状態です。全ての人間は普遍的な権利を持つべきだというのが人権ですから、差別や奴隷をなくしていこうという動きに直結します。

    >それも違うでしょう。仮に、そうであるなら中東や東欧で、そういった概念が作られたでしょう。
    → 異国人を奴隷として使役し、女性差別・人種差別が最も酷かったのは近世までの西欧です。中東も東欧もむしろ植民地化された側で、スラブ人はSlaveの名の通り、奴隷にされた側です。また、イスラム教はムスリム間における平等が徹底されています。

    >奴隷制はありましたし、差別、特に人種差別の概念は日本が発端なのでは?
    → 人種差別を大々的に行ったのは、欧米です。日本は逆に人種差別の撤廃を言い出した側です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/21 00:01
  • >差別はそうなのですが、奴隷は「人間でない存在」であっても良いです。
    → 奴隷は人間でない存在とされていたというのは、人権が無視されていた状態そのままだとい思います。

    >東欧は理解できるのですが、中東が植民地というのが理解できないです。
    → シリア、レバノンはフランスの植民地でしたし、イラク、ヨルダンはイギリスの植民地でした。
      トルコ、イランは植民地にはならなかったものの、欧米の干渉を受け半植民地状態でした。

    >サウジアラビアやスーダン、ナイジェリアでは奴隷制がありますけれど。
    → ムスリム間における平等と書いてます。異教徒を奴隷にすることはあるようですね。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/24 06:56

A 回答 (9件)

何処で そんなデタラメを・・?



欧米が水洗トイレを利用していても 昭和時代にも肥溜めがあったり 汲み取り式トイレだったりと・・

今でこそ 日本のトイレ事情は綺麗になったが 昭和の国鉄時代 ・・殆どの駅のといれは臭かった・・

そんな日本が言える筈無いだけ・・
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所謂ペストなどが流行ってた時代ですよね。


そういうのの処理は基本的に奴隷の仕事です。
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都市の排泄物を大規模にリサイクルする江戸のようなシステムがそもそも欧米にはなかったのです。


農村などの狭い範囲では家畜の糞尿は堆肥としてリサイクルされていました。その際、人糞なども混ざっていたようで、明確に人間の糞尿のみ別扱いしたということは確認できませんでした。

ちなみに都市からの人糞輸送は関東では西武や東武によって昭和20年代後半まで行われていました。
https://41-31.at.webry.info/200810/article_1.html
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川に流していた。



臭くて、不潔であったらから、公衆衛生の重要性に気づき、そこから医学が発達しました。日本は、中途半端に清潔であった分、医学の発達が欧州に比べて遅れました(発達させる必要がなかった)。
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補足をいただいたので、回答します。



人権の概念と奴隷制、女性差別、人種差別は、あまり関係ないです。

>人権が無視されてきたからこそ、人権の重要性に気付き、人権思想が発達しました。
それも違うでしょう。仮に、そうであるなら中東や東欧で、そういった概念が作られたでしょう。

>日本は奴隷制もなく、各種差別も少なかった
奴隷制はありましたし、差別、特に人種差別の概念は日本が発端なのでは?。人種差別撤廃を国際会議で初めて提案した国は、日本です。

余談ですが、奴隷制がなくなったのは農産物の加工と言った第二次産業が勃興したことで、労働者が消費者という立場になったからです。
女性の権利に関しては、前世紀の70年代からであって、同じ時期に日本でも起こっていました。
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>日本は奴隷制もなく、各種差別も少なかったからこそ、人権思想を発達させる必要がなく、発達が遅れたと思います。


横から失礼します。

これに関してですが、とりあえず網野史学をお勧めします。
日本は奴隷制度も差別もありました。
義の武将イメージで有名な上杉謙信ですら黙認してたくらいです。
奴隷も一般的な奴隷から神奴まで、様々でした。
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バックトゥーザフューチャーでは、肥やしに突っ込んでましたが。

。。
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補足を頂いたので、回答します。



>奴隷や差別は人としての権利が無視されている状態です。
差別はそうなのですが、奴隷は「人間でない存在」であっても良いです。帝国主義時代の黒人やアメリカ先住民の奴隷を、誰も「人間」だと考えていなかったです。
>全ての人間は普遍的な権利を持つべきだというのが人権ですから、差別や奴隷をなくしていこうという動きに直結します。
「人間」は権利を持つべきですが、「人間でない」物であった奴隷に権利があるとは考えないでしょう。奴隷制がなくなったのは、産業形態の変化です。

>中東も東欧もむしろ植民地化された側で、スラブ人はSlaveの名の通り、奴隷にされた側です。
東欧は理解できるのですが、中東が植民地というのが理解できないです。第一次世界大戦でもオスマン帝国は健在でしたし、サウジアラビアやイランに至っては西欧の植民地になっていないです。それに、スラヴ人が奴隷化したのはローマ帝国ですし、ローマ帝国を含めたら西欧だけでなく、北アフリカなども含まれます。
>イスラム教はムスリム間における平等が徹底されています。
サウジアラビアやスーダン、ナイジェリアでは奴隷制がありますけれど。
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日本のようなたい肥システムはありませんでした。

理由は「家畜が居たから」です。

日本がなぜ「人糞」を大切にしたかというと、日本では放牧も家畜を使った農作業も、馬車なども無かったからです。
逆を言えば外国は人糞を取らなくても農地の隣に家畜の糞がたくさんあったので、それを利用しただけです。

補足 奴隷制について

日本にも奴隷制がなかったのか?と言われればありましたが、システムが世界の一般的なモノとは全く違います。

まず「使役」と言う点について、日本は大和朝廷成立後に事実上奴隷制を廃止します。理由は「各豪族が同じ日本人になったから」です。根本的に日本では奴隷身分であっても「日本人」であり、身分制度のシステム上の最下級民にすぎませんでした。

外国というかユーラシア大陸の場合はそもそも「民族が違えば人間ではない」というのが基本概念で、だから民族同士の戦争で負ければ皆殺しが普通、良くて奴隷として売られる状態でした。奴隷と言うのは「民族が違えば人間ではない」と言う概念でいえば「人と同じ姿をして言葉をしゃべることができる家畜」です。

大陸では「奴隷=家畜」であり、日本では奴隷=最下層民だったのです。家畜という人間ではないものと、最下層であっても「人間」として扱われるのでは、その後の概念の変化に及ぼす影響が全く異なります。

ですから日本では、借金のカタに売られる奴隷身分を何度となく廃止しようとしています。経済原則からいえば必ず最下層に落ち人身売買の対象になる人はいるのですが、結局日本は「自分の労力をカタに借金するのは黙認する。ただし、貸せるのは障害の1/3の期間程度」というやり方になっていきます。ですから女郎などは「売り上げが上がらないので、化粧代や衣装代などでなかなか借金が終わらず年季が明けない」ということがあっても、基本的には「借金を返す」ことで奴隷的身分から脱することができました。

大陸の奴隷制は地域によって異なり、民族が違うとか宗教が違うなら絶対奴隷という場合もありましたが、少なくともローマやギリシャでは自分で自分を買うことで奴隷身分から脱することができました。
そして大陸の奴隷は「終身」ですから、人身売買の費用も日本の3倍ぐらいだったと言われています。

だから戦国時代に宣教師が来た時に、日本の奴隷身分の人たちの値段が大陸の1/3なことに目を付けて買いあさることになるわけで、その結果(日本では年季が明けたら奴隷から解放されるので)、いつまでも解放されない日本人たちが抗議し、それが秀吉の耳に入って宣教師による奴隷購入が禁止になったのです。

日本と外国の「奴隷」というのは言葉は同じですが概念が全く違います。だから欧州で啓蒙思想による「人権」ができたことと、日本に人権と言う概念が無かったことはなにも矛盾しません。
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