先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。
その時の回答をそのまま引用します
<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s
マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>
わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネットでは、主にわたし同様、心の病を持った人のブログを読む。それ以外は専ら海外のアート・サイトを渉猟するだけで、WEBニュースもまとめサイトも覗くことはありません。ですから、最近の言葉はほとんど知りません。
「マウンティング」という言葉も初めて知りました。
以下リンクの記事より
「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。そのため、自分よりも格下の人間をつくりだすことで、集団内での序列を少しでも高めて、上位にいるという安心感を得ようとします。」
わたしはブログを通して、自分同様に自己肯定感の極めて低い人たちを知っています。
けれども、わたしの知っている「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。
「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?
「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?
No.1
- 回答日時:
>この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?
さあ、判りません
マウンティングを理解していないですから
だいたい猿のマウンティングは強いオスが弱いオスを従属させる為の行為ですから、根本から間違っていますし (^_^;
こんばんは。
>だいたい猿のマウンティングは強いオスが弱いオスを従属させる為の行為ですから、根本から間違っていますし (^_^;
そうですか。
わたしも初めて知った言葉ですので、その本来の意味までは知りませんでした。
よく調べもせずに書いてしまい、申し訳ありあませんでした。
ご回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
「確たるものは何もない。
それが知の到達点」その通りと思います!
で、えっと「マウンティング」についてですが…
私見なのですが
マウンティング、というか、自慢をする人、いますよね
でも自慢ばっかりの人って
大したことない人が多くないですか?
本当にすごい人は自慢しない
自信家と言えば自信家なのかもしれないですね
ただ、ほんとに実力があるかないかって言ったら…
カラ元気ならぬカラ自信
という感じはします
質問者さまのおっしゃる
「自信のない人たち」というのは
たぶん、本当に自信のない人たち
でも側から見たら、そうでもなかったりする
例えばなんですけど…
たいして美人でもないのに、なぜか自信がある人っています
そういう人は、他に美人がいても褒めないし、美人たちの悪口もいいます
この記事で書かれているのは
このタイプなのでは?と思うのです
こういう人を、自信家って言うんですよね
でも実際はたいして美人じゃないから
その自信というのは
危ういものなんじゃないか?
危ういから、自信をかためようと
自慢したり他を貶したりする
そういうことを言いたい記事なんじゃないでしょうか?
こんばんは。
>マウンティング、というか、自慢をする人、いますよね
でも自慢ばっかりの人って大したことない人が多くないですか?
仮に実力を持った人であっても、それを誇ったり、自慢したり、まして自分より下(ー単に会社での仕事であるとか、運動であるとか、会話力であるとか、部分的な能力に過ぎませんが、それを以て、全人格に拡大してしまう)という存在を作り上げることで、却って、自分を貶めている、安っぽくしていると思います。
わたしのように本当に無力・無能であっても、またうつ病などで、自分は無価値で無能であると思い込んでいる人であっても、そういう「自信のない人」の中にいるとホッとするんです。
これはわたし個人の目指す価値観であり美意識ですが、「低くあれ、小さくあれ、弱くあれ」
またそういう人達の中に、人間の本来の気高さのようなものを感じるんです。
下がいるから上である・・・それは結局相対的な価値でしかありませんよね。
下を作るということは、同時に常に上に怯えていることになります。
そういうのって却って疲れませんかね。
上でもなく下でもなく、わたしは絶対的にわたしでしかない。そこに優劣はないとはおもえないのでしょうか。
ご意見をありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
最近の言葉はほとんど知りません。
「マウンティング」という言葉も初めて知りました。
↑
マウンティングという言葉は昔から
ありました。
こう言ってはなんですが、ワタシは小学生時代に
知っていました。
学校で習いませんでしたか?
「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり
「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。
ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。
↑
自信のある無しには、段階、程度があるのでは
ないですか。
中途半端に自信が無い人がマウンティングをやる、
ということだと思います。
全く自信が無い人は、ただただ、嘆くだけ。
大いに自信がある人は、マウンティングなどする
必要を感じない。
「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、
自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?
↑
自己顕示欲がある野心家、というのはその通りかも
しれませんが、自信の有無はどうでしょう。
「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?
↑
科学的に調査したわけでは無いでしょう。
中途半端に自信があるひとが、そういう行動を
とるのを見聞しただけだと思います。
本来知性や洞察力というものは、それが蓄積されればされるほど、
自己の価値観を、世界を、事物を、対象を「相対化」
して見てしまうという副作用を持つものだと思うのです。
↑
それはありますね。
「確たるものは何もない。」それが知の到達点ではないでしょうか?
↑
到達点なのですから。
確たるものは何も無い、を越えて確たるものを
得るのが到達点だと思います。
こんばんは。
>こう言ってはなんですが、ワタシは小学生時代に知っていました。
学校で習いませんでしたか?
あ、ちょうどその日は風邪で休んでいました。
>大いに自信がある人は、マウンティングなどする必要を感じない。
人によっては大風呂敷、大ぼら吹きなども愛されることもありますけどね。
ただ、それはあくまで、から元気だからこそ愛されるのであって、世間的な成功者はやはり謙虚である「べき」
とはいいませんが、その方が見栄えがいいですね。
>確たるものは何も無い、を越えて確たるものを
得るのが到達点だと思います。
その到達し得たと思う地点でさえ、また大いなる風によって次のページが開かれる。
わたしは人間にとって、世界も人間も、生命も、宇宙も、永遠の謎であっていいと思います。
ラッキョウたまねぎ派です(笑)
ご回答をありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
それって自己愛性人格障害って事じゃないの?
思考の問題ではなく性格の問題であるって事
自分を認めて欲しいって欲求は誰にでも有ります
それが内に向かうか外に向かうかの違いちゃうの?
どうも哲学界隈には知性=哲学って考えてる人が多いのですよね
哲学なんて所詮学問の一部門なんちゃうの?
何でもかんでも哲学的思考で物事を考えるのは
視野狭窄なんとちゃうの?
こんばんは。
>それって自己愛性人格障害って事じゃないの?
思考の問題ではなく性格の問題であるって事
でもそれも根拠はありません。わたしも嘗て、人格障害の権威といわれた精神科医に、「自己愛性人格障害である」太鼓判を押されましたよ。
それ以降かかった精神科医にそのように言われたことは一度もありません。
つまり、それほど精神障害の特定は困難だということです。
>哲学なんて所詮学問の一部門なんちゃうの?
何でもかんでも哲学的思考で物事を考えるのは
視野狭窄なんとちゃうの?
政治には政治哲学があり、法や秩序には法哲学があり、医療関係者には高い倫理観が求められます。
わたしの母校の創立者は「諸学の基礎は哲学にあり」と言いました。
わたしは人間が生活してゆくうえで、哲学は欠かせないと思います。
だからナポレオンは、小学校からの哲学教育を必須としたのだと思います。
ご回答ありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
>「確たるものは何もない。
」それが知の到達点ではないでしょうか?まさに「無知の知」ですね。
マウンティングについて
>「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。そのため、自分よりも格下の人間をつくりだすことで、集団内での序列を少しでも高めて、上位にいるという安心感を得ようとします。」
も
>「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?
も、ある条件を与えれば矛盾しません。というより、そのある条件がないと「マウンティング」は起きないのです。
その条件とは「集団であること、その集団に社会性が必要こと」です。
マウンティングは猿などの集団生活を営む動物の行動から生まれた言葉です。これを近年人間社会にも当てはめるようになってきているので、割と有名になりました。
そもそもマウンティングと言う行為は「集団」じゃなければ起こらないし、集団の秩序を維持し「不必要な争い」をさけるために必要なものなのです。
ですから「マウンティングを常に仕掛ける個体」は「序列の中の自分の立ち位置に不安か不満がある」と考えていいわけで、不安のほうなら「自分に自信がなく、他の個体(たぶん自分が勝てる相手)に挑戦することによって(そしてたぶん大体の場合勝つから)不安が解消される」ことになります。
逆に「野心家で自分の地位に不満がある」ならどんどん強い個体に挑戦し、勝てば地位を高められるわけです。
その個体における動機はまたったく逆ですが、現れる行動は同じ、ということになり、どちらもありえるわけです。
で、人間の場合、マウンティングはおもに「女性同士の序列争い」に使われます。理由は「男性同士は実力が見えやすいので、マウンティング(まあはっきり言えば喧嘩)をしないでも序列ができ、またマウンティングのリスクのほうが大きい(学内なら停学や退学・社会なら逮捕・相手をケガさせれば保障問題)ので目に見えるマウンティング行為はしないのに対して、女性同士のマウンティングは非常に陰湿で物理的な暴力を殆ど伴わないからです。
結果として「自身がある個人」が「あいつ生意気」としてマウンティングをすることで「なるべく優位に立ちたい」とおもうわけで、学校などでは「自分の地位を盤石にする」といってもそもそもそんなヒエラルキーはないのですから、スクールカーストと呼ばれる幻想におびえてマウンティング行為に及ぶ、と解することもできるわけです。
>「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。
動物の個体では、こういう個体は起こり得ません。なぜならそれは「死」を意味するからです。冬が来れば確実に食料が少なくなり、生き残る努力ができない個体は生存できないのです。
人間社会においては、少なくとも現代は「自己の無価値を嘆く」状態でも、生きて行くことはできますし、経済的な工面ができるなら、ほぼ誰とも没交渉で生きることも不可能ではありません。
また「自身のない人」は自信がないゆえに「他の人と競争するのを避ける」傾向が強いので、孤立を選ぶことが多くなるといえます。
したがって現代社会には「マウントしたがる社会的個人」と「マウントを避けたい孤立的個人」が両立しうる「社会」が存在するといえ、ご質問の内容自体が矛盾したいといえるでしょう。
こんばんは。
>そもそもマウンティングと言う行為は「集団」じゃなければ起こらないし、集団の秩序を維持し「不必要な争い」をさけるために必要なものなのです。
しかしその「マウンティング」自体が不必要な諍いではありませんか?
わたしは「マウンティング」という概念については無智ですが、企業、組織内に頻発(?)するパワハラなども、形を変えた「マウンティング」=示威行為ではありませんか?つまり弱い者を叩くことで自己の力を誇示するという点で、パワハラもマウンティングと同一視できるようです。
また、男性の場合は「喧嘩」と仰るが、身体的・物理的な暴力以上に、言葉による、また行為による精神的厭がらせの蔓延は、かならずしも、男性にマウンティングは少ないという結論には結びつかないように思えます。
いずれにせよ、組織・企業・集団の中で、マウンティング(仮に示威行為)が発生するのは、自己の絶対的な価値を認められず、上下という関係性の中でしか、自己の位置を見出し得ないという不安定さに由来するのでしょう。
要は「個」「個人」というものが確立されていないということ。また社会が、人間集団が、「主張する個」にたいして極めて不寛容であるということ。
みなさんの意見を読んでいると、「マウンティング」って疲れるだろうし、空虚だろうし、常に下位に落ち込むことに恐怖を感じていなければならないだろうし、大変だなぁと思います。
そもそも「上に立ちたい」という心理自体がわからないもので。
ご回答ありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
>決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。
ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。こういうのは、謙遜の場合もありますが、マウンティングの裏返しの場合もあります。
誰に対してもマウンティングする人もいれば一部の人達に対してマウンティングする人もいます。誰に対しても正々堂々と接しているなら、デキル人で自信家と言えるかもしれません、反対に一部の人達に対してマウンティングをする人は他の場面では謙遜したふりをしてたりします、こういうマウンティングをとるひとが、自信のない人と言えると思います。自信のない人でマウンティングをとりたがる人は謙遜のふりをすることがおおく、たいていは虚言癖があります。
こんばんは。
マウンティングとは、「相手が何者であろうとなされるもの」ではありませんね。
自分より、「弱い存在」とみなした相手に対して行われるものです。
自分より立場が上のものに向かっても堂々と物をいうことは、この場合「マウンティング」とは呼ばないようです。
マウンティングは、自己が個として確立されていないが故に起こる現象で、誰にでも自己を主張できる者は、
いい意味で「こわいもの知らず」であり、またいい意味での自信家でしょう。
つまり個が相対的関係性の中に埋没していない存在といえるでしょう。
ご回答をありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
二点 ピンポイントのコメントです。
あたらしい理論や学説を発表すると それはマウンティングだと批難の意を込め
て言う場合があります。
ニュートンからアインシュタインへそして量子論といった流れは 中立の意味で
のマウンティングだと言えるはずだという余地を確保しなければならないかも知
れません。
つい先ごろ 日本人の系統について 韓国人との親縁性がかなり強いという《核
DNA分析》の研究成果を知りました。これも マウンティングです。
▲ (ヰキぺ:日本人) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
§ 4 系統
4.1 分子人類学による説明
4.1.7 核DNAに対するゲノムワイドな解析
4.1.7.1 核DNA解析によって推定される日本列島への人類集団の移住の歴史
・・・
・ 第三段階前期(農耕民)(約3000年前-1700年前)
朝鮮半島を通じて稲作を主とする渡来民が流入し、水田稲作を導入した。
・ 第三段階後期(約1700年前-現在)
政治の中心が畿内に移り、朝鮮半島に加え、現在の上海周辺からも若干の渡来民
が流入するようになった。
仮に東アジアの六集団(本土日本人、アイヌ人、沖縄人、韓国人、北方中国人、
南方中国人)がすべて三つの集団の混血からなると仮定してゲノムを分析すると、
・・・
第三段階の集団の遺伝子は南方中国人のほぼ100%を占め、北方中国人の90%
前後、韓国人の70%前後もこの系統である。
(☆ 要するに第三段階において 大陸や半島からの人が多くの割り合いにおい
てやって来ている――という意味でしょうか)。
ただし、これらの推計は限りなく単純化されたもの・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*
もう一点は 苦言です。
★(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本来知性や洞察力というものは、それが蓄積されればされるほど、自己の価値観
を、世界を、事物を、対象を「相対化」して見てしまうという副作用を持つもの
だと思うのです。
「確たるものは何もない。」それが知の到達点ではないでしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり 《到達点》をも相対化して捉える必要があるのでは? (これも
マウンティングのかたちになっているようです)。
《諸行無常》あるいは《無知の知》もしくは《不可知》は 相対視すべきはずで
す。
こんばんは。
>あたらしい理論や学説を発表すると それはマウンティングだと批難の意を込めて言う場合があります。
しかしそれではなんでもかんでも「ハラスメント」と呼ぶように、革新的運動が全て「マウンティング」と総称されるのも軽薄な感じですね。
ウィキペディアの不正確さについては、わたしの知る限りですが、作家辺見庸、仏文学者鹿島茂から「苦言」と「困惑」が述べられています。
また朝鮮民族と日本人とが血縁である。たとえ話し半分でもいいはなしじゃありませんか?
>☆ つまり 《到達点》をも相対化して捉える必要があるのでは? (これもマウンティングのかたちになっているようです)。
>《諸行無常》あるいは《無知の知》もしくは《不可知》は 相対視すべきはずです。
上記の諸概念ももちろん検証を経るべきです。けれども、あくまでわたしは、真理とは蜃気楼の如しだと(勝手に)思っています。
ご意見をありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
英語ではいじめは、bullying、いじめっ子はbullyと呼ばれます。
角を持った牡牛です。お猿の例を使う日本とは、少し違っています。BBCの記事では、Ditch & Labelの8,800人を対象にした調査によると、いじめをしたことのある人はほぼ、五人に一人で、66%は男性だったそうです。
そして、いじめを始める五年以内に、家庭内の不和や両親の離婚、または、家族の死など、決定的なストレスの原因になる出来事が起こっている。そのストレスを、スポーツやカウンセリングなど、ポジティブな方向で軽減できた人たちは、状況が悪化し、ストレスレベルが頂点に達してしまったとき、非常にネガティブなエネルギーが蓄積され、溶岩がだらだらと流れ落ちるように、自分自身にとっても、決してプラスにはならない行動。。。いじめ・アルコール依存・あるいは、暴力に走ってしまい、そして、それがやめられなくなってしまう。
いじめをしなければ、ストレスに負けてしうため、やむに已まれぬ状況であったと分析しています。
いじめの加害者は、66%が男性というのも、社会は男性に強さを期待し、女性のような女々しさで、愚痴や弱音を吐くことを許さない、社会的な圧力にも耐えなくてはならないからだろうと、結論付けています。
いじめの加害者が自信家であるかどうか、というご質問ですが、そもそも、自信家の定義とは何でしょう。自尊感情の高いことは、決して悪いことではありません。自己顕示欲に囚われた人が、本来的な意味で、自分に自信のある人かどうか、私は、非常に懐疑的です。
本当に自分に自信のある人でも、非常に謙虚にしておられる方もいらっしゃいます。ですから、自信のあるなしと、いじめの加害者を結びつけるのは、ちょっと違うんじゃないかなぁ、と考えます。
こんばんは。
チャオポルポさん、ちょっと誤解があるようです。
紹介してもらったリンクの記事によると、自信のないものほど、自慢をしたがる、そしてそのこと(学歴やあれこれの実績)によって優位な立場を得ようとすると書かれています。
これに対してわたしは、自慢をしたがる人は、自己顕示欲が強く、むしろ自信家なのではないか?という疑義を呈しました。
ここでは、自慢すること、優位に立とうとすること、またその欲求がいじめを生むとは述べていません。
逆に
>いじめをしなければ、ストレスに負けてしうため、やむに已まれぬ状況であったと分析しています。
というひとつの調査があっても、いじめを正当化できるわけではありません。
>いじめの加害者は、66%が男性というのも、社会は男性に強さを期待し、女性のような女々しさで、愚痴や弱音を吐くことを許さない、社会的な圧力にも耐えなくてはならないからだろうと、結論付けています。
社会の構造はそのまま社会の構成員である生身の人間の精神に圧倒的な影響を及ぼします。
資本が利益追及を止めない限り、世界規模での資本をめぐる競争が止まらない限り、人間の生体は悲鳴を上げながら生き続けることになるのでしょう。
ご意見をありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
その人から「マウンティング」という武器あるいは玩具を取り上げてしまうと、途端に2本足で立ってゐられなくなり、一瞬で頽れてしまう人がいます。
きっと自身の「自尊心の欠如」に向き合うことなく、適当な対象を使うことにより誤魔化してばかりだったのだと思います。「マウンティング」という武器あるいは玩具には、消費期限があり、それは案外短いのではないかと思います。こんばんは、瀬里香さん。
仰るとおりですね。つまり既に木村敏が70年代に指摘しているように、日本人は「個」というものが極めて希薄で、「人と人との間」によって、つまり関係性の網の目の中に生きている、と。
下がいるといことは、「その人自身」が優れていることの証明にはなりません。あくまでも相対的な関係性の中での位置に過ぎない。
トップであっても、無数の下位に依存している。
この妙な構造から抜け出して、仮に跛であっても自分の脚で立てばいい。
そもそも他よりも優れているということがどれほどのことでしょうか?
大事なのは優れていること以前に、わたしがわたしであること、だと思います。
リンクと回答をありがとうございました。
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