

陸軍にいた祖父は、昭和21年4月21日に上海を出発し、同年4月29日に舞鶴港についています。出発時には上等兵ですが、到着時に兵長に昇給し、同日復員しています。
これはどういう意味なのでしょうか。
引き上げの船上で功績をあげたはずもありませんし、そもそも兵隊は功績ではなく年数で昇給するそうです。
たまたま到着日に規定の年数に達したので昇給したということでしょうか。
それとも、復員と同時に階級があがるということはよく行われたことですか?
その意味は何ででしょうか。ご存じの方がいましたら教えて下さい。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
有名な、いわゆるポツダム進級だと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84 …
佐官以下は恩給などで優遇される上位で退官させたのです。
No.7
- 回答日時:
敗戦後、ポツダム進級の時は、戦後の新円ですから価値は旧円と違い高くないです。
今の円と同じです私が観た証書のは、軍の将兵の退官手当(恩給)ではなく、引揚者の給付金の証書だったのですが、
観せてもらった時、40年くらい前?でその金額を観て途中で引き換えに行かなくなったのが理解できましたし、今なら1000円?も価値がないかな…。
ちょっと調べてみたのですが、
軍人の恩給は、占領軍の意向で1946年に一旦廃止になり、サンフランシスコ講和条約後、これではいけないと1953年に予算化の問題が出てから、恩給を支給するようになりました。
戦前からの職業軍人ではなく、もし徴兵で戦地に行って復員してきたとなると、任官期間が短い下士官だと数十万円を貰えたようです。
が、この手の役所の書類は読んでも用語が理解できず私には判りません。
が、やはり新円で今の円と同じです。
調べてくださりありがとうございます。
昭和20年に軍歴の抹消命令が本部から出たそうで、ほんとに燃やしちゃった自治体もあるそうです。私の祖父のところがまさにそうなのですが、愛知県が補完していた兵籍歴は7割が焼失してます。地域によっては、身を挺してその蛮行を食い止めた担当者もいたとか。何人か忘れましたが数十万人ぶんです。軍歴がないのにどうやって恩給を払ったのでしょうね。うーん。疑問が次々出てきてしまいます。私も調べてみます。
No.5
- 回答日時:
もちろん復員兵さんにも退官手当があったと思いますが、全額一括ではないかも知れないです。
復員兵ではないですが、外地からの引揚者の手当金では、現金引換券付きの証書があって一枚金融機関に持っていくと100円(記憶なので金額不正確)と交換するような書面を、私が子供の頃に観た記憶があります。
一つの引換券に引換可能開始の年月日が書かれていたように覚えています。
銀行振込なんてなかった時代ですから、分割支給を現金引換券付きの証書でしていました。
当時の100円って10万円くらいだと何かで読みましたが、何枚くらいもらえたんでしょう。
意外とその辺のことが調べても出てこないんです。参考になります。
No.3
- 回答日時:
ポツダム進級 と呼ばれているものです↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84 …
退官の手当や恩給を多く貰えるようにするための処置です。
外地から無事復員して進級です。
”ポツダム(階級名)” というような言われ方をしていて、ポツダム少尉とか言われていたそうです。

No.2
- 回答日時:
軍人恩給や地位等を有利に計らうためです。
それらの計算のもととなるのは「退職時の地位」です。
①退職時に大将になっていれば、大将の正味期間にかかわらず大将の恩給がもらえます。
②現役のうちに大将の地位に昇っておけば、予備役で召集されたときも予備役大将として使ってもらえます。
このため「昇進即日予備役編入」という措置が当たり前に取られていました。
敗戦で軍隊は消滅したので予備役再招集ということはありませんが、
それでも②については何かの場面に有利に働くかもしれません。
企業に再就職するにしても「上等兵で予備役」と「兵長で予備役」では人物の箔に大きな違いが出てきます。
①についても、軍人恩給は一時消滅しましたが、行政側に復活の腹積もりはあったはずです。
復員兵も恩給の対象だったのですか?少尉兵すら恩給打ち切りと何かでありましたが、多少の保証は当初だけでもあったのでしょうか。そのあたりの知識がないのでご説明いただければと思います。
あるいは、具体的に金銭的なメリットがなくても肩書きだけで立派にしてやろうという心遣いなのでしょうか。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
太平洋戦争での米軍戦死者数は...
-
アメリカ軍の階級章は、銀が上?
-
“火垂るの墓”の考証設定
-
A級戦犯に海軍軍人がいないのわ...
-
陸軍士官学校卒の昇進の限界に...
-
歴史上の人物のウソエピソード
-
日本陸軍の昇進スピード
-
海外の軍人について。『指揮官...
-
終戦時に旧日本軍の中で一番偉...
-
帝国陸軍では炊事担当の兵士を...
-
海軍 予科錬出身者から少尉への道
-
兵隊になるまで
-
陸軍士官学校出の少尉と幹部候...
-
兵と卒の違いは?
-
山本五十六って、死んでも人気...
-
戦陣訓「生きて虜囚の辱を受け...
-
軍隊にいた親類について(東部...
-
ヤリ、銃、斧、弓で戦ってる人...
-
イランへの アメリカの爆撃
-
真珠湾攻撃で空母を大破してい...
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
太平洋戦争での米軍戦死者数は...
-
先任参謀と参謀長ってどっちが...
-
太平洋戦争時代、海軍より偉か...
-
日本軍が使用した暗号文について
-
帝国陸軍では炊事担当の兵士を...
-
旧日本軍の兵士は、いつ頃から...
-
日本陸軍の昇進スピード
-
戦争に行った兵士の給与
-
東條英機のゆかりの言葉の意味...
-
A級戦犯に海軍軍人がいないのわ...
-
軍人さんの名乗り方
-
「三奸四愚」とは誰が言ったの...
-
馬にまたがった軍人さんの階級は?
-
旧日本海軍の海軍工廠の職位に...
-
軍属について
-
太平洋戦争時の首相は誰でしたか?
-
陸軍士官学校出の少尉と幹部候...
-
海軍兵学校と海軍機関学校の違...
-
木村陸軍次官が真珠湾攻撃ヲ 称...
-
日本陸軍将校の"完全軍装"とい...
おすすめ情報