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色々調べてみたのですが、今ひとつしっくりきません。
予科錬出身者から少尉へとなったケースはどのようなケースがあるのでしょうか?ご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。
戦死して二階級特進で少尉となったケースではない例を知りたいです。またそれはどの位の数があったのでしょうか?
また、同じ分隊内において、予科錬出身者と学徒の確執や友情などに詳しいHPをご存知でしたら教えてください。
よろしくお願いします。

gooドクター

A 回答 (3件)

#2です。


 書き込みを終えた後、参考になりそうな「戦時用語の基礎知識」なる本の発見に成功しました(ただし期待していた数字は見つからなかった)。

 これと、検索した情報を総合すると、予科練への採用は最低15才。訓練期間は入った時期やコースによって大きく異なり(シャバから直接入った人間にはまず軍隊教育をしなければならないが、軍内から採用された人間には基礎教育は不要。また、戦局悪化によって期間短縮もあり)で、2年4カ月+1年が相場のようです(自信なし)。この段階でおおむね18才になる計算です。

 この時点で「三等飛曹」という下士官に任官します。「飛曹」は上飛曹から三等飛曹まで四階級あり、その上に准士官として「飛曹長」という階級があります。
 特務少尉になるまでにはこの階段を一歩ずつ上らないといけません。
 また、通常階級には「最低でもこれだけ勤めねぇと昇進させてやらねーよ」という年数が決まっていまして(実役年数という)これ奈何によって最低で特務少尉になれる年齢が分かるわけですが、具体的な年数は分かりませんでした。大サービスで仮に各段階での年数を1年とすると、23才で(特務)少尉になることが出来るわけです。

 しかし同書によると、准士官から特務士官になるための実役年数は5年とあり、さらに「最低の年数であって、実際に進級するにはこれより二~三年は長かった」とあります(ただし、一般に航空兵は昇進が早いと側聞しますので、この原則はあたらないかも知れません)

 となると、予科練から特務士官になったときには20台後半になっていた可能性が高いと考えられます。飛行兵の実役年数はネットと文庫本一冊では調べ切れませんでした。

そこで、ヒントになりそうなのが参考URL。
抜粋すると
「坂井三郎中尉の開戦時の搭乗員歴は4年1ヶ月で階級は1飛曹だった。開戦時に彼の2番機であった横川2飛曹は3年10ヶ月、3番機の本田3飛曹は1年6ヶ月である」とあるので、推定できる実役年数は1年半くらい。ますます20才前後という条件からは離れてしまいますね。
 
 日本は敗戦時に下士官兵や特務士官を対象にボーナス的な昇進(ポツダム昇進)をやっていますので、戦局悪化時に低年齢で予科練に入り、ポツダム昇進で少尉任官、というパターンがあれば、なんとか20代前後という条件を満たすのではないか、というのが個人的な感想です。

 また、飛行士官を育成するために、大卒者を対象とした飛行科予備学生や飛行科予備生徒という制度もあり、こちらは課程修了即少尉です。
 戦末期のいわゆる学徒動員の飛行兵(厳密には士官なのですが)はこのシステムで動員されましたが、一部でこれらも「予科練」と混同されたという説も聞いたことがあります。

参考URL:http://www.general-support.co.jp/column/columun0 …
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この回答へのお礼

本当に有難う御座いました。

仰る通り、訓練期間は入った時期やコースによって大きく異なるのですね。

先日も映画中の台詞で「予科錬10期は2年で少尉か」というような台詞があり、色々混同し戸惑っていました。

またHPの紹介、どうも有難う御座います。具体例があり参考になります。

色々助かりました。

どうも有難う御座いました!!

お礼日時:2005/02/26 15:41

 予科練とはそもそも戦時に不足するであろう航空特務士官の養成を主眼とした組織です。

予科練出身者は、普通に軍歴を重ねることで、特務士官に進級することが可能でした(特務大尉まで)。

 しかし、この「特務士官」なるものが曲者です。海軍はなぜか内部での階級差が大きく、下士官兵から累進した士官(=兵学校を出ていない者)には部隊の指揮権を与えませんでした。
 非常時の指揮権限は
兵科将校>機関科将校>予備役士官>特務士官の順で、なにかの間違いで新品の少尉と「兵隊元帥」とも言える特務大尉が生きのこった場合、少尉が指揮権を持っています(この点、出自がどうあれ士官は士官とみなした旧陸軍の方が合理的だったと言えるでしょう)。
 ですから、航空兵からの累進者は「特務少尉」で普通の少尉とは大きく異なる存在です(制服もすぐ分かる袖章や階級章などの違いがあった)。特務士官も少佐にまで累進すれば兵科将校となんら変わることはありませんが、これは本当に稀な例です。

 『特務士官』制度、さすがに拙いと思った海軍は、昭和17年11月『海軍武官階級及海軍兵職階』を改訂することで全廃し、同階級の士官へと編入されました。
 しかし、この改正も名目だけだったようで、指揮権限などでは格差は残っていました(必要な場合は現実には、特務士官たる中尉、というような言い方もしていた)。

 いよいよ切羽詰まった、昭和19年4月、飛行予科練習生の出身者に限り、「海軍航空特務大尉から、海軍大尉」へ特別選抜する制度が作られ、6人が海軍大尉に転官。さらに、昭和20年5月には、航空特務中尉・少尉からも、海軍中尉・少尉に転官の道が開かれました。

 このような具合ですので、質問者様の答は、このうちのどれを「少尉」とカウントするかによって大きく異なってきます。また、いずれもざっと検索した限り具体的な人数を捜しあてることは出来ませんでした。

参考URL:http://www.warbirds.jp/ansq/7/G2000374.html

この回答への補足

もし、お分かりになれば教えて頂きたいのですが、終戦間近、特例においてでも、生存中、予科錬出身で少尉になった”二十歳前後”のケースというのはあるのでしょうか?
お分かりになれば教えてください。
お手数かけて申し訳ありません。

補足日時:2005/02/24 16:27
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この回答へのお礼

詳しい回答をどうも有難う御座いました。

”特務士官”制度は確かに曲者でした。

少尉は少尉でもその指揮権限になると複雑なのですね。

やはり、陸軍に比べ海軍にはどこか学歴偏重な所があるのですね。

学徒に、海軍を希望した者が多かった理由がわかるような気がします。

詳しい回答、本当にどうも有難う御座いました。

お礼日時:2005/02/24 16:26

飛行予科練習生教育練習航空隊(予科練)の開隊時期


は、各航空隊によってちがいますが、横須賀航空隊は大正8年です。
したがって、予科練出身者も平時においては普通に進級していきますので、尉官は当然多数いたものと思われます。
何となく、予科練=特攻=戦争末期というイメージがありますが、古い歴史があるのですね。
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この回答へのお礼

早々と回答を頂き、どうも有難うございました。

助かりました!

まさしく、予科錬=特攻=戦争末期というイメージが先行し、調べれば調べる程、戸惑っていました。

有難う御座いました。

お礼日時:2005/02/24 16:14

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