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ふと、気になったので質問させていただきます。
広島の江田島にあった海軍兵学校は、夏期休暇以外に休暇はありましたか?

昔見た映画で、夏期休暇があったことはわかったのですが、今の学校のように冬季休暇や、他の長期休暇はあったのでしょうか?

夏期休暇以外の長期休暇があった場合、夏期休暇の時のように実家や故郷に帰ることはできたのでしょうか?

すみません、少し解りにくい文になってしまいましたがf^_^;
要するに、夏期休暇以外に実家に帰ったりできるような休暇が、あったのか知りたいです。
わかる方教えてください。
よろしくお願いしますm(__)m

A 回答 (1件)

>今の学校のように冬季休暇や、他の長期休暇はあったのでしょうか?



はい!!(原則としては)有りました^^

・『海軍制度沿革.巻2/海軍大臣官房/1941』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886709/332
<332/509>(635頁上段)
〇明治四十二年三月三十日(達四三)/海軍兵學校規則
第二十一條 毎年七月二十一日ヨリ九月十日迄ヲ夏季休業トシ
十二月二十一日ヨリ翌年一月九日迄ヲ冬季休業トス
但シ授業上ノ都合ニ依リ休業日數ヲ短縮スルコトヲ得

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886709/333
<332~333/509>(635頁下段・636頁上段)
〇大正四年三月十九日(達四一)/海軍兵學校規則中左ノ通改正ス
第二十一條 毎年七月二十一日ヨリ九月十日迄ヲ夏期休業トシ
十二月二十一日ヨリ翌年一月九日迄ヲ冬期休業トス
但シ校長ハ教務ノ都合ニ依リ海軍教育本部長ノ認許ヲ經テ此ノ時期ヲ
多少伸縮變更スルコトヲ得

<333/509>(636頁上・下段)
〇大正五年十二月十九日(達一八七)/海軍兵學校規則中左ノ通改正ス
第二十一條中「七月二十一日ヨリ九月十日迄」ヲ
「七月二十五日ヨリ八月二十五日迄」ニ改ム

<333/509>(637頁上・下段)
〇海軍兵學校規則
大正九年七月八日(達一一六)/海軍兵學校規則左ノ通改正ス
第七條 毎年七月二十五日ヨリ八月二十五日迄ヲ夏季休業トシ
十二月二十一日ヨリ翌年一月九日迄ヲ冬季休業トス
但シ校長ハ教務ノ都合ニ依リ海軍教育本部長ノ認許ヲ經テ此ノ時期ヲ
多少伸縮スルコトヲ得

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886709/335
<335/509>(640頁下段)
〇大正十二年四月一日(達八七)/海軍兵學校規則中左ノ通改正ス
第一條、…第七條、…第十九条中
「海軍教育本部長」ヲ「海軍大臣」ニ改ム

<335/509>(641頁上段)
〇大正十三年六月二十三日(達七二)/海軍兵學校規則中左ノ通改正ス
第七條中「七月二十五日ヨリ八月二十五日迄」ヲ
「八月一日ヨリ八月三十一日迄」ニ改ム

<335/509>(641頁下段)
〇昭和元年十二月二十七日(達二)/海軍兵學校規則中左ノ通改正ス
第七條中「伸縮」ノ下ニ「變更」ヲ加フ

以上(※明治42年以前の分は省略※)の変遷を経て、
「昭和元年十二月二十七日(達二)」改正時点では、

「第七條 毎年八月一日ヨリ八月三十一日迄ヲ夏季休業トシ
十二月二十一日ヨリ翌年一月九日迄ヲ冬季休業トス
但シ校長ハ教務ノ都合ニ依リ海軍大臣ノ認許ヲ經テ此ノ時期ヲ
多少伸縮變更スルコトヲ得」の内容に落ち着いたようです。

なお、海軍兵學校規則は、その後も「昭和二年六月二十日(達七七)」
「昭和三年六月二十五日(達八四)」「昭和五年四月十六日(達四三)」
「昭和五年九月二十六日(達一一四)」「昭和九年六月三十日(達一二二)」
「昭和十年四月十日(達三九)」「昭和十年九月二十三日(達一一三)」
「昭和十一年五月二十八日(達六六)」等の部分改正が繰り返されますが、
少なくとも「第七條」(夏季&冬季休業) に関しましては、
前記の「昭和元年十二月二十七日(達二)」改正以後の改正又は削除等はないようです。

>実家や故郷に帰ることはできたのでしょうか?

海軍兵學校規則の條文だけでは明確ではありませんが、
「海軍兵學寮規則/明治四年正月十日(太政官布達)」時代には
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886709/296
<296/509>(563頁上段)
第四十二條 毎年七月中及十二月二十一ヨリ翌年正月七日マテ
寮生等ヲシテ歸省セシメ候事 …(後略)…
などと当初は「歸省」が明記されていましたから、
その伝統・経緯を考慮すれば当然「帰省」は可能だったと思います。

ただし、実際の運用につきましては、
「海軍兵学校 歴史年表」を参照する限りでは
(※【メンテナンス期間】2014/01/29 AM 0:30 ~ AM 10:00※とのこと)
http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub7-8.htm

・大正15年(1926)/
 12月21日 冬季休暇の所大正天皇重態のため遠慮。
 12月22日 大正天皇小康のため23日より休暇許可。
 12月25日 大正天皇崩御。生徒55名帰校させる。
・昭和12年(1937)/12月8日/冬季休暇許可せず。
・昭和14年(1939)/7月10日/休暇を再開(事変長期化に備えるため)。
・昭和17年(1942)/12月21日/冬季休暇生徒のみ12月26日から。1月7日まで許可。
・昭和18年(1943)/12月21日/年末年始休暇取止め。

など年度によっては「休暇取止め」もあった様子です。

以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!(≧∇≦)
丁寧にまとめてくださって、とてもわかりやすいです(*^-^*)(*^-^*)
疑問は、お蔭様で解決しました(=^_^=)ありがとうございます(⌒▽⌒)

ベストアンサーにさせていただきます(-^〇^-)
本当にありがとうございました!m(__)m

お礼日時:2014/01/29 18:00

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