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児玉誉士夫はなんで、日本中のヤクザに親分風を吹かすことができたんですか?

A 回答 (3件)

児玉は、右翼の政治屋&フィクサーで軍との接点も大きかった笹川良一の引きもあって、海軍航空本部のために航空機製造に必要なレアメタルなどの調達を行う児玉機関を設立し、戦争中に大儲けした。



その資金を使って、右翼大物政治家に献金する一方で、右翼大物政治家の意向を汲んで、戦後の日本のヤクザ界を右翼の戦闘員として労働組合潰しに使うなど、ヤクザ連中をまとめ上げた人物。日本三大ヤクザのひとつである稲川会の顧問と云う肩書も持っていた。

このように児玉は、右翼大物政治家とヤクザの大親分の間を取り持つことで、ヤクザの大親分連中に「親分風」を吹かすことができる人物だった。
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かつて日本人は、誰もが「彼」を恐れていた。

表の世界には決して姿を見せないが、裏ですべてを掌握している――「事件の裏に児玉あり」と言われた
小俣一平  ロッキード事件が発覚したのは1976年。今年が40年目ということでロッキード事件を取り上げた番組や書籍が作られ、児玉誉士夫が再注目されています。
佐高信  それまで影に隠れていた「黒幕」が表舞台に引っ張りだされるとともに、元総理である田中角栄が逮捕され、日本中が騒然としました。
 児玉がロッキード社のコーチャン副会長に「小佐野(賢治)を紹介してくれ」と頼まれ、仲介をした。彼は常に、表には出てこない「月」のような存在で、政財界がその「月」を利用し続ける構造がありました。しかしその構造が、この事件によって昼の世界に引きずり出されたのです。
髙山文彦  児玉は生い立ちからして壮絶です。福島の出身で、実家は医者だったそうですが、7歳で母親を亡くし、8歳で朝鮮へ渡ったのち、出奔して上京。鉄工場で働いていましたが、12歳の時に関東大震災で父親を亡くします。18歳となった1929年、右翼の赤尾敏(元衆院議員)のやっていた国粋主義団体「建国会」に入りました。
小俣  自伝の中で、「なぜ赤旗を掲げ、『われらの祖国ソビエト』という奇怪なスローガンを使わねばならないのか」と思うようになり、国家社会主義者の北一輝の教えを受けたと言っています。17歳で北一輝は早熟すぎませんか。たしかにその後の生き方を見ると度胸だけでなく、頭のいい人だったんでしょうが。
髙山  中学や旧制高校に通っていれば左翼思想に染まるでしょうが、彼は商業専門学校卒。当時の国粋団体は、そうした学歴の低い不満分子の受け皿になっていた。児玉自身、1929年、不平等の是正を天皇に直訴して逮捕され、6ヵ月間前橋刑務所に入っています。彼もまた若い頃は義憤に燃えていたのでしょう。
小俣  それと同時に、建国会に在籍中、早くも根っからの「仲裁屋」ぶりを見せてもいます。赤尾の家の近くのバス会社で争議があり、会社側と組合側がぶつかったとき、こっそりバス会社の社長のところに行き、「話をつけてやるから軍資金を出せ」とカネを取っていたらしい。
 後で知った赤尾は、「そんなことをやるのは右翼じゃない」とテレビのインタビューで怒っていました。憂国の士とフィクサーの顔が入り混じる不思議な存在ですね。
髙山  その後、外務省の河相達夫の知己を得て中国に渡る。一度東京に戻りましたが、右翼活動を通して関係のあった笹川良一などの仲介で海軍航空本部の山縣正郷を紹介され、再び上海に渡り特務機関「児玉機関」を設立します。
 この間、航空機を作るための資材を中国全土からかき集めました。大阪に飛行場を作って陸軍に寄付をした笹川良一もそうですが、児玉も、その頃にはもう、「大艦巨砲主義の海の時代は終わった。次は空だ」と思っていたふしがある。
佐高  そうした機知に加え、児玉は中国の過激派宗教団体「紅槍会」と取り引きして帰順させるなど胆力もあった。当初はいわば海軍の「御用聞き」だったわけですが、実績を上げるうちに、段々存在感を増していきました。
 彼が重宝されたのは、相手の懐に飛び込むのがうまかったのも大きかったと思う。児玉を中国での情報収集に使った上海副領事の岩井英一などに愛され力を伸ばしました。
小俣  気遣いがうまかったのでしょうね。世話になった人への恩は忘れず、実際、敗戦後に自決した大西瀧治郎中将の未亡人を自宅の離れに住まわせたこともあったようです。
 戦後は一気に大出世を遂げます。最初の内閣である東久邇宮内閣では、内閣参与事務嘱託に任命された。「東久邇宮と親しかった」とか、「緒方竹虎が」「重光葵が」推したなど諸説あります。
佐高  海軍の御用聞きから内閣参与ですから、驚くような出世です。
 東久邇宮によれば、中国の海軍などの暴発を抑えるためだったようですが、戦争という圧倒的な「闇」のなかで、実力以上の評価がされ、戦後になだれこんだというのが実態でしょう。その後にも言えますが、児玉は虚像を利用するのがうまい。
小俣  1946年1月には、児玉はA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監される。これが大きな転機となります。戦時中は鬼畜米英を叫び、愛国者として生きていたはずが、収監を経て「親米愛国」という生き方を選んだ。岸信介や読売の正力松太郎らと同様、CIAの協力者になり、戦前とは180度変わりました。
佐高  A級戦犯として裁かれることを免れるため、アメリカに身を売ったということでしょう。
 アメリカは巣鴨プリズンでの取り調べの中で岸と児玉を押さえ、自分たちの手先として二人を使おうとした。児玉は根っからの仲裁屋で、敵味方どちらにも転ぶ可能性があり、岸も「両岸」と呼ばれるほど思想が変化する。しかも能力もある。思想や主義に殉じるのではなく、機に応じて、実利的に物事を判断する姿が見て取れます。
髙山  児玉の「機を見るに敏」なところは、笹川良一との関係にも表れていると思います。児玉は笹川に大きな恩義を感じており、自著のなかでも、笹川のことだけはずっと「先生」を付けて呼んでいます。
 しかし、巣鴨プリズンでの取り調べでは、笹川が陸軍の軍務局からカネをもらっていたことを暴露し、笹川を売っているのです。笹川は断じて受け取っていないと否定しており、こちらのほうが真実のようですが。
  小俣  髙山さんの『 宿命の子 』を読むと、笹川自身は、「児玉が俺を刺したということだが、それは違うのではないか」と好意的に捉えていたという話が出てきますね。
髙山  それは「笹川先生は陸軍に自分の作った飛行場を献納した謝礼としてカネをもらったと理解している」と、児玉が言っていたからです。つまり、「ビジネスの報酬だった」として、助け舟を出している。ただ、尋問の中で笹川を売ったことは間違いない。
小俣  なるほど。
髙山  しかも、その尋問の後、「まだ話したいことがある」と検察官に話しかけていますが、なんとそこから先のことは記録に残っていないのです。これらを考え合わせると児玉がアメリカに対する情報屋として存在していたと断じざるをえません。
小俣  そしてその後、児玉は政界のフィクサーとしての地位を固めていきます。鳩山一郎が自由党を作ったときも、現在に換算すれば数十億円にもなる結党資金7千万円を提供しています。児玉機関時代に余ったカネだそうで、児玉自身も認めている公知の事実です。
佐高  鳩山は岸と結託していたわけだから、実質的に児玉が近づいていたのは岸で、やはり岸-児玉のラインが強い。
髙山  1960年安保の際には、その岸の意向を受けて、安保反対運動を抑えるための「アイク歓迎実行対策委員会」(アイゼンハワー米大統領を安全に迎え入れる)に、稲川会など暴力団を動員していたといわれています。
 児玉の力の源泉のひとつは、このような戦中戦後に培った人脈によってつくられた「暴力装置」にありました。一時、日乃丸青年隊、松葉会、住吉一家といった任侠の大同団結構想をもくろんでいたほどですから。
佐高  たしかに児玉の暴力装置には恐ろしいものがありました。1971年に竹森久朝さんが『ブラック・マネー』という本で児玉のことを書きましたが、販売直前に児玉の手下が乗り込んできて、販売中止に追い込まれた。当時はまだ声を出して児玉について語れる時代ではなかったのです。恐ろしい、闇の存在でした。
 しかし一方で、先ほども言った通り、周囲が恐ろしいと思い込むことを利用し、その虚像を膨らませていた節もある。
小俣  児玉を師とする右翼団体・青年思想研究会の高橋義人が、「児玉のことをフィクサーと呼ぶけれど、児玉は自らフィクサーになったわけじゃない。片づかないトラブルを『片づけて欲しい』と頼みにきた人間が、児玉をフィクサーにしたんだ」と言っています。言い得て妙だと思います。
髙山  カネを遣うのがうまかったのも才覚ですね。
小俣  児玉は現在に換算すると何十億円という単位でカネをかき集めたかと思うと、自分で使うところは使い、余ったお金は気前よく仲間に分け与えていたのでしょう。それがいずれ自分の利益になるという計算もあったと思います。
 これは、田中角栄と同じ構造です。余剰金を配って自らの地位を高めていき、それでまた集金力をつける。彼らを褒めたたえるのは、みんなその恩恵に与った人たちだと思っています。
髙山  ロッキード事件の起訴状によると、児玉は総額十数億円のコンサルタント料をロッキード社から受け取っています。それを知った笹川良一は、「児玉君、君は何億円もロッキード社からもらっているそうじゃないか。それを秘書のせいにするなんて世間には通用せんぞ」と怒鳴りつけたそうです。やはりほかの右翼とは違う「実利の人」の匂いがします。
佐高  そのロッキード事件によって彼がアメリカの手先だと発覚しました。
小俣  児玉を取り調べた東京地検の松田昇検事は当初、児玉はロッキード社からカネをもらっていることを否定するだろうと考えていたそうです。山本五十六連合艦隊司令長官を太平洋で撃ち落としたのはロッキード社の作った戦闘機。
 「海軍の大西門下だった児玉がカネをもらったことを明らかにするはずがない」と思っていた。でも児玉はあっさりと認めたんです。驚いたと言っていました。
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児玉資金が有ったから。

ドスが効いた裏稼業の奴かな。又、旧軍の影響が続いた期間だけではないか?
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