ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

海軍兵学校に入学するのは、大変難しかったと、様々な本やネットで知りました。

そこで質問なんですが、
(1)明治初期に海軍兵学校が設立され、薩摩・長州藩以外からも入学者を受け入れた時期。
入学人数が十数人程度で、例えば秋山真之などが入学した頃。

(2)日露戦争に勝利し、少年たちが海軍にあこがれた、明治末期。

(3)軍縮で入学人数が激減した大正期。

のどの時代が一番なんかんだったんでしょうか?

ご存じの方、あるいは予想でもいいのでこうだと思うという方、教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

昔は、農民などに学問など不要という観念もあって、義務教育ができても、半数は途中で辞めてしまうという状況下では、


本来なら、高等教育を受けて活躍できるだけの能力を有しながら埋もれてしまっていた人がたくさんいたでしょう。
尋常小学校も満足に行けない状況の人が大多数の時代では、兵学校に受かるとか受からないとか以前の問題ですよ。

やがて、尋常小学校が6年制になり、上級学校へも幅広い層の子供が徐々に進めるようになった。
とはいえ、高等学校は学費が非常に高かったので(官立の学校でも非常に高かった)、
それならば、ここから先に進むためには、士官学校か兵学校しかないという時代になっていったのではないかと思います。
産業革命以降、人口も急激に増えて、もちろん学校の数も増えていったわけですが、
兵学校の定員は、昭和10年くらいまではあまり変わっていません。
ですから、時代を追うごとに入学の難易度は高くなっていったと考えるべきでしょう。

満州事変(昭和6年)以降、日本は軍国主義に突入します。
これからは、いやがおうにも軍人の時代と考えた人も多いでしょうし、
逆に、軍事教練(大正14年~)や、世間で接する陸軍の軍人の横暴さに嫌気がさし、
このまま陸軍に徴兵されるなら、海軍に行った方がよい、と考えた人も多かったらしい。
結果として、兵学校の入試の倍率が最も高かったのが、65期(昭和9年)から69期ということにも顕れていると思われます。
(70期以降は、募集定員が大幅に増加している)

ということで、これらの点を総合して、私は(4)昭和10年前後を挙げたいと思います。

この回答への補足

>昔は、農民などに学問など不要という観念もあって、義務教育ができても、半数は途中で辞めてしまうという状況下では、
本来なら、高等教育を受けて活躍できるだけの能力を有しながら埋もれてしまっていた人がたくさんいたでしょう。
尋常小学校も満足に行けない状況の人が大多数の時代では、兵学校に受かるとか受からないとか以前の問題ですよ。

上記に、記入していただいた面があるので、どの時代がむずかしかったのかな、と疑問に思っていました。

補足日時:2011/11/16 09:46
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

昭和10年前後のことは、あまり考えていなかったです。
大変参考になりました。

お礼日時:2011/11/16 09:47

No.2 追記です



補足で疑問に感じられた点について、追加します。

参考のリンクの表6を見ていただくと(真ん中あたり)
日露戦争当時の中等教育在学者は、わずかに4.3%になっています。
この表は、小学校を卒業して、そのまま中学校に進学した人の割合と見ていいと思います。
中には、大人になってから中学校に進学する人も、当時は大勢いたのでしょう。
当時の中学校は義務教育ではないので、自分で稼いで勉強したということですね。
そもそも、現在のように、当たり前のように家の近所に中学校がある時代ではないのです。
中学校に通うために下宿が必要だったりすれば、その費用は相当な負担だったと思われます。

それが、昭和10年には39.7%。10倍近い数字です。人口も加速度的に増えており、
明治元年に3400万人だったのが、昭和10年には6900万人と2倍になっています。
とにもかくにも、兵学校を受験したいのならば、まずは中学校に進学しなければなりません。
もちろん、兵学校の受験は16~19歳なら誰でも出来たので、必ずしも中学に行く必要はありませんが、
高校に行かずに東大を受験するような話です。わずかに合格した人もいたようですけど。

兵学校に受かってしまえば学費の問題は解決するものの、そこに辿り着くまでには、
それなりの資金や、家庭環境に大きく左右されたものと考えられ、
やがて、中学に進学するのが、それほど大きな障害とはならなくなった昭和期に入って、
一気に受験戦争が激化したと考えるのが自然だと思います。
当時は、兵学校受験のための名門中学もたくさんあって、合格者数を競い合っていたそうですから、
さながら、昨今の受験事情に近いような情勢だったのかもしれません。
それでいて、前述した65期の卒業生、187名ですよ。
今の東大の入学者が3000人であることを考えると、想像を絶する戦い(?)が繰り広げられたに違いないでしょうね。
試験もこの頃は4日間になっていて、1日目終了後即日採点で足切り。これが、2日目3日目と続くだなんて、ねぇ・・・

参考URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad19 …
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございました。

今の高校生とかじゃ体力持たないかもしれないですね。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/17 14:44

いつの時代も難関ですよ。



昔の日本はとても貧しく、一部の裕福な家の子供しか高等教育を受けられませんでした。

しかし、一つだけ貧乏人の子供でも高等教育を受けられる方法がありました。
それは、陸軍、海軍の学校に入学することです。
入学した途端に「軍人」になりますから、学費はもちろん衣食住は全て無料、それどころか給料も出ましたから。
そして、軍国主義の時代に軍の幹部としての将来が約束されますから、日本中から希望者が殺到しました。

戦前は陸軍、海軍の士官と同等かそれ以上のステータスの職は就くには、それ相当の高等教育を受けていなければならず、そしてそれは、一部の裕福な家の子弟に限定されていました。

ですから、陸軍士官学校、海軍兵学校にはいつの時代も希望者が殺到しました。
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いつの時代も難関ですよ。



昔の日本はとても貧しく、一部の裕福な家の子供しか高等教育を受けられませんでした。

しかし、一つだけ貧乏人の子供でも高等教育を受けられる方法がありました。
それは、陸軍、海軍の学校に入学することです。
入学した途端に「軍人」になりますから、学費はもちろん衣食住は全て無料、それどころか給料も出ましたから。
そして、軍国主義の時代に軍の幹部としての将来が約束されますから、日本中から希望者が殺到しました。

戦前は陸軍、海軍の士官と同等かそれ以上のステータスの職は就くには、それ相当の高等教育を受けていなければならず、そしてそれは、一部の裕福な家の子弟に限定されていました。

ですから、陸軍士官学校、海軍兵学校にはいつの時代も希望者が殺到しました。
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この回答へのお礼

いつの時代も難しいとは思いますが、その中でもどの時代が一番難しかったのかと疑問に思いました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/17 14:38

簡単ってなに?

この回答への補足

???

補足日時:2011/11/16 09:45
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