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概ね昭和初期の日本の大学の、

東京帝国大学
陸軍大学校
海軍大学校

では最も難関だったのはどれでしょうか?

A 回答 (4件)

軍人の学校というものは、時代によってかなり人気が上下します。



その昭和の初期は大不況の最中ですから、経済的に厳しい人にあっては、東大以上の値打ちのあるところとなります。
逆に、東大を始め、帝国大学に進学する学生は、大げさに言えば、生まれついた時からそういうコースを選べれる人生だったのです。

今は、農業高校からでも東大でも受験できます。しかし、戦前の学制はもっと若い年齢のうちに振り分けられているのです。
旧制中学から旧制高校にいくこと、これが帝大に行く絶対条件でした。旧制高校に入学できれば、ほぼ(どこでもいいなら)帝国大学には進学できました。さすがに東大は少々難しかったにせよ、そういうものだったのです。ですから、大学受験での受験地獄はありませんでした。むしろ一番の関門が、高校受験でした。
そして、同じく、中学卒業時に海軍兵学校や陸軍士官学校の受験資格がありました。どこの中学からでも相当な秀才が行ってます。東京帝大も十分射程距離の学生です。

それと、学力だけでない難易度もあります。体格や体力もですが、特に海兵においては、海外に出る機会が多く、欧米先進国の士官に見劣りしないようにという考えが働いたようで、男前が多かったですよ。
男ぶりに自信がないから陸軍にするという人もいるくらいでしたからね。

ということで、海軍兵学校というのは、当時の女学生から絶大な人気がありましたよ。

それでも、東大の法学部は当時の高等文官試験の合格率が高く(高文は単なる公務員試験ではなく色々と特典もありますから)別格だったでしょう。
それが崩れたのは、第2次世界大戦の最中、大学生も徴兵免除がなくなった頃からでしょう。このときは文科は免除なし、理科は免除でした。それで、徴兵逃れに医者になるものが増えたんですよ。帝国大学でなくてもいいと、地方の医科大学の進学者が増えました。(戦前は国民保険制度がないので、かならずしも医者が儲かるとは限らない)
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帝大かなあ。


ただ上記の方が言ってるように帝大はエリートでその前の旧制高校とか行ってる時点で既定路線だから。
で、旧制に行けるってのは、親が武士だったとか、都会に住んでるとか、男子だとかそういう棲み分けもあったりして。
ある意味生まれた時点である程度、行けるかどうかは決まってたわけです。


陸大や海大は庶民の子でもいけたりしたわけで倍率としては高くなります。
過去の話を総合すると、1920-1940頃は優秀層もかなり軍隊学校に行ったみたいですね。
秋山のような者が。
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No.1の回答の「軍人は不人気商売である」という話、これは事実です。

とくに大正時代においてはよくあてはまるようです。『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか』(著:荒木肇)という本にも詳しく書いてあります。この荒木さんという人は左よりの人ではなく、むしろ自衛隊や旧軍に好意的な考えの人なので、より説得力があります。

とはいいながら、たとえ世間一般で人気がなくても「これしかない」という立場の少年がいたのは無視しちゃいけません。ズバリ、経済的な問題です。昔の日本はとても貧しかった。今の感覚で考えてはいけないのです。

国立(昔は官立といった)でも他の公立でも、教育機関で学ぶには授業料が必要です。賢い頭を持って生まれた少年でも、家庭の経済事情で進学を諦める人は少なくなかったんです。ただし例外として師範学校と軍の学校がありました。これらは授業料が不要なので貧しい家の子でも進学できます。ただ、師範学校は卒業しても教員になるだけで給料も良くはなく平凡な一生で終わります(もちろんそれでも、経済的に恵まれない優秀な人が多く進学しました)。もう一方の軍の学校は授業料が要らないだけでなく、多少ですが月々の手当までもらえます。そして少尉になると公務員としてまずまずの奏任官という地位だし、あわよくば大将に進める可能性もあるわけです。軍人もドンパチばかりやってるわけではなく、公務員・官僚ですからね、貧しいけど立身出世の「デカイ一発」を狙った知力・体力・気力のある少年は世間の人気とは関係なく受験した者も少なくないでしょう。そして、たとえば陸軍士官学校の採用者数は、軍隊の人気がなかった大正から昭和初期は1年で300名程度です、そのうちの何割かは親が高級軍人であったりして「軍人になるのが当然」という考えで幼年学校を経て上がってくる少年ですから、全国の貧しい少年たちはもっと小さなパイを争うわけです。合格者は結構優秀であったと考えますよ。 

東京帝国大学と比べるとどうか、これはよくわかりませんが、“平均値”でいえば東大のほうが平均知能は高いでしょう。それでも戦後、東大に入学した人の中には陸軍士官学校や海軍兵学校で学んでいた人が少なからずいました。村上兵衛という作家もそうですし、有名なところでは平田昭彦という俳優(ゴジラ映画などに出たり、ぴったしカンカンという番組に出演していたので30代以上の人には有名)は陸軍士官学校に在学中に終戦になったので、あらためて一高・東大に進学しました。調べれば他の人も出てくるでしょう。

もともとの質問は知能の平均値などではなく「昭和初期」の「最難関」ですよね。それだけを問うなら、陸軍大学校であると私は答えます。まず上記のような課程で陸軍士官学校に入校し卒業した者の中から、さらに志願者を試験で選抜するのが陸軍大学校です。合格者は年に数十名しかない時代が長く続きました。東大よりも狭き門だとは思いませんか? なお、海軍大学校に関しては、少将・中将・大将になるにも海大を出なくても昇進できた人がそれなりにいますから、陸大よりは熾烈な受験をしなかったといえるのではないでしょうか。
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比較不能



帝国大学に入るには、旧制高校を卒業する必要がある

陸軍大学・海軍大学はそれぞれ現役の軍人である必要がある

旧制高校を卒業しつつ、現役の軍人であることは不可能なので、併願できない。

昭和初期というと服部卓四郎のころ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8% …

大正時代は、山梨軍縮などで軍人業界は不人気。日常の外出では制服を着なかったらしい。
服部と同世代が佐藤栄作などですが、
佐藤栄作 1901年 五高から東大
池田勇人 1899年 五高から京大

彼らの世代の伝記のたぐいを読んでも、軍人になりたいというのが出ていなかったように思う。それくらい軍人は人気職業ではなかったようです。

なので 東京帝国大学(法科)の方が、難しかったかもしれません。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
陸軍士官学校や海軍兵学校ではいかがでしょうか?

補足日時:2012/08/25 15:18
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