
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
1) 大将や中将に昇進する士官が海大甲種学生を経ているケースが多かったのは事実です。
しかし、海大甲種学生を経ていなくても、中将に昇進した例は珍しくありません。有名な例は、
大西 瀧治郎 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px40.htm#v007
栗田健男 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px38.htm#v009
他にも探せば数十人はいるのではないでしょうか。
将官に昇進した海軍士官については、下記のサイトにほぼ全員の履歴が載っていますのでざっと眺めてください。「海大甲種学生を経ずに出世コースを歩んでいる」例を少なからず見つけられるでしょう。
なお、大西中将も栗田中将も海兵の席次が比較的上(上位20%程度)であることに注意して下さい。
http://homepage2.nifty.com/nishidah/p_index.htm# …
2) 質問の趣旨が良く分からないのですが、陸軍でも海軍でも、士官学校や兵学校を出た正規の士官(将校)と、兵卒から叩き上げた士官が並存していました。陸軍でも海軍でも「兵卒から昇進した士官の最高位は通常は大尉、稀に少佐昇進と同時に予備役編入」であったのも同じです。
海軍の叩き上げ士官(特務士官)は「軍鑑で高度の熟練を要する仕事のプロフェッショナル」、陸軍の叩き上げ将校は「陸士出身正規将校だけでは小隊長や中隊長を充足できないので人数を補う」と言う点で違いがあったようですが。
なお、陸軍でも海軍でも「兵卒から叩き上げて将官に昇った人」は存在しないと思います。
※ 明治時代の陸軍に存在した下士官養成機関「教導団」に入り、そこで実力を評価されて、「改めて士官学校に入学して正規の士官となり」、最終的に大将や中将まで昇った人は何人もいますが、これは「兵卒からの叩き上げ」には当たりませんよね。
陸軍教導団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D% …
3) 質問の趣旨が良く分かりませんが、陸海軍の昇進の基準は大雑把に言うと
海軍:海兵の卒業時の席次が最重要。海軍では、全ての士官が海兵の卒業期と席次をリンクさせた「先任順」が明確にあり、定期的に先任順の名簿が更新されていました。なお、先任順は海兵を卒業した後も事情により動くことがあり、海兵卒業時は下だった人が、大佐になる頃には上になっていた例も珍しくはなかったようです。
陸軍:陸士の卒業成績はそれほど重要ではなく「陸大を卒業したか否か」が最重要。陸大卒業者は「天保銭組」と呼ばれ、人事権が陸軍省から参謀本部に移り、特段の事情がなければ必ず将官に昇進したようです。
一方、陸士を出た正規の将校であっても、陸大に行けなかった「無天組」は軍人生活のほとんどを「隊付将校」として送り、最高位は「連隊付中佐」、大佐昇進と同時に予備役編入、が平時は普通だったようです。無天で中将・第一師団長に就任した堀丈夫中将のような稀な例もありますが、海軍とは違い「大学校を経ずに将官に昇るのは奇跡」でした。
堀丈夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E4%B8%88% …
※ 支那事変、大東亜戦争と戦争が長く続きますと、無天組でも将官になる人、中将に昇進して師団長になる人が多く出ました。
ただし、無天の場合は特設師団の師団長どまりで、軍司令官や方面軍司令官には就任できなかったようです。
私自身がした質問ですが、下記の質問も参考にしてください。
「無天で将官に昇った堀井富太郎中将(南海支隊長)」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3754309.html
また、陸軍でも海軍でも、華族で爵位を持っているから優遇される、と言うことはありませんでした。例えば、ロサンゼルス五輪で馬術で金メダルを取ったことで有名な西竹一陸軍大佐(通称 バロン西)は、男爵位を有し、戦前の「国民的英雄」でしたが、陸軍の内部では「単なる無天組将校」であり、全く優遇は受けていません。
「入った瞬間に先が見えている海軍よりも一発当ててやろうと陸軍を志望するものが多くいたというのも本当ですか?」
そういう話は聞いたことがありません。
反対に
「陸軍では、幼年学校出身者が出世しやすい。中学校を出て軍人になるなら、陸軍士官学校より海軍兵学校に行く方が良い」
と身内に言った陸軍軍人の話は知っていますし、陸軍で幼年学校出身者が出世した例が多いのは事実です。
No.5
- 回答日時:
参考までに。
日本陸軍の兵力
1931年の満州事変当時、日本陸軍の総兵力は約45万
1937年の日華事変勃発時まで、あまり増えず50万弱。
1941年、日米開戦までの中国戦線の拡大・泥沼化で兵力200万
1945年、終戦時には戦闘力の低下を兵力で補うため、650万
このため当然必要な士官の数は急増し、経験年数の少ない仕官が急速に昇進し、たたき上げ仕官も増えました。
兵士も精鋭で軍紀の厳正な現役兵部隊から、応召兵(召集令状で集められた人)主体となりました。
海軍は艦船が急激には増えず、(民間船舶を軍用で徴用したりして、仕官が必要とはなったでしょうが・・・)太平洋戦争が中期を過ぎれば、艦船はどんどん撃沈され減る一方でした。
No.4
- 回答日時:
軍人の進級については、平和時(平時)と戦時とでは大きく違いがありましたから、一概にこうだ、ということが出来ません。
そこで、太平洋戦時の海兵41期あたりの例を示してみたいと思います。>1.どこまで出世できたのでしょうか?
海軍兵学校(海兵)卒業者は、大過なく健康で通常に勤務していれば、大佐まで進級することを内規としていたので、大佐まで進級できるというのが回答になります。(ただし、軍縮期など時代によって異なる)
41期生のばあい、海大卒のうち1944年(昭和19年)10月15日付、中将となった例がありますが、非海大卒でも同日付で中将になった者もいます。このことから海軍の場合、海大卒が有利であるのが間違いないにしても、そうか否かは昇進に決定的な差はないともいえます。
また、木村昌福(まさとみ)という人の卒業順位は、113名中、107番で、水雷艇、掃海艇、工作艦、特務艦などの艇艦長を務めていたのが、戦争が始まって巡洋艦艦長、水雷戦隊司令官、連合艦隊司令部付と歴任し、45年(昭20)11月1日付で中将となっています。42期では安場保雄(磁気・音響の専門家)という人が、やはり非海大卒ながら45年5月1日付で中将に進級しています。これらは異例かもしれませんが、海軍の場合そういう可能性があった、ということを示しています。
>2.また旧陸軍では陸士を出てない叩き上げでも士官になった者も
多数だったらしいですが、本当ですか?
陸軍には「特進」とよばれた、兵卒から累進して将校になった者がいました。
ただ、海軍も叩き上げの士官(特務士官)は大勢いましたから必ずしも陸軍特有の現象ではありません。ゼロ戦の撃墜王として知られる坂井三郎も海兵卒ではありませんが、終戦時は中尉でした。
>3.陸軍と海軍のこの昇進の違いはなぜなんでしょうか?
旧日本陸海軍の現役兵科将校養成機関であった陸軍士官学校(陸士)と海軍兵学校(海兵)を比較する場合、まず、卒業生の数が異なりますので、それを念頭に入れる必要があります。
将官(少将~大将)になった人数は、陸士のばあい、士官生徒(1~11期)と士官候補生(1~33期)までの卒業生合計18059名中3140名(17・3%)。海兵(1~47期)は卒業生3854名中1187名(30・7%)で、陸士の約1・77倍でしたから海兵の方が率が良いことになります。
また、山口宗之氏による陸海軍将校の昇進のパターン(特異例)についての詳細な研究がありますので、関心がおありならぜひ精読されることをお勧めします。
資料= 古川利昭「陸海軍将官六千人の分析」『増刊 歴史と人物 秘史太平洋戦争』(中央公論社)84年(昭和59)所収
= 山口宗之『陸軍と海軍 陸海軍将校史の研究 (清文堂出版)05年(平17)
= 外山操『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』 (芙蓉書房)81年(昭56)
No.1
- 回答日時:
例外はあると思いますが
1、予備役編入前に大佐に成れる可能性がゼロでは有りませんが…。まあ兵卒出身でも、勤務の間に勉強して学校に入学し少佐まで行った事例は有るようです。(叩き上げで少佐になった方を兵隊元帥などと呼んだそうです。)
2、陸軍だと少・中尉クラスなら叩き上げは珍しくありません。(重要な作戦をになう事もある、小隊指揮官が士官学校卒業間もない者だけと言うのは、余りにも心許ないですから…。)
3、海軍は学校での順位(ハンモックナンバー)が発表されますが、陸軍では入学と卒業年次くらいしか公表されません。(主席とかなら判明しますが)
また、陸軍はたとえ元帥になるような人物でも一度は、隊付の一兵卒経験しますが、海軍では士官候補生の時代から兵とは隔離していました。(食事や部屋などはまったく別。貴族趣味などと嫌味を言われました)
海軍ではたき上げが昇進しても階級に特務などが付けられ兵学校卒とは明確に区別されました。
まあ海軍は技術者集団(現代の米軍の原子力空母の甲板要員など20年かけて教育すると言われるほど)なので、教育計画をかなり長いスパンで立てなければなりません。海軍なら軍艦・艇に乗っていれば(艇長なら大尉・少佐クラス)陸軍のように、現場のにいる指揮官が士官学校卒業間もない、少尉だけなんて事には成りませんし…。
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