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昭和初期の日本においてなぜ軍部が政治の主導権を握るという事態が生じたのですか?
その原因として考えられる制度および事件について教えてください。

詳しく説明してくださるとうれしいです。

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A 回答 (4件)

一つの分岐点がロンドン条約調印時の「統帥権干犯問題」です。


このとき野党の政友会を指揮していた犬養毅は「海軍軍令部の承認無く結ばれた軍縮条約は統帥権の干犯」だという論理で政府を攻撃しました。
しかし元々「統帥権」について憲法学者はもちろん軍の多数派ですら「統帥権は純粋な作戦面におけるもの」(例えるならプロ野球において「オーナーでも監督の試合中の采配に口出しできない」のと同じようなもので、近代国家なら特に変わったものではありません)との認識だったのであり、これは明らかな拡大解釈でした。
もともと犬養自身も軍縮条約には賛成の立場であったにも関わらず、ただ目先の議会内の主導権争いの為に憲法解釈を歪めるという大失策の為に、これ以降議会内で軍の行動に異を唱えると「統帥権の干犯だ」と揚げ足を取られる事になり、議会は軍に対するチェック機能を自ら放棄してしまいました。

そしてその拡大解釈された「統帥権の独立」を盾に行われた満州事変では、政府はもちろん軍中央の意向を無視して占領地を拡大しても、マスコミや世論の後押しの為にそれが追認されてしまい、これ以降「政府や軍中央を無視しても戦果を挙げれば認められる」という「下克上」の風潮が生まれてしまいます。

なお「軍部が政治の主導権を握った」とはよく言われますが、実際には陸海軍はもちろんそれぞれの軍内部でも派閥抗争がいろいろあって一枚岩とは言い難い状況であり、むしろ誰も主導権を握らないままズルズルと現地軍の暴走とマスコミ・世論の支持に引きずられていったと言った方が正しかろうと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になります。

お礼日時:2008/12/16 13:20

派閥抗争で相手を見下す為に「俺TUEEEEEE」な精神レベルの人間が増えた。


昭和初期はきちんとした教育じゃなくて、洗脳教育世代が増えたからね。
それにボンボンの若造だから未熟な人間が多い。
老人がこれはいけない!と成人年齢を慌てて引き上げてるしね。
人口の増加に比例するように、アホな連中が増えた。

あのね、子供4人以上の大家族になると面倒が見れなくなる。
大名の当主が子沢山でも家の格式と雑用が居るから簡単に傾かずに済むが、一般人が同じ事をすれば家族は崩壊する。
家族が崩壊すれば子供は頼るべき家族が無いために無頼者となる。

愛国心は無頼者が頼る最後の砦という定説を証明することとなる。
政府は己が破壊してきた国内を理解できなかった。
廃仏毀釈に神仏統合令ってタリバンのバーミヤン遺跡を破壊したのと同レベルなんだよ。
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そもそもが軍部によって明治維新を遂げたからです。

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一般的には「軍部大臣現役武官制」を槍玉にあげておくと安全.

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Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
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当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む


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