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すみません。。以前とある方に聞きましたが、「カルト宗教」と「自己啓発の本」って「弱者につけこむ弱者を食い物にしてる同じ類い?」なのですか?本当に「強者や自信のある方」はどっちも敬遠?するのですか?自分は「カルト宗教」はやらないですが、「自己啓発」は読んでしまいます、それではダメなのですか?その人曰く、「自己啓発も筆者の経歴がおかしい、って言うか怪しいでしょう?だから私は同じだと思ってる」って言ってました、やっぱり「自己啓発も読んではいけない」のでしょうか?

かなりショックを受けてます、それとも「その方がそう感じただけ」ですか?別に読んではいけない。とか無いですか?どう思いますか?お願いします。。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    おおおーーー、スゴいですね、僕と「同意」ですね、僕も最近「理屈=ロジック漬けの自己啓発では変わらない。自己啓発の最大の欠点で致命的なポイントは抽象に逃げていて「具体論・方法論が皆無」」って部分です、何度も言いますが「理屈=ロジック」では幾ら詰め込んでも人間は変われない、「如何に具体的に示すか・方法論を示せるか?」なんですよね?

    因みに自分は「理屈では人間は動けない」を悟ってからは具体的に方法論でしっかりと納得させろ、ってこう相手に切り返していますねW「理屈・理論は改革には無力である。具体的に抽象に逃げるな」と自己啓発の筆者全てに言いたいですね(^O^)

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/24 09:54

A 回答 (9件)

こんにちは。



>「カルト宗教」と「自己啓発本」って
即同じとは思いませんが、「自己啓発本」というのは読んでも残らないものが多いですね。

ただ、それを信じて、人生を走れる人は、幸せな人だと思います。それで、やっぱり成功するのではないかと思います。でも、ふつうの人は、疑念が湧いてきて、果たして成功するだろうかと思い、途中でやめてしまうわけです。

「自己啓発本」の王様というとカーネギーの『道は開ける』などの著書がありますが、これは、文化的に違いがあって、そのまま理解するには行かないかもしれしませんが、根強い人気があります。日本ではというと、明治3年中村正直の『西国立志編』ではないでしょうか。イギリスの"Self-Help(セルフヘルプ)" からの翻訳だそうですが、当時信じられないぐらい、爆発的に売れたそうです。

「自己啓発本」は、翻訳ものが多いと思います。しかも、その多くは、アメリカ系のキリスト教を母体にしたもので、私たちには理解しにくい部分があるような気がします。

>自己啓発の最大の欠点で致命的なポイントは抽象に逃げていて「具体論・方法論が皆無」
私は、あまり読んでいないのか、この発言が具体的にどのようなものか、よくわかっていません。あまり自己啓発とは言えませんが、たとえば、映画『ビリギャル』で有名になった、塾講師の坪田先生の利用した「コーチング」は、具体的でわかりやすいと思います。でも、お読みになったその書籍で不満を持たれたのなら、それは役に立たなかったということではないでしょうか。そして、その種(同じ類)の自己啓発本はやめたほうがよいかもしれません。

「自己啓発」全体が具体性が乏しいものか、それとも、基底に信仰や宗教が含まれていて、我々にはその知識が足らないかもしれません。『西国立志編』のセルフヘルプ(自助)は、「天は自ら助くるものを助く」ということですから、やはり思ったようにはいかないかもしれません。

カルトのことですが、実際、カルト宗教という定義は難しいです。フランスのなんとかという団体の規定と日本とでは、必ずしも一緒ではありません。しかし、教団が起こした犯罪行為も時とともに忘れてしまうのか、ウヤムヤになってしまいます。私の考え方ですが、だいたいカルト教団というのは、その原点を調べてみると、海外から来たものがほとんどです。例え、日本の在来宗教を元にしても、外国からの思想の影響が強かったりします。(あえて名前は伏せて置きますが、韓国系・北朝鮮系などアジア系が多いようです。)

「啓発」は、英語で、宗教的な言葉で"Enlightenment" (教え導くこと)ですが、同種の言葉に「啓蒙」という言葉があります。英語では区別がないようです。
「啓蒙」というのは、「蒙」(物事にくらい人、目の見えない人)に光を当てて目を開(啓)くという意味ですが、元の思想は、イギリスが発祥でヨーロッパに広まりました。特に、問題なのは、上位の立場に立って、無知な人・無学の人に、自分たちの思想を教えてあげなくてはならない、と考えることです。「啓発」とは答えに至るまでを導くことですが、「啓蒙」は答えが絶対的なものとして、人に押し付けてしまうことです。「啓蒙」は、時に、自分たちと同じような考えを持つことを強要し、それに賛成しなかったり反発するものを、自分と違う考えの人間を、軽蔑したり非難したりするのは、もう宗教カルトと同じでしょう。それさえ気をつければ、「自己啓発本」は、悪くないと思います。
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自己啓発本、こないだ買いました。

気持ちの切り替えできていいんじゃないでしょうか、
まあその程度ですが。
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参考程度でいいのではありませんかね(;´_ゝ`)


ああいう考え方なんだ…と

正式な宗教とそうじゃない宗教との線引きがうまくできているならよほど大丈夫でしょうね。

西に行きすぎてもダメだし…(キリスト教ならね)
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カルト宗教って害悪なもので、自己啓発本は使い方を間違えるととんでもないことになると思っているから似て非なるものではなかろうかと。


まあ自分は自己啓発本、死ぬほど嫌いなんですけどねw
他人の成功体験を綴ったものはだいたい盛ってそうで真実がわからない上に、啓発本なんかに縋ろうとしている人を食い物にしている感がひしひしと。
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自己啓発本って私は読まない。

人の成功例とか読んだって自分に合うとは限らないから。結局おっしゃているものいずれも占いにはまっている人と同じ様に思います。要は自分の将来の事を自分で決められない依存症の人が陥りやすい。だからそれを悪用する輩も出て来る。
それより先ずは自分という人間を知るところから始めるべきだと思います。
よく若き時にいろんな経験や苦労をするべきだなんて言いますが、それは自分というものの能力、長所、適性を知るために必要だからです。刀の切れ味は何かを切ってみないとわからないのと同じです。むやみに頭でっかちになるよりはいろんな経験から自分で考えて積み重ねて行くべきだと思いますが。
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「カルト宗教」と「自己啓発の本は違います


しかし
何千年も前から、その種の本は数限りなくあり、多く読まれていますが
抽象論の範囲を出ず、現実の人間を変える事等できませんでした
無智の人には、光が差したように、無学の人には最高の知識と
無能な人には知恵が付いたと勘違いします
自分を「レボリューション」「ひっくり返す」力はありません

真に学ぶべきは
世界の文学、歴史書、古典、芸術からです

そこから得る、深い哲学が
最高の、現実の、自己啓発であり自己改革です
この回答への補足あり
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違うたぐいですが、自己啓発本書いている人がセミナーとかなんかで


人集めてなんだかんだしてくると、雲行きはあやしくなってきますが。
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カルトて自己啓発は違います。


前者は毒、後者は栄養。

栄養は身体やココロに合わなければやめればいいですが、毒は、、、

考え方は人それぞれ。自己啓発本をたくさん読まれているなら友人の考え方も理解できるでしょうから否定はする必要ありません。

でもあなたはあなたの考えで生きていきましょう。
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>>カルト宗教」と「自己啓発の本」って「弱者につけこむ弱者を食い物にしてる同じ類い?」なのですか?



「同じ類いである」と主張したい人にとっては、同じ。
「同じ類いではない」と主張したい人にとっては、同じではありません。
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