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少し古いシャンソンを20曲ほど聴きました。
私はフランス語がわかりませんが、歌詞にパリという地名がよく出てきているようでした。
日本の歌(歌謡曲など)に、東京はそれほど多くは出てきません。
シャンソンによく出てくることは、フランス人はパリに特別な思いを抱いてるのですか?

A 回答 (6件)

#3の ご存知無い様(よう)ですが…だけは余計な言葉。

。。。。

「Chanson」とはフランス語で歌という意味。イタリア語では「Canzone」、スペイン語なら「Cancion」、これらはもともとラテン語の「cant」や「canticum」から派生した言葉。

たしかに意味は「歌」ですけれど、ただ単に「歌って意味だよ…」などと片づけるなんてただの雑学の範囲。このわが国でも、古くは日々の労働の中から自然発生した拍子や節回しがやがて地歌になり、その土地の民謡になり、あるいは神楽歌ともなり、一方では催馬楽(さいばら)を経て雅楽や謡曲といった「歌」に進化していきました。

他方、古く自然発生した労働歌などはやがて小唄、端唄、うた沢、長唄など庶民文化としても発達し洗練されてきたのです。そして日本古来からのこうした庶民派の「歌」は、演歌(艶歌)やその他の流行歌として今もなお人々に愛されているのです。「Chanson」がフランス語で「歌」という意味…なら、日本のこれらもまたごく身近な「歌」。

ですが、日本人が恋愛や失恋、希望や失意、心の内を演歌に託してしみじみと歌い愛するのと同じように、パリのフランス人はかれらのエスプリ(ハート)をシャンソンに託し、イタリア人は熱いクオーレとスピリトーをカンツォーネで歌い上げているのです。

ことほど左様に、「シャンソン」も「カンツォーネ」も、そりゃぁたしかに、ただの「歌」という意味には違いないけれど、ご存知無い様ですが、ただの「歌」という意味なんですぜぃ…とばかり言いきってしまうのでは、あまりにも無味乾燥で即物的。

わたくしはそうは思いたくありません。「シャンソン」も「カンツォーネ」も「演歌」もたしかに「歌」には違いないけれど、それらはいずれも、多数の人が共通して抱く心の内を吐露してやまない「生活の歌、心の歌」なのですから。

それから、ついでにもうひとつ。>だからフランス人はパリを歌う…。フランス人に共通してイメージを湧かせられるのはパリだけ…。

議論はしたくありませんが、こんな感覚にも添えません。フランス人はパリを歌う…というけれど、フランス人がパリを歌うとは限っていないし、パリを歌っているのがフランス人とも限らないからです。

ジュリエット・グレコ、イブ・モンタン、シャルル・アズナブール、ジョルジュ・ムスタキ、サルバトール・アダモ、そのほか。彼らの血や出自を見る限り純粋のフランス人じゃないからです。つまり、パリを歌っているのはなにもフランス人ばかりではないからです。

ですから、わたくしは、「純粋にパリを愛してやまないパリジャンたち、そしてやはり、パリに憧れて集まった世界各地からのアーティストたち。そこに、パリを歌ったシャンソンが生まれた…」とご回答したのです。

>特にフランスは近代、中央集権から外れたことがほとんど無いので文化はパリ中心。地方都市は特殊な文化を持っていますが…
この言葉が語るものについても、そのことを知ったうえで、わたくしはわたくしの表現でもってこちらへのご回答の冒頭に書き込んでいます。

とにかく、パリを歌ったシャンソンは、パリ独特の雰囲気のもとで歌い上げられた、パリならではの抒情詩。パリに住んでみて、そのことに初めて気づいたものでした。

ですから、ウソの回答ではないけれど、ご存知無い様(よう)ですが…という余計にして失礼な言葉には悲しいものを感じます。ただ、ご質問者様にはご迷惑をおかけしますので、これ以上の書き込みは致しません。大変失礼いたしました。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<パリに住んでみて、そのことに初めて気づいたものでした。>
熱っぽくご説明して頂きました。
シャンソンは<そりゃぁたしかに、ただの「歌」という意味には違いないけれど>ですね。
<「純粋にパリを愛してやまないパリジャンたち、そしてやはり、パリに憧れて集まった世界各地からのアーティストたち。そこに、パリを歌ったシャンソンが生まれた…」>
<パリを歌ったシャンソンは、パリ独特の雰囲気のもとで歌い上げられた、パリならではの抒情詩。>

お礼日時:2019/04/05 17:12

フランスは、日本以上に「パリ一極集中」の国です。


フランス第2の都市が「リヨン」であることをご存知ですか? 「リヨン」は人口約50万ですから、日本でいえば地方の中都市程度ですね。

フランスは、パリ以外は「田舎」の「農業国」なのです。田園地帯に領主の城(シャトー)があるようなイメージ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
フランスという<田園地帯>に、パリという<シャトー>があるのですね。

お礼日時:2019/04/09 08:44

日本でシャンソンと言ったら、フランスの特定の時代の歌(とその日本語訳)だと思うのですが、その頃の日本の歌だって「東京ブギウギ」や「有楽町で逢いましょう」など東京を題材にした歌が多いと思いますよ。


https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%9D%B1 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
戦争が終わって解放感に溢れたころ、から、経済成長期には、東京が盛んに唄われましたね。

お礼日時:2019/04/05 17:17

ご存知無い様ですが「シャンソン」とはフランス語で歌という意味。

「カンツォーネ」がイタリア語で歌という意味なのと同じ。だからフランス人はパリを歌う。特にフランスは近代、中央集権から外れたことがほとんど無いので文化はパリ中心。地方都市は特殊な文化を持っていますが、フランス人に共通してイメージを湧かせられるのはパリだけ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
<シャンソン」とはフランス語で歌という意味。>なのですね。
<特にフランスは近代、中央集権から外れたことがほとんど無いので文化はパリ中心。>
<フランス人に共通してイメージを湧かせられるのはパリだけ。>になるは、 致し方がないのですね。

お礼日時:2019/04/05 14:09

パリと東京のお話がありましたが、この二つの都市、微妙に違いがあるように感じるのです。



日本でも、流行歌を中心に、東京を歌った曲とか、大都会東京で郷里を懐かしむ曲など、やはりたくさんあります。つまり、ほとんど全国都々浦々の日本国民にとって、東京という大都市は、それぞれいろいろな理由から憧れの地であり、一目置かざるを得ない地であり、それゆえに時として気後れやライバル意識の対象ともなる地なわけなのでしょう。

ですが、それに比べて、パリという都市、我ながら信じがたく、ひょっとしたら間違っているのかもと思いながらも、フランス人たちにとっては、パリはパリ、自分の住む街は自分たち街…といった不思議な割り切り方を感じるのです。つまり、パリはパリ、フランスとパリの間に一線があるかに感じるのです。

話が横にずれました。シャンソンによく出てくることは、フランス人はパリに特別な思いを抱いてるのか…という問題に戻しましょう。

パリジャンが今もなおパリをこよなく愛していることは確かなことです。ですが、彼らがシャンソンでパリを歌い上げたのは、古謡は別として、古い曲では1930年代から、その後1950年代までぐらいまで。日本でいうならざっと大まかに戦前から戦時中を経て戦後と呼ばれる時代。その後にもパリは歌われていますしよく知られた名曲もありますが、曲数の上では次第に減っているように見受けられます。

では、なぜ、1930~1950年代の頃にパリがシャンソンで多く歌われたのでしょう。ひとつには、このころに卓越した歌唱力を持つアーティストが多く出現したこととか、ラジオ、電蓄、レコードといった設備の面での普及もあろうかと思いますが、もうひとつ、この時期ではまだまだ純粋なパリらしいパリが存在し、純粋なフランス人のパリジャンが比較的多かったからではないかと考えてしまうのです。

絵画、文学、音楽、ファッション、工学技術、料理、そのほか、世界中から素養のある人たちがさらなる修行のために押し寄せたパリ、ですが、彼らは誰もが自らの目標を持っていた知的な人たちばかり。彼らもまたパリを愛し慈しみ、パリを楽しみ、パリならではの高度なセンスや技術に触れて心を躍らせこそすれ、パリジャンには一目の敬愛を忘れず、概してパリのの品性を落とすこともなかった。

ただ、第一次大戦直後の米国の空前の超バブルとインフレから逃避して、ただ生活がしやすいという理由だけで憧れのパリに押し寄せた成金の米国人たち、いわゆる…パリのアメリカ人…たちの行状は別としても、パリは誰からも心から愛される都市であったことは確かなこと。

その結果、パリを舞台とした文学作品が多く出版され、ルーブルやオルセー、マルモッタンなどに今も飾られる名画が描かれ、ファッション、工学技術、料理は言うに及ばず、音楽の面でもクラシックのジャンルに属する名曲や、そして多くのシャンソンが生み出された。

フランス革命という人民のための闘い、そして第一次大戦、さらには第二次大戦とパリの陥落、そうした歴史がさらに、パリという都市を、逆説的に、より美しいものに育て上げたこともその背景にあったのかも。そしてパリは誰もが憧れるまさに華の都となっていったのではないでしょうか。

純粋にパリを愛してやまないパリジャンたち、そしてやはり、パリに憧れて集まった世界各地からのアーティストたち。そこに、パリを歌ったシャンソンが生まれたのはごく自然なことだったと思うのですが。

そう考えますと、ただ職を求め、食べて生きるだけのためにパリに押し寄せ住み着いた膨大な人数の移民たち、お世辞にも知的レベルが高いとはいいがたい種々雑多な人種が蠢く今日のパリでは、美しいにつけ、苦しいにつけ、喜びにつけ、悲しみにつけ、パリを心の底から歌い上げたシャンソンはもう出てこないのかも…と思う今日この頃です。思いつくままの要領の悪い回答で失礼いたしました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
わたしが聞いたシャンソンは、おそらく1950年ころ歌われていたようです。
そのころ、<純粋にパリを愛してやまないパリジャンたち、そしてやはり、パリに憧れて集まった世界各地からのアーティストたち。そこに、パリを歌ったシャンソンが生まれたのはごく自然>だったのですね。
その時代は、私にはどのように表現したらよいのわかりません。月並みなりますが、女性で言えば、女盛りであった、と思いました。何気ないしぐさに美しさが輝いていたのでしょうね。その時代に戻って、夢ですが、シャンソンを口ずさみ街角をそぞろ歩きしてみたい、と夢見ています。
稀有な歴史と溶け合ったシャンソンの素晴らしさを、説明して頂きました。

お礼日時:2019/04/02 18:51

日本人だって東京に特別な思いがあって、歌の歌詞にも多く登場するのと同じでは?

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
ご尤もです。

お礼日時:2019/04/01 19:32

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