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外国では無宗教の方は何をしでかすか分からない危険な奴と思われるそうですが、テロのニュース等を見ると宗教に入っている人達の方がよっぽど危険に思えます。

どうして無宗教は危険な奴と思われるんでしょうか?

A 回答 (8件)

間違っている認識があるからです。

私も無神論者(atheist)ですが、欧米圏では絶対的な道徳(absolute morality)は神が決めるという妙な意識ががあるのです。なので、そんな神を信じない人だったら、絶対的な道徳がなく相対的道徳(relative morality)観を持っているのなら、なんでも自分勝手に善だと思い、例えば人を殺す、レイプするのも善だと思えるから、危険だ、ということですが、これは人間の道徳が人間社会の中で進化してきた理由を理解しないからいう話です。大体宗教を信じている人は進化論を理解していないですからね。
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一部の人を見て全体だと把握するのは危険ですよ



簡単に言えば無宗教の人の善悪の概念が解らないのでしょう
何をもって善しとし何をもって悪しとするか、貴方、答えられますか?
貴方の中には漠然としたモノは有るでしょう
ただ、それはじっくり語らないと理解できない訳です

その点、キリスト教ならキリスト教の善悪が有りその教えを理解すれば
大体その人の道徳観が解るわけです
イスラム教なら、ユダヤ教なら、儒教なら、仏教なら、、、ってね

日本は無宗教ではなく多宗教のつまみ食いです
で、その道徳観は個々の心になかに有る
それって心が変わると善悪も変わるって事でしょ?
って外側から見ると思われる訳ですよ

貴方が他の宗教を危険だと危惧するなら同じように
他の誰かも日本的無宗教も危険だと危惧されてる
その事に対し「貴方が疑問に思う」
ただ、それだけです
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ニュースというのは事件性のあるものしか伝えない。


ニュースばかり情報源にしていると、偏ったものの見方考え方になる。

宗教自体は極めて当たり前のことしか言っていない。
「殺すなかれ」
「汝の隣人を侵すなかれ」
・・・
仏教も基本の教義も
「縁りて起こる」つまり「諸行無常」と「諸法無我」であり、世の中を観察すればそれが極めて当たり前のことであることはたちどころに判る。

そういうことを心で理解すると何が起こるか。
「今ある社会を受け入れながら」「そこで発生する不幸や理不尽をも飲み下しながら」「それでも自分が幸福になれる」
というものの見方考え方の入り口に立てるのである。
老いを憂いてありもしない不老不死の道を探求しても永遠に満たされることはないが、世の中諸行無常であることを認めれば、生老病死さえ受け入れられる境地への入り口に立てるということである。

ただ、そういう道を広めるという宿命が宗教にはある。
そのやり方を巡って、方法の違いが生じる。
それはある人には受け入れられるがある人には受け入れられない。
そこにいさかいが生じるのであり、いわばこれは手段の争いである。

目的と手段は混同されやすいが、ここをきちんと区別する目を養ったとき、全然違う世界が見えてくる。
宗教もその例に漏れない。

宗教の目的を端的に言えば
「今ある社会を受け入れながら」「そこで発生する不幸や理不尽をも飲み下しながら」「それでも自分が幸福になれる」
それは、言い換えれば
「自分の幸福を追求しながら社会も幸福にできる」「社会の幸福と自分の幸福が一致する」
社会的動物である人間にとって、それは最高の生き方であろうし、社会にとっても望ましいことであろう。
だからこそ宗教は社会の構成員が共通で備えているべき教養であり、
逆にそれのない人間は、そういう感覚を身に着けるのを怠った無教養人とみなされるのである。
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基本的に「宗教」=「道徳」だからです。



一神教では「汝、殺すなかれ」、「汝、嘘つくなかれ」、「汝、盗むなかれ」というような戒律=道徳があります。一神教の信者は「神との約束=戒律を守ることが重要」なので、これらの戒律を守って生きると「道徳的に正しく生きる」ということになります。

逆に一神教の人から見れば「道徳は神が与えてくれる物なので、無宗教なら誰が道徳を与えてくれるのか?」と疑問をもつわけです。
だから欧米やイスラム教国などの一神教の文化の国で「無宗教」というと、それは「私はなにが道徳なのかさっぱりわかりません」と言っているのに等しくなるわけです。

仏教国やヒンドゥー教などの多神教的な国だと、道徳は必ずしも「神々(または仏)が与えてくれる物」ではない場合があります。これらの国だと神や仏はたくさんいて、それぞれ教えや役割が違うからです。たとえば菩薩は「とにかく人間を救ってくれる」ものですが、毘沙門天(クベーラ)はお金の大切さを教えてくれるヒンドゥー神の一人です。そして中国に伝わる間に武神になりました。

一神教だと「唯一の神が道徳も与えてくれる」のですが、多神教は神(仏)がたくさん登場するので、彼ら一人一人の役割を考えると、それだけで道徳にはならないのが、多神教の特徴になります。

では、そういう国ではどうやって道徳ができるか、ですが、日本や中国などの東アジアの場合は「儒教」が道徳規範の土台になっています。論語などは今でも日本の道徳的規範の一つなのです。
 東南アジアからインドにかけては仏教以前からある道徳哲学が残っていて、仏教と共にいまでもそれらが利用されています。

アジアの殆どの国では道徳と宗教は同じではない、ので「宗教に熱心じゃなくても、道徳心が無いとはいえない」と考えるのですが、一神教は「宗教と道徳は同じ」なので、無宗教は「宗教がない=道徳心が無い」と考え、道徳心がないなら「悪いことをしてもまったく心が痛まない」のは危険人物と考えるのです。
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たぶんあなたの言っている文化圏は欧米のキリスト教文化圏だと思うので、それを前提にしますが、ポイントは二つあると思います。



①日本人の「無宗教」に対する誤解。
②キリスト教徒の、非キリスト教徒に対する偏見。



①の説明。

日本人の「無宗教」とは、純粋に「信仰する宗教がない」と言う意味であり、他の宗教の存在を否定する意味ではありません。しかし、海外で言う無宗教は、一神教のキリスト教やユダヤ教、イスラム教の神の存在を否定する思想だと思ってください。

日本人の思う「無宗教」とは、海外で言うところの不可知論者に似ます。
不可知論者は特定の宗教を持ちませんが、他人が信じている神を否定し、他の宗教を攻撃する事もしません。
しかし、海外で言う無宗教論者は、特定の宗教を持たないのは同様ですが、他人が信じる神を否定し、他の宗教を攻撃します。

言い方を変えれば、不可知論者は信仰の自由を侵害しませんが、無宗教論者は信仰の自由を侵害します。人権と聞くと、日本では宗教問題はあまりイメージされないでしょうが、海外でいう人権とは信仰の自由がメインになります。

あなたは、無宗教者を信仰の自由を侵害する思想だと思っていないので、このような疑問を抱くのだと思います。信仰の自由を侵害する思想は、特に海外では危険視されます。



②の説明。

①では本来の無宗教の説明と、その危険性について語りましたが、キリスト教徒の非キリスト教徒への偏見も問題があります。あなたはどの国のキリスト教の事か明言されていませんが、仮にアメリカとします。

アメリカは実は宗教色の強い国で、非キリスト教徒への偏見はかなり強いです。例えば、日本人女性がアメリカに留学した時に、キリスト教の牧師に「あなたはキリスト教を信仰していないのに、あなたには道徳心がある。理解できない。」と言われたそうです。彼らは、キリスト教徒しか道徳心は持っていないと考えています。

日本人で、「神道、或いは日本仏教の信者でしか、道徳心を持つ事はありえない。」という思想の人は、探すのも大変でしょうし、もしもいたらその人は相当なキ○ガ○です。

しかし、アメリカでは、「キリスト教徒しか、道徳心を持たない。」と言う思想は珍しくなく、普通の牧師でも結構います。そういう人からすれば、仏教徒でもそう思うのですから、キリスト教の存在そのものを否定する無宗教論者などは、許しがたく危険な連中と思うでしょう。




参考までに。
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外国では無宗教の方は何をしでかすか分からない危険な奴と思われるそうですが、


テロのニュース等を見ると宗教に入っている人達の方がよっぽど危険に思えます。
 ↑
その通りですね。



どうして無宗教は危険な奴と思われるんでしょうか?
 ↑
宗教は道徳の根源だからです。

新渡戸稲造の「武士道」にあります。

「お国では、宗教教育をしていないと聞きましたが
 ほんとですか?」
「ほんとです」
「おお! それでどうやって子供達に道徳を教える
 事が出来るのですか?」
「我が国には武士道があります」

なぜ人を殺してはいけないのか。
これを理論で説明するのは困難です。
ウイトゲンシュタインは、不可能としています。
しかし、宗教を持ち出せば簡単です。
「神がそう定めたからだ」
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無宗教は判断の基準が


好き嫌い、損得、感情、周りを見てになりますから
当然犯罪は増えます

宗教哲学があると
道理、理性、道徳、慈愛で判断できるので
犯罪は減ります
宗教にもよるがね

イギリスのウェールズにおける刑務所内の調査で
無宗教の人の犯罪率は高いと言うと報告があります

Azim Shariff 教授率いる研究チームが、
26 年間に渡って集められた 67 カ国 143,197 人の
データを分析したところ、
地獄の存在を信じる人達の多い社会の方が
犯罪率が著しく低かったというのです

日本は無宗教が多いのに犯罪が少ない、理由は
因果応報、自業自得、を無意識のうちに信じているからです
又、社会の安定、犯罪防止に力をいれているからです

仏教やヒンズー教や儒教など、平和そのものです
イスラム教の一部が過激なだけ、長老の考え一つだ
キリスト教は、歴史を反省しないと無理
お前ら、何やって来たか、知ったらびっくり
無宗教にもなるわ

http://rokusann.sakura.ne.jp/default2.htm
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ドイツでは5%が無宗教で「宗教税」の還付を受けています。

あなたの知識は間違っています。
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