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読みたいんですが、海外にいるためすぐ手にはいりません。特に、1箇所だけ質問があります。
「重要なのは伝統の美とか日本文化の本来の姿といったものではなく「生活の必要」であり、「京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない」のである。」という箇所です。
 これについて、補足説明、および意見等ありましたら聞かせてください。

A 回答 (4件)

ご質問は、


坂口安吾の『堕落論』の「日本文化私観」のことでしょうか?

この回答への補足

はい。今は「日本文化私観」として文庫化もされているように思います。

補足日時:2004/12/10 23:04
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No.1のものです。


すいません。独立した評論だったんですね。

補足説明するほどの知見を有しないので感想です。

「日本人は古代文化を見失っている」と批判するブルノー・タウトの同名評論を読んで、安吾が「古代文化が全滅しても、我々日本人の独自性が失われるわけではない。ナンセンスだ」と異議を唱える気持ちはよくわかる気がします。
日本人の精神性や独自性を古代文化の伝統の中から発見したタウトに対し、日本人である安吾は、現にある日本の姿を、そして日本の現実をあるがままの姿で受容する態度を示したかったのだと思います。

もっとくわしい方がいいでしょうか?
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この回答へのお礼

安吾の気持ちは私もよく理解できます。当時はまだ戦前であったように思うので、この意見にはおおいに賛成です。日本人の精神を作り出していたのは、物質的日本ではなく、武士道、天皇といった根本からの精神的日本であったからではないかと思います。しかし、現在、それは崩壊し、かつてとは逆に、日本人から自発的に物質的な日本なるものによりすがっている気がしてなりませんが、これについては安吾の著書を読めばどう書いてあるのでしょうか?

お礼日時:2004/12/11 07:19

あなたの質問の答を得るには、まずは入手できる坂口安吾の作品を全てお読みになることだと思います。



武士道や天皇制は、「制度」であり、これらは「奈良や京都の古い寺」とさほどの違いはなく、古い寺などはその制度の象徴にすぎません。彼が言いたかったのは、そのような象徴物がなくなっても、この制度を生み出した日本人の「精神」あるいは「魂」が消滅することはない、ということではないでしょうか。
また「精神」が消滅することはないと言っていますが、「変化」は否定していないと私は思っています。むしろ時代に即した新たな「日本人魂」(右翼的な意味でなく)を確立するべきであると言いたかったのでは?
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安吾は次のように言っています。



「新しい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである」

日本人が物質的な充足を求めていることについて、肯定する思想を抱きつつも、彼の心はそうした行為を卑小な所業と見るような「救いの無さ」を感じていたのではないかと思います。しかし、そうした愚劣さにもかかわらず、その愚劣さを引き受ける受容的な知性を、私は安吾の著作から感じとっています。
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