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死後について
死後自分の人生を見るという映画館のような所がありそこで自分の人生を見るというのがあるらしいですが私はないと思います
死後は善悪の基準がないと調べて分かったので
そこで質問なのですがその映画のようなものは本当にあるのですか?
私はその映画館は死ぬ間際に見る走馬灯現象のことだとおもいます

A 回答 (8件)

初めまして



死後とか世界・宇宙について私が考えた事を少し話させて下さい

まず、質問とは関係ない話しですが

話しのスタートは、宇宙にどうやって生命が生まれたか?です

科学的には、すべて無限に近い確率のもとで、偶然と偶然が重なり合って生命が誕生した・・・となっています

その確率は、何千億分の1くらいでしょうか、しかし宇宙には惑星の数が余裕でそれ以上あるので、偶然という考え方でも、地球に生命がある事は可能だ・・・という説明だったと思います

ある本に、その確率を分かりやすい例えで、腕時計のパーツをバラバラにして洗濯機に入れて回し、回し終わった時に偶然にも腕時計が元の状態に組み合わさり、正常に作動する確率くらい・・・とか書いてありました

それをなるほどと思い、納得できれば、私は科学的な解釈で満足できたでしょうが、私はそんな事は無限の時間があっても出来ないと感じました

つまり、偶然で生命が誕生する事はありえないと思いました、だから、宇宙自体にある環境が整えば生命を誕生させる意思が存在すると思いました・・・それは、神という事になります

で、宇宙自体に意思が存在する、つまり神が存在するのなら、色々な非科学的な物事も否定する事は出来なくなります

だから、生命つまり我々が存在する理由が偶然かそうでないと思うかでその他のすべての解釈は変わって来るのだと思います

前置きが長くなりましたが、その事を前提としての私の考えは、死後は肉体が消滅し生命エネルギーの状態になります

その生命エネルギーは思考をもち、五感などの生前の感覚はすべて持っています

その生命が肉体と同化した状態が生きている時なので、肉体を管理する為にかなりのエネルギーを必要とするので、生命はレベルダウンをします

だから、生きている時の状態は不完全な精神を持っています

その不完全な精神で、色々な失敗の経験をつみ学習する事が人生の目的です

そして、それなりに人生を送り、自分的にはある程度満足して死を迎える訳ですが、死んだとたんに肉体の縛りがなくなり、今まで肉体の管理をしていたエネルギーがフリーになる為に、大幅な思考の上昇が起こります

その上昇した思考で、今回の人生を振り返り改めて人生の評価をする事になります・・・それが、人生の回想です

で、生きている時は思考レベルが低いので、狭い価値観に縛られます
それが、善悪の価値観のもととなります

死んで思考レベルが上がると、物事には善悪はなく、すべてが必要な経験であり、その経験を通して人は考え成長をする・・・という事が理解できます

善悪とは、人の価値観が作り出す、その人独自の解釈にすぎません
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死後、と言うとヤッパリ死んだ後ですよね?


死んだ後は有機質から無機質になる、カルシウムに変わるだけと思いますよ。
死んだこと有りませんけどね。

死ぬ間際の状態は脳が様々な働きをするので、映画のような走馬灯状態になることもあります、生死の境を彷徨って一時、心臓が止まっても脳死ではなければ、
再び心臓が動き出すと言うことはよくある事です。

脳は通常ではあり得ない極限の状態では不思議な働きをします。
交通事故などで、衝突する瞬間はスローモーションのように感じますが、
その時は、脳がフル回転している状態です。
自分では気が付きませんが脳が事故回避のためにベストを探しているらしいですね。

死んだ後の事を真剣にお考えならば、辞めておいた方が良さそうです。
死んで見ないと分かりませんからね。

良いか、悪いか、正しいか、間違っているか、を取り払い考えるなら、
死後の世界があると考える人は幸せだと思います。
両親や兄弟、ご先祖様は存在するのですからね。
私は母親が早死した時、霊魂や死後の世界は無いものだと悟りましたよ。
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臨死体験の本が多数出ています、日本では少ないが


一度死んで、生き返った人の体験です

その多くの共通する部分の一つに
自分の一生を、フィルムを逆回転した時の様に現れる、
と言うものです

それとは別に
自分で自分を見る、
もう一人の自分がいる、
無念の思い、
この世とあの世を分ける、川とかドアとかの表現も
共通しています

何処で調べたのか分かりませんが
死後は善悪の基準がない、とは阿弥陀教等のエセ坊主の主張です
法華経や九識論では善悪は、因果応報、自業自得のまま、
死んでも引き継がれるのです
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初めて聞いた~。


何かのドラマのようですね。見たい人もいれば、見たくもない人もいる。希望に関係無く、全員強制で見られるのでしょうか。
・・・っていうか動物は?
生死に関しては全生物共通ですよね。じゃぁ、思考する能力の無いミジンコやウイルスまでもその映画館に強制連行されるのだろうか。

こういう話しって、否定しようと思えばいくらでも根拠が出てくるように思えます。
だってあるという証明だって出来ないものですし。
ただ、眠りが浅い時って夢を見たりするじゃないですか。
死に際・・・意識が朦朧としている時も、夢や幻が出てきそう。その映画館も走馬灯現象も三途の川も、全てその夢だと思う。
もちろん意識レベルによっても見られる・見られないがあると思いますが、人によっては現実の如く感じちゃったりするんだろうな。

もう終わりって最後の最後にそんな幻・・・意味なんて無いのでしょうけど、そういう事があるって思う事で人生に対する意識や死の恐怖が変わったりするのかな。
そんな事まで考える人間の意識は不思議だなと思ってしまう。
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おわり




  制作・著作   NHK
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>死後は善悪の基準がないと調べて分かったので



調べた出典は?エビデンスは?
某宗教での話?
死後どころか生前だって「善悪」は評価する人間、時代、そして対象によりいくらでも変わる。
少数の弱者は「悪」になりがち、要はマスに認められるかどうか、じゃないですか?
社会では支配関係、力関係ってかなり重要ですから。

>私はその映画館は死ぬ間際に見る走馬灯現象のことだとおもいます

時と場合により幽体離脱で一瞬だが自分の遺体を見ますよ。
だが思考、つまり目の前の現実を理解をすることはできないはず。
走馬灯のようなら、まだ意識を失うまえの今までの回顧のタイミング。

まあ正解は無いし論じることが無意味なので、自分が信じるとおりでいいと思いますが。

それで今のあなたが楽になる、それがまさに信仰なわけ。
他人に押し付けられることはない。
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本当にあるかどうかは、誰も知りません。



あると仮定したら、それは何なのか?としか考えようがないです。
あなたが走馬灯のようなもの、と思うなら、あなたにはそれでいいのでは?
多数決取るようなことでもないです。

なにしろ、最初から、もしあったら、という話ですから結論はないです。

ちなみに、走馬灯って別に死ぬ時に見る幻影ではないですよ。
円筒の中に蝋燭などを置いて、熱の対流でクルクル回る仕掛けです。
馬の絵を描いて、クルクル回ると馬が走ってるように見えるから走馬灯です。
お盆の飾りに作ったりします。
子供の時、作ったことがあります。
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「あった」 としても 此処で質問すると どうなるのか? から 考えれば


 質問する意味が無くなるのだが?
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