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オホモノヌシのカミと同じく 素朴に民俗として見て伝統の親しみ
のある神では?

モノ(質量)=コト(エネルギ)であるとも思われます。

質問者からの補足コメント

  • コトシロヌシが カヅラキと直結していたんですね。そして オホモノ
    ヌシや大神神社とも。

    ▲ (ヰキぺ:鴨都波神社) ~~~~~~
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%83%BD …

    (かもつばじんじゃ)は、奈良県御所市にある神社である。

    § 1 祭神
    積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。

    葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳
    神社(中鴨社)に対して「下鴨社」とも呼ばれる。

    事代主神は元々は鴨族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰
    の本源である。

    大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主の子に当たることから 「大
    神神社の別宮」とも称される。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/10 00:07

A 回答 (6件)

お礼をありがとうございます。

補足も、感謝します。

飯豊のお姫様について、ウェブサイトでいろいろ読んでみました。ご苦労なさったんだろう、と、同情します。お父さんは、雄略さんに殺され、そのお兄さんの安康さんも、眉輪王に殺されるという、殺伐とした一族で、弟たちを叱咤激励した、教育ママのような、肝っ玉母さんのような女性だったんですね。

鴨都波神社は、御所、飯豊さんの宮や御陵はすぐお隣の忍海にあり、市辺押磐皇子一族とも深いかかわりがあったようです。

感想の続きは、別のご質問に飛びます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 飯豊のお姫様について、ウェブサイトでいろいろ読んでみました。
ご苦労なさったんだろう、と、同情します。お父さんは、雄略さんに殺
され、そのお兄さんの安康さんも、眉輪王に殺されるという、殺伐とし
た一族で、弟たちを叱咤激励した、教育ママのような、肝っ玉母さんの
ような女性だったんですね。
☆ 父と弟ふたりとの間に 人間にとってふつうの信頼関係があったの
だと思います。その信念だけで 共同自治の留守番のような役目をしっ
かりとこなしたように思います。



★ 鴨都波神社は、御所、飯豊さんの宮や御陵はすぐお隣の忍海にあり、
市辺押磐皇子一族とも深いかかわりがあったようです。
☆ 当時のそういった人間関係あるいは家筋の関係を――推測ででしょ
うが 歴史の真実を明かすように文学作品としてでも――描いてみせて
くれると たのしいと思います。


★ 感想の続きは、別のご質問に飛びます。
☆ はい。

お礼日時:2019/07/17 10:47

稲荷山鉄剣はかなり新しい偽作と思う。


作成者がタケルだから、雄略帝にもルがないとおかしいと勝手に追加と思う。
ワカタケでルは記紀もつけない。
ヤマトタケルのルも明治の追加です。
元々はなし。だからワカタケルは誤りと判断。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 稲荷山鉄剣はかなり新しい偽作と思う。
☆ ううーん。理由は 次ですか。


★ 作成者がタケルだから、雄略帝にもルがないとおかしいと勝手に
追加と思う。
☆ それだけでは 弱い根拠ですね。

★ ワカタケでルは記紀もつけない。
☆ そうなんですけれど 従来: 
▲ 大泊瀬幼武・大長谷若建
☆ を ㇽをつけずに ワカタケと読んできたということですよね。


★ ヤマトタケルのルも明治の追加です。
☆ 《明治の追加》だとは知りませんでしたが:
▼ (ヰキぺ:ヤマトタケル) ~~~~~~
「武」・「建」の訓については「タケル」ではなく「タケ」とする説
がある[。その中で、「タケル」 は野蛮を表現する語であり、尊号に
用いられる言葉ではないと指摘される。
~~~~~~
☆ といった議論のたぐいですね。


★ 元々はなし。だからワカタケルは誤りと判断。
☆ ううーん。どうでしょうね。万葉仮名の読み(訓読み)という問
題でもあるようです。

どうでしょう。わたしは いまは保留になりますが。

お礼日時:2019/07/11 17:20

雄略天皇は倭の武王までは問題ないですか。

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この回答へのお礼

いやぁ その問題は どうでしょう?

ご回答をありがとうございます。

▼ 讃 ・珍 ・済 ・興 ・武
☆ ワカタケルと武とは よさそうなんですが どうでしょうか?

卑弥呼の問題にしても なやましいですね。

何しろわれわれのつくった資料ではないのですから。

まったく無関係と見るのも おかしいでしょうが ゆるい感覚で
わたしはその対応関係を捉えています。

むろんのことですが 絶対視することはできないと。

何ともはっきりしたことが 言えなくて 保留状態でいます。と
いうのが しょうじきなところです。



あたらしい研究の進展は――このところは 必ずしもフォローで
きていないとわれながら思いますので―― どうでしょうか?

お礼日時:2019/07/11 12:18

一言主といえば葛城山、葛城山といえば役行者で、この人は、得体のしれない人なのです。

葛城山から金峯山まで橋をかけようとして、一言主に讒言されて、伊豆に流されています。大和朝廷に反逆しようとして暗躍したのか、何なのか。

大物主は、奈良盆地の東側ですが、一言主は西側を支配していたようで、大王が大和を統一する前の、大きな勢力だったんでしょうね。

一言は、コトダマにも通じ、邂逅して、礼を尽くしたという雄略さんの残した歌が、美しい女性に、”名を名乗れ、自分のものになれ”と言う、コトダマを象徴するようなものであるのも、面白いと思います。

一言主は、大国主命の子供である事代主と同一視されることも多いらしく、多くを語らず、出雲の海に沈んだ神様と、”旧勢力”というところで、ひとくくりにされるんでしょうか。

本当に戦わずして、きっぱりと国を譲ってしまったのか。その後、レジスタンスのゲリラ活動があったのか、なかったのか。現在の穏やかな奈良の様子からは、はかり知れません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 一言主といえば葛城山、
☆ ええ。

★ 葛城山といえば役行者で、この人は、得体のしれない人なのです。
☆ まぁ そうでしょうか。

★ 葛城山から金峯山まで橋をかけようとして、一言主に讒言されて、
伊豆に流されています。大和朝廷に反逆しようとして暗躍したのか、
何なのか。
☆ 讒言も何故なのか必ずしも分かりやすくないですが 山と山の間
に石橋を架けるというところが 分かりづらいですね。

それと 役の優婆塞と呼ばれて その時代にはかなり仏教が入ってい
るようです。



★ 大物主は、奈良盆地の東側ですが、一言主は西側を支配していた
ようで、大王が大和を統一する前の、大きな勢力だったんでしょうね。
☆ 群を抜いて覇権を競うところまで行かなかったと思われ その点
わるくないようにも見られます。


★ 一言は、コトダマにも通じ、邂逅して、礼を尽くしたという雄略
さんの残した歌が、美しい女性に、”名を名乗れ、自分のものになれ”
と言う、コトダマを象徴するようなものであるのも、面白いと思いま
す。
☆ 鋤で小山を撥ねてやる・・・でしたか。面白いところもあるには
あるようです。


★ 一言主は、大国主命の子供である事代主と同一視されることも多
いらしく、
☆ あっ これは知りませんでした。見てみます。


★ 多くを語らず、出雲の海に沈んだ神様と、”旧勢力”というところ
で、ひとくくりにされるんでしょうか。
☆ 推測ですが けっきょくヤマトにおいて〔も〕 国々の集まりと
してのイヅモに対して あたらしい勢力としてのタカマノハラが覇権
を挑んだということではないかとは思っています。



★ 本当に戦わずして、きっぱりと国を譲ってしまったのか。その後、
レジスタンスのゲリラ活動があったのか、なかったのか。現在の穏や
かな奈良の様子からは、はかり知れません。
☆ ① 縁組作戦(政略結婚) 
② 相手の生活・文化に同化する
③ どうしても邪魔者だと見た場合には 暗殺また公然と殺戮 
④ 《イヅモ》側では 飯豊の青なる女性ががんばった 
⑤ 筑紫の磐井は 新たな覇者に異議を唱え 乱を起こした。
⑥ イヒトヨのアヲの親類たる顕宗オホケ 仁賢オケの兄弟に見ると
そもそも覇道を好まないようだ
・・・

お礼日時:2019/07/09 23:55

滋賀県は何か意味有るんどえh層化


北東ですから鬼門でしょうか。
それから逆転の数学とかが中間ですか。中途半端だと。青照るのでしょうか。
ただの事実とかただとか

necの新卒に負けてると云うそんなげんっじょ
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この回答へのお礼

滋賀県とか 今回はよく分かりませんでした。

お礼日時:2019/07/09 23:16

天皇と出会った時の服装が同じであった、という所に暗示的なものを感じます。



また捉えられ方が、時が経つとともに変化していくと云うのも、面白いですね。

ご都合主義、なんでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 天皇と出会った時の服装が同じであった、という所に暗示的なものを
感じます。
☆ 一般的にも そのようです。

山彦のイメージ版と言いますか 聴覚だけではなく視覚にも現われたとい
うような言い伝えですね。


ミラーニューロン現象と言いますか あるいは 相手の雄略オホハツセワ
カタケルに向けて《鏡になる》と言いますか。

なにしろ 大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)と国史である日本書
紀に載った人間ですから。




★ また捉えられ方が、時が経つとともに変化していくと云うのも、面白
いですね。
★ ご都合主義、なんでしょうか?
☆ あぁ。たぶんそれは 先ほどの《大悪天皇》という異名も そういう
噂であり誹謗だったんだという雄略寄りの見方があり得たということにつ
ながっているんでしょうね。




オホモノヌシ=ヒトコトヌシ ということで e=mc^2 につながると思い
大いに――アマテラスオホミカミよりも―― 宣揚してよいと思います。

お礼日時:2019/07/09 20:49

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