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下記の続きですが、ちょっと方向性をかえます。
【「で」と「に」についてなのですが、どちらも《状態》を表す助詞ですよね】その2 2019/06/30
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11188591.html

 大前提として「真面目に取り組む」の「真面目に」が、形容動詞であっても、名詞であっても、大きな違いはない。ただ、この場合は形容動詞と考えるのが一般的ではないか、と思います。
 名詞と考える理由があるのでしょうか。


 以下、ブログからの抜粋なのでデアル体で失礼します。
 下記からひく。
https://www.kokugobunpou.com/%E7%94%A8%E8%A8%80/ …
===========引用開始
■ 形容動詞の活用形の主な用法
○ 未然形は、助動詞「う」に連なる。
○ 連用形「―だっ」は、助動詞「た」や助詞「たり」に連なる。
○ 連用形「―で」は、
① 「ない」「ある」(補助用言)に連なる。
② 助詞「は」「も」に連なる。
③ 中止法に用いる。
○ 連用形「―に」は、用言に連なる。 
===========引用終了

「真面目」は形容動詞だから、連用形「―で」は下記のように使う。
① 真面目でない/真面目である(「真面目だ」のほうが使用例は多い)
② 「真面目では~」「真面目でも~」の形になる
③ 真面目で、(優秀だ)~
○ 用言に連なるときは「真面目に取り組む」になる
 だから「真面目で取り組む」とは言わない、ってことでいいのでは。ただし、③の場合は、助動詞の「だ」との区別が微妙なことがある。

 形容動詞でないなら、名詞のほうで「真面目で」にならないのか、という疑問も湧く。
 どうも「真面目」は名詞として使われることは少ない気がする。これが形容動詞のイメージが強いせいか否かは不明。
 もちろん、「真面目そのもの」のような使い方もあるが、これは例外と考えるべきではって気がする。
「真面目」を名詞として使う場合には、「(かつてない)真面目さで取り組む」のように使うことが多いのでは。「真面目がとりえ」より「真面目さがとりえ」のほうが自然に感じる。
「さ」が必要になるのは、形容動詞のイメージが強い言葉なのでは。

 微妙な例をいくつか考えてみた。
●必死……必死に/必死で/必死さで
 どれもありそう。おそらく、「必死」は形容動詞の用法と名詞の用法が両方とも同程度{で/に}使われるから。
 これに関しては下記で書いた。個人的には「必死の形相」しか使わない。 「必死な形相」が「間違い」とは思わないけど。
【「必死な形相」「必死の形相」辞書への悪態】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12416522759.html

●本気……本気に/本気で/本気さで(△)
「本気で取り組む」はフツー。「変わらぬ本気さで」は、あるよなないよな。おそらく、「本気」は名詞のイメージが強いからだろう。名詞のイメージが強いから、「本気に」も形容動詞ではない、と主張する人がいるなら、否定する気はない。

●きれい……きれいに/きれいさで
 真面目と同様。「きれいで若々しい」とは言うが、「きれいで片づける」とは言いにくい。名詞の場合は「20年前とかわらないきれいさで」などと使う。「さ」は省略しにくい。形容動詞のイメージが強いのだろう。

質問者からの補足コメント

  • 現段階の考えです。

    「無意識{で/に}やる」「真面目{で/に}取り組む」 教えて!goo〈1〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12490607157.html
    ===========引用開始
     だって、ほとんどの日本人は形容動詞と知っていて、それを踏まえたうえでそれぞれの主張があり、ほかの流派に行くんでしょ。
     ごく一般の日本人には「真面目に」の品詞は「形容動詞」っていうのがフツーの態度じゃないかな。そっちを説明した上で、「ただ私は……」とほかの流派のことを教えるのがフツーでしょ。「形容動詞は非論理的な考え方で間違っている。ナ形容詞が正しい」なんて、まともな日本語教師は言わないと思うよ。  
    ===========引用終了

    〈2〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12493854013.html

      補足日時:2019/07/20 10:59

A 回答 (18件中1~10件)

>>大前提として「真面目に取り組む」の「真面目に」が、形容動詞であっても、名詞であっても、大きな違いはない。

ただ、この場合は形容動詞と考えるのが一般的ではないか、と思います。
 名詞と考える理由があるのでしょうか。

まず、大切なのは名詞とは何かを明確にすることです。そして、形容動詞という誤った品詞分類に引きずられないことです。
学校文法での名詞の定義は次の通りです。

めい‐し【名詞】
(noun)品詞の一つ。事物を表す語。文中で主語や目的語などとして働く。数詞・代名詞を含むこともある。【広辞苑】

ここで、「文中で主語や目的語などとして働く。」は「働き」とあるように機能であり、語の本質としてえの意義ではありませんが、とりあえず、この定義に依っても、「彼は真面目が取り柄だ。」の「真面目」は名詞になります。

しかし、リンゴの山を指して、「その赤いのを下さい。」の「の」は「リンゴ」であり、名詞と考えなければなりません。しかし、これは主語にはならないため、学校文法では<準体助詞>と助詞の一類とされています。

では、助詞とは何かとなると、
じょ‐し【助詞】
品詞の一つ。常に他の語のあとに付いて使われる語のうち、活用しない語。前の語が他の語とどのような関係にあるかを示したり、語句と語句を接続したり、文が表す内容に一定の性質を付加したりする働きがある。「梅が香」「君だけ行け」「水こそ流るれ」「花咲けば」「行くぞ」「花よ咲け」の、「が」「だけ」「こそ」「ば」「ぞ」「よ」の類。古くから「てにをは」と呼ばれた。普通、格助詞・副助詞・係助詞・終助詞・間投助詞・接続助詞などに分類する。【広辞苑】

で、「常に他の語のあとに付いて使われる語のうち、活用しない語。」というのは形式の問題で、一応「リンゴ」を表す「の」にも適合しますが、「赤いの」の「の」が「前の語が他の語とどのような関係にあるかを示したり」はしていません。この点で、助動詞とするのは不適切であることが分かります。では、名詞とは何かといえば、実体認識を表す語であり、具体的、抽象的の差はあっても「事物を表す語」というのが正しいといわなければなりません。当然、リンゴを表す「の」は物を表し名詞とすべきものです。

そして、「彼は真面目が取り柄だ。」の場合は、「真面目」が属性を実体として捉えた名詞であるということになります。「平和」も、「平和が訪れた」「平和を目指す」の場合は名詞になります。このように、名詞とは話者が対象を実体として捉え表現するものです。

「真面目になる」「真面目に取り組む」「平和になる」「健康になる」「平和な国」「健康な生活」の場合は、「真面目」「平和」「健康」は、実体認識ではなく、属性表現の語であり、「真面目になる」「真面目に取り組む」「平和になる」「健康になる」の場合は、動詞「為る」「取り組む」の動作の具体化、立体化を表しており、属性表現の語の副詞的用法(連用修飾)になります。

さらに、「平和な国」「健康な生活」「真面目な性格」「華麗な舞」の場合は、実体である、国、生活、性格、舞の属性を表しており、「な」は肯定判断辞「なり」の連体形「なる」から「な」に転成したものです。ここで、何故「な」を使用するのかと言えば、漢語[平和」「健康」「真面目」「華麗」が活用を持たず、そのままでは、名詞を修飾できないため。判断辞の連体形「な」を使用し、漢語を和語の文に取り込んだものです。

このように見てくれば、「真面目な」「平和な」「健康な」を一語とし、「な」を活用語尾とする形容動詞という品詞区分が誤りであることは明らかです。

なぜならば、形容詞「赤い」が「赤く」「赤けれ」と活用し、動詞「行く」が「行か」「行き」「行け」と活用したところで、「行く」以外の意義を表すわけではなく、単語は単純な裸体的な意義を表すに過ぎません。活用とは次に続く語による形の変化に過ぎず、意義が変化する訳ではありません。

「真面目な」「平和な」「健康な」は属性+肯定判断という全く性格の異なる二つの意義を表すことになり、膠着語である日本語の単語ではなくなってしまいます。

このように、形容動詞という品詞区分が誤りであり、その語幹とされる部分こそが、属性表現の場合と実体表現の場合という二義を持つ、多義の単語であるというのが日本語の正しい理解になります。

この基本的な点が誤っているため、今回のような疑問が何度となく繰り返され、混乱した無意味な議論がなされることになります。■
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先の属性表現について、もう少し補足し、質問への回答に答えておきます。



属性表現には、時間的に変化しない静的な属性と時間的に変化する動的な属性があります。前者が形容詞であり、後者が動詞であるのは明らかでしょう。そして、形容動詞の語幹とされる、「真面目」「綺麗」「無意識」「華麗」「平和」「健康」は静的な属性表現であるのが明らかかと思います。形容詞との相違は、活用を持つか否かです。

動詞「やる」「取り組む」が時間的な変化である動作を表し、その動作の具体的、立体的な様相を表すのが、「真面目に」「無意識に」で、格助詞「に」自体が状態を表すのではありません。

「無意識にやる」「真面目に取り組む」の格助詞「に」は、この動作に対する在り方の位置付けの認識を表しています。

格助詞「で」は手段・方法・理由・原因の認識を表しますが、

① 真面目でない/真面目である(「真面目だ」のほうが使用例は多い)
② 「真面目では~」「真面目でも~」の形になる
③ 真面目で、(優秀だ)~

の「で」は格助詞ではなく、肯定判断辞「だ」の連用形「で」です。これを、格助詞「で」と一緒にするのは、味噌も糞も一緒にするのと同じ誤りです。「真面目でない」は、「で」で真面目を肯定した後、「ない」と否定判断しています。

③ 中止法に用いる。

というのは判断辞の連用中止法であり、「本当に、どうして良いのか分からない」の「に」は接続助詞になります。

接尾語「さ」は属性の量的な実体把握を表すもので、「長さ100m」「旨さ100倍」「逢いたさ見たさに恐さを忘れ」のように使用し、「彼の真面目さには頭が下がる」と言います。

「きれいで若々しい」の「で」は判断辞「だ」の連用形「で」です。「きれいで片づける」の場合は格助詞になりますが、「きれい」は方法・手段・理由とはなりえず不適切な表現になります。「綺麗で得をする」「綺麗で評判になる」などは普通に使用されます。■
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>どちらも《状態》を表す助詞ですよね


この認識に疑問があります
助詞「で」は手段(方法)を表します
これを拡大解釈できない人の場合は、状態を表すと記憶する必要があります。
その記憶と一致さえすれば、機械的に判断理解できます。
でも、一致さえ、すれば・・・が問題、どの場合がそれに該当するのか見分けができなければ、記憶と一致させることができません。
無意識で・・・する。
する、手段(方法)が「無意識」と拡大して解釈できませんか
真面目で(に)・・・であっても、「真面目」は一応名詞ですよ、状態を表す品詞は形容詞、形容動詞です。
「で」と「に」の使い分けは他の要因です。
その説明のためにも、基本の「に」は目的格、「で」は同じく、手段を表すで説明可能です。
金槌で肉を切る、ナイフで肉を切る、どちらも手段ですね、金槌は何をするもの(評価)、ナイフは何をするもの(評価)、は自分が決めたものではありません、客観的に定着していますね、それに従えば、ナイフで肉を切る、となって当然ですね(つまり、この表現は自分に責任はありません・・に通じます)。
真面目に取り組む、取り組む、かどうかは自分の判断、責任です、その動作の目的語が真面目、ですね、行動の責任ははずべて自分になります。
「に」で表現すれば、主役は自分になり、「で」で表現すれば主役は手段であるほうが主役になります、手段にはすでに客観的な評価があります、自分はそれに従うだけ、(責任回避ができます)。
本来は「に」で表現すべきだが敢えて「で」を使うケースは目立ちます、これは「僕的には・・・」と同じ、自分を強く主張しない、ということらしいが、裏から見れば責任回避、批判回避の気持ちの表れです。
そういう意味では、安易に「で」で表現すべきではない・・には大いに同意できます。
ただし、本気さ、の「さ」は程度を表します。
変わらぬ本気さ、では何も変わりません、本気の程度が変わらなければ、以前と同じです。
本気さ・・・の程度を別に明示が必要になります。
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補足 


変わらぬ本気さ・・・・
むしろ表現としては、変わった本気さ・・・の必要があるように思います
例 以前以上の本気さ・・・
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>むしろ表現としては、変わった本気さ・・・の必要があるように思います
 そちらのほうが自然かもしれませんね。
 いずれにしても「さ」は必要かと。

お礼日時:2019/07/15 20:41

「きれい」について。

質問文を読んで思ったのですが、「真面目」と同様に、「名詞」として使われる用例がどれだけあるのでしょうか。「綺麗が」「綺麗を」「綺麗と」「綺麗も」「綺麗も」「綺麗は」「綺麗から」「綺麗へ」「綺麗より」「綺麗の」など。
 存在するのは、「綺麗に」「綺麗で」であるとすれば、殆ど「形容動詞」を認めることに成ります。勿論形の問題だけの話ですが。外の方のご意見もお聞きしたいです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>「真面目」と同様に、「名詞」として使われる用例がどれだけあるのでしょうか。
 たぶん同様です。「きれいがとりえ」と言えなくはないでしょうが、「きれいさがとりえ」のほうが自然でしょう。
 このあたりに関しては、下記が参考になるかと。発言者は、いまや有名人になったあのかたです。
 おそらく、「真面目」も「きれい」も「形容動詞的性格」が強いのでは。

【名詞なのか 形容動詞なのか 健全 安全 偉大〈1〉〜〈5〉】の〈1〉
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12416633329.html

【ことば会議室】
http://kotobakai.seesaa.net/article/8174276.html
===========引用開始
>   なぜ「最適」にはノもナもつくのか(p.36)
>   「に」はなぜ使われないのか(p.228)

これはきわめて高度な問題ではないでしょうか。修飾語となりうる語に「だ」「な」「に」「の」のいずれが付くか付かないかは微妙なので、たとえば『岩波国語辞典』ではそれぞれの語ごとに「ダナ」「ダナノ」「名ノナ」「副ノナ」などと表示しています。飯豊毅一氏は『品詞別日本文法講座 形容詞・形容動詞』(明治書院)で、任意の50語を取り上げて、それらに「の」が付くか、「な」が付くか……というテストをしてみて、結局、名詞・形容動詞・副詞が画然とは分かれていないさまを示しています。いわれてみれば、さまざまな個性(意味・用法)をもったそれぞれの語を「品詞」という決まったワクに押し込めようとすること自体に無理があります。

「最適」には「だ・な・に・の」が付くのに「快適」には「だ・な・に」しか付かなかったり、また、「ふわふわ」に「だ・な・に・の・と」が付くのに「じめじめ」には「と」以外は付きにくかったりしても、どちらが正しくどちらが間違っているということではないでしょう。大まかにいえば、何も付かないか「と・に」が付く語は副詞的性格が強く、「な」が付く語は形容動詞的性格が強く、「の」が付く語は名詞的性格が強いと考えてよいと思います。 
===========引用終了

お礼日時:2019/07/15 20:48

>>外の方のご意見もお聞きしたいです。

(No.5)

No.1にて回答の通り、まず名詞とは何か、その定義、何をもって名詞とするのかを明らかにしないと感覚的、恣意的な議論になり錯綜します。そもそも、形容動詞「真面目だ」が名詞の場合とは何を言っているかです。辞書には語幹「真面目」が掲げられ、品詞は[名・形動]と記されていますが、名詞の場合、終止形の「真面目だ」なのか語幹の「真面目」なのか不明です。

学校文法では名詞は活用を持たないことになっており、この点でも形容動詞なる品詞の矛盾が明らかです。時枝誠記は形容動詞を否定し、体言+用言の二語としている。これは、語幹を体言とするもので、時枝の機能主義的な品詞観の側面が現われた踏み外しです。

このように、形容動詞か名詞かを問題にする場合は、具体的に名詞とは何かをまず明確にすべきです。

No.5に対するコメントについても明確にしておきます。

>>なぜ「最適」にはノもナもつくのか(p.36)
   「に」はなぜ使われないのか(p.228)
 これはきわめて高度な問題ではないでしょうか。

別に大した問題ではありません。次の通りです。

最適な組み合わせ
これは、属性表現による「組み合わせ」の状態を表しています。

最適の組み合わせ
これは、名詞「最適」と「組み合わせ」の格助詞「の」による関係表現です。

音量を最適に調整する。
格助詞「に」による移行の結果を位置付ける表現です。

>>修飾語となりうる語に「だ」「な」「に」「の」のいずれが付くか付かないかは微妙なので

語の意義を明確にできず結果を形式的に捉えるしか能がないので微妙になりますが、それぞれの関係を話者がどのように捉え表現するかの問題に過ぎません。

>>それぞれの語を「品詞」という決まったワクに押し込めようとすること自体に無理があります。

明確な品詞定義ができないための欠陥に過ぎません。品詞とは語の本質的な性格に基づく分類であり、無理が生ずるのはその分類、理解が不適切であることを明かしています。

>>「快適」には「だ・な・に」しか付かなかったり

かい‐てき【快適】クワイ‥
ぐあいがよくて気持のよいこと。「―な生活」【広辞苑】

というように、属性表現の語で、名詞の場合は「快適さ」になるからで、「快適さが勝負だ」のように使用します。

>>「じめじめ」には「と」以外は付きにくかったりし

情態副詞で、「じめじめする」「壁がじめじめしている」「シャツがじめじめになった」「じめじめの雑巾だ」「洪水で床がじめじめだ」のように使用します。

>>何も付かないか「と・に」が付く語は副詞的性格が強く

これは論理が逆転しています。副詞は単独で修飾したり、動作を位置付ける場合には「と/に」を使用するということです。

>>「な」が付く語は形容動詞的性格が強く、「の」が付く語は名詞的性格が強い

これも因果関係が逆転しています。
「な」は肯定判断辞「なり」の連体形なので、名詞の修飾に使用され、格助詞「の」は名詞の間の所属・所有の関係表現に使用される結果を述べているに過ぎません。

このように、品詞の定義と、その意義を正しく理解することなく、辞書の誤った定義や解釈を振り回して事実に立ち向かっても混乱するだけであることが明らかです。■
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>いずれにしても「さ」は必要かと


「さ」は程度(具体的な位置は含みませんが)、を示します
可愛らしさ、の後には、程度として比較すれば・・とか程度はどのくらい(より具体的な位置?)を示す必要があります。
>名詞のイメージが強いからだろう
ではなく、名詞、なんです
>「本気に」
名詞+断定の助動詞「だ」の活用形です
>「20年前とかわらないきれいさで」
具体的な程度の表現を伴っています、→20年前と(かわらない)
>形容動詞のイメージが強
形容動詞的?、・・・的、の表現は、・・・ではない、という意味も含みえます。
「イメージ」の言葉使っての文法の説明は非常にナンセンス、あいまいな言葉では正確な内容が伝わりません。
そのほかに、自分自身をも、ごまかす言葉です。
>きれいで若々しい」とは言うが、「きれいで片づける」とは言いにくい「
逆に、「きれいさで若々しい」、「きれいさで片付ける」は聞いたことありません。
きれいさ、の具体的な内容を伴う必要があります、お雛様のような、20年前と同じ、、大の字で寝られるほど、なめてもいいほど・・・・・。
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この回答へのお礼

>ではなく、名詞、なんです
 ですか。
 フツーの判定法だと形容動詞とは思えないので、当方も「名詞」と思いたいのですが……。辞書が形容動詞を認めているもんで。
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E6%B0%97-632041
 ただ、「本気」に関しては↑に書いたとおり〈「本気に」も形容動詞ではない、と主張する人がいるなら、否定する気は〉ありません。

>形容動詞のイメージが強
 は当方の言い方です。
〈名詞的性格が強い〉は、リンク先にある、ちゃんとした学者の言い方です。
 そんなにお気に召しませんか。

お礼日時:2019/07/17 20:39

以前にも、この種の質問と主張を読んで、何か回答を書いたような記憶がありますが、はっきり覚えていません。

 しかし、今回の質問の文の中に、『大前提として「真面目に取り組む」の「真面目に」が、形容動詞であっても、名詞であっても、大きな違いはない。ただ、この場合は形容動詞と考えるのが一般的ではないか、と思います』と書いているのを読んで、不思議な感じがしましたので、感想を書きます。
[真面目]について、[形容動詞であっても、名詞であっても、大きな違いはない。この場合は形容動詞と考えるのが一般的ではないか]のように思考するのであれば、品詞の区分というのは一つに決まり切っているモノではなく、品詞区分は曖昧で2種にもなったり、言語の使用状況や言語使用者の個人的感性でも色合いが変わるようなモノという認識をしているのではないですか。 黒や白でも、真っ黒、薄い黒、灰に近い黒、灰に近い白、真っ白のような感覚があるように、名詞と形容動詞にも品詞の境目のはっきりしない状態があると思っているのではないのですか。
「安心が大事」、「安全を第一に」、「バカ真面目が災いして(「さ」がなくても使えるということは、その語は、形容詞や形容動詞用法ではなく、名詞用法もあるってことでしょう)」など、ある人々が形容動詞とするような語にも、名詞用法があるってこと、つまり、使い方次第で、名詞になったり、形容動詞になったりできるってことでしょう。

『この場合は形容動詞として考えるのが一般的』『この場合は名詞として考えるのが一般的』とさえ言えるのであれば、世間でも《言葉の使用状況次第で、品詞区分の評価が変わる。品詞は一語に1つで固定しているものではない》と思っているということではないのですか。 そもそも、何を一語と区分認識するのかでさえも、《自説を立てないと、できないこと》なのではないですか。
「アイツは真面目さ」「真面目さが買われて」「これはなんという真面目さ!」などで、[真面目&さ]と考えなくて[真面目さ]で一語としたって問題はないでしょう。 真剣さ、美しさ、バカさ、青さなどでも、[さ]を分離せず、一語と認識したって問題はなさそうです。 新語、国語、外国語、熟語、単語、古語、孤立語、膠着語、屈折語、官職、失職、就職、現職、適職でも、それで一語と理解するのですから。辞書・字引をつくる都合で、接尾、接頭、助詞に分離すると収容語数を減らせるというのは、収容語数を数倍にした方が近い勝手が良くなるという視点からすれば、青い、青さなども別々の語とした方が良いってことでもあるのだと思います。
真面目にしても、名詞もあるし、形容動詞もある、それでいいのではないですか。
  ~~~~~~~~~~~~~~~
マジとは、真面目の略語である。それから派生して「全力を出す」あるいは「ネタとしてふざけているのではない」というような意味を一纏めにした形容詞・助詞・その他もろもろである。
真面目組、真面目派、真面目人間、くそ真面目、ばか真面目、似非真面目、使おうと思ってしまえば名詞に使うことは難しくはないです。
品詞に関して柔軟にその場に応じて使えるとなれば、【真面目 & に/で】でも、柔軟に考えたら良いってことでしょう。 [真面目に]で一語と考えることも可能でしょう。 「真面目で困る」「真面目です」「真面目ではない」は、[真面目で]と切って一語に考えるのはちょっと賛成しかねますが、、、
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 コメントをいただいたのは、【「で」と「に」についてなのですが、どちらも《状態》を表す助詞ですよね】その2 2019/06/30 (「前問」と呼びます。)のNo.6だと思います。この時は返信で敬称を付け忘れてしまいました。お詫び申し上げます。
 それにしても、なぜ前問はあんなに的外れのコメントが続いて読みにくくなったのでしょう。
 原因の一つが今回も邪魔なので、しばらくご退場願おうかと思います。

 当方はさほどむずかしいことは考えていません。
「真面目」が名詞用法と形容動詞用法を持っているのは知っています。たいていの辞書にのっていますから。『広辞苑』
にはのっていないことも知っています。前問のNo.2のお礼に書いたとおりです。
 ただ、「真面目に取り組む」の「真面目に」は形容動詞と考えるのが素直なのでは、と思っています。

お礼日時:2019/07/18 22:39

No.8 回答者: yoreyoreサンの回答について



>>つまり、使い方次第で、名詞になったり、形容動詞になったりできるってことでしょう。

これは、論理が逆転しています。語は多義であり、話者の概念認識に適合した語を選択し使用するのであって、「使い方次第で、名詞になったり、形容動詞になったりできる」のではなく、あくまで話者が選択した結果です。

>>何を一語と区分認識するのかでさえも、《自説を立てないと、できないこと》なのではないですか。

当然、論理的、科学的に定義されなければなりませんが、現在の形式主義/機能主義的な言語論、文法論ではできないということです。

>>辞書・字引をつくる都合で、接尾、接頭、助詞に分離すると収容語数を減らせる

これは、北原保雄当たりが飛ばしているデマです。

>>[真面目で]と切って一語に考えるのはちょっと賛成しかねますが、、、

こんな、ご都合主義では論理的、科学的な言語論、文法論を構築することはできません。■
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>>辞書が形容動詞を認めているもんで。



橋本文法に依拠する辞書の誤りに引きづられては正しい理解はできません。『広辞苑』は下記の通り、形容動詞などという品詞を認めていません。事実と取り組み、自分の頭で考えることが重要です。

ほん‐き【本気】
まじめな心。冗談や遊びでない真剣な気持。また、そのような気持で取り組むさま。「人の話を―にする」「―で働く」

https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E …
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