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汎性欲説というのは、どうも「ホンマかいな?」と思うとことがあって、たとえば、スポーツは性交の代償であるとか。
そうじゃなくて、スポーツにはスポーツ独自の純粋な興奮とか楽しみがあって、性欲もそれに並んでいるだけなんじゃないかと思うんですけどね。

そんなに人間っていうのは、「増える」ことしか、生きる価値観を貫けないものなんでしょうか。純粋な文化活動はありえると思うんですけど。

A 回答 (3件)

 まったくその通りだと思います、性欲→スポーツという考え方はやめた方が良いでしょう、実際性欲の脳の機能がスポーツをしている時に現れているかどうかの実験結果があるかどうかを調べてみれば分かるでしょう、無論一時的に働きましたというのは別とします。


 多分他の機能の方が優勢に働いていると思いますよ、そういう意味では>性欲もそれに並んでいるだけなんじゃないかと思うんですけどね。
>というか現れているかどうかするも疑わしいとなるんではないでしょうか?
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フロイト擁護も一つ上げておきます。


人間の行動を理解するためのツールとして、無意識というものを導入し、そこに個人の生きる欲望の根源があると考えたわけですね。
それが、いわゆるエロスであると述べているのです。
フロイトの考えは性愛に偏向してるとして、ユングはそこにもっと広くアガペに近いものを持ち込んでます。

つまり、フロイトは、人間には生殖行動しかなくそれが価値観になっているのだ、といってるわけではなく、あくまでも、人間が行動するのは、無意識に端を発する衝動があるからで、その無意識にあるものがエロスだ、といってるだけです。
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こんばんは


(^^)/どうもです☆
学問的な見解は、分かりません。が、私個人的な見解です。
スポーツは、性欲の代償ではなく「抑制」効果に思います。
あくまでも、肉体的な面においてです(メラメラのムズムズ感)。
精神的な面に関して、スポーツは脳科学的に、かなりハイテンションに成ると言いますよね、確か!?(私はスポーツ音痴なので、実際が分からず)
ハイテンションに成るという状態は、脳神経がビンビン。という事は、人間の本質(深奥)を見るに至りますよね。
だとすれば、純粋な精神的活動と、言えると思う。
楽しい事からの興奮。
辛くても、達成という満足感。
個人競技ならば、一人で、団体競技・ダブルス系競技ならば、仲間という共有意識で感じる事が出来る。

人間が増える・増やすは、動物「ヒト」としての本能がまず、有り「子孫繁栄」…生き残り作戦。これは、肉体的な面。
精神的な面としては、伝統文化の継承と、更なる発展とすると、純粋な精神的活動に成りますね。
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