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現代文です。

論理はいかにも、はじめは私たちの日常的認識の原理であった。ふだんの認識を造形する(ほとんどユイイツの手だてが言語表現であり、その言語表現には何やら首尾一貫した原理があるらしいと察したとき、人間はその首尾一貫性を取り出してみることを思いついた。 論理 は元来、言語表現の働きを純粋なかたちで反映するメカニズムとして発見されたはずである。

この文章において「言語の働きを純粋な形で反映する」というのは「首尾一貫性」のことですか?
もしそうだとしたらなぜてすか?

質問者からの補足コメント

  • すみません「言語表現の働きを」のところは「言語表現」ではなく「言語」でした。

      補足日時:2022/10/04 12:26

A 回答 (4件)

この三つの文は、結局同じことを繰り返しています。



1「論理」=「日常的認識」の「原理」
2 左右を移項して「普段の認識〜言語表現」の「首尾一貫性」を「取り出す」ことが「論理」
3 「言語(表現)の働き」を「純粋なかたちで」「反映するシステム」が「論理」。

つまり
「日常的認識」=「言語表現」「言語の働き」、
「純粋なかたち」=「首尾一貫性」「原理」、
「論理」=「取り出してみる」「それを反映するシステム」。
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この回答へのお礼

回答ありがとうごさいます。
取り出された「もの」が論理ではなく取り出すという「行為」が論理なのですか?

お礼日時:2022/10/04 12:41

>「『首尾一貫した原理』を『取り出して』みたものが論理である。


となっているのですが、これは「論理」=「取り出してみたもの」ということですか?

違います。“『取り出して』みたもの”と「取り出してみたもの」では意味が異なります。本文のみならず解説も精密に読みましょう。
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この回答へのお礼

返信遅れましたすみません。
解説もちゃんと読めるようにがんばります。何度もありがとうございました。理解できるまで考えてみます。

お礼日時:2022/10/05 23:15

#2ですが、私の回答にあった間違いを訂正しておきます。


「普段の」→「ふだんの」(勝手に漢字にしてはいけない)
「システム」→「メカニズム」でした。

>取り出された「もの」が論理ではなく取り出すという「行為」が論理なのですか?

ここでは答えは「YES」です。論理は筋道ともいうように、ストーリーがあるものです。順を追って語られるものです。プロセス(本文ではメカニズム)です。

ただし第一文で「原理そのもの」のような表現になっているのはミスリーディングだと思います。「はじめは」つまりここが起点となる、と注釈付きですが。

「原理」「真理」「普遍」「Principle」などといってもいいかもしれない、言語化された日常の中のコアなものを説明することがここでいう「論理」です。

だから「首尾一貫性」のことですかという問いには「No」。こちらは論理によって説明されようとする対象のほうです。
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この回答へのお礼

この文章は元々、現代文読解力の開発講座という参考書の文なのですが解説では「『首尾一貫した原理』を『取り出して』みたものが論理である。」
となっているのですが、これは「論理」=「取り出してみたもの」ということですか?

お礼日時:2022/10/04 20:40

違います。



この短文で述べられている言語の働きとは、身の回りで起きている事を認識する事です。

【純粋なかたちで反映する】については、明確に説明されていないので、筆者の言いたい事を空気を読むしかありません。個人的には、空気を読まなきゃいけないような曖昧な文章で論理を語る事それ自体が矛盾です。
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この回答へのお礼

すみません返信が遅れました。
回答ありがとうごさいます。

お礼日時:2022/10/04 12:44

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