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視線を感じるのはなぜでしょうか。
後ろに目があるわけではないのに、ふと視線を感じて振り返ると、
友達がいて、「髪の毛切ったの、違う人かと思って、声かけそびれたの」
とか、電車の中でふと視線を感じて、そのほうを見ると、知っている人だったり、
自分が絵を描くので、素敵な横顔とふと眼をとめるとその人がこちらを向くので、
慌てて眼をそらしたりします。眼があったわけでもないのに、どうして人間は、
視線を感じるのでしょう。他の動物(哺乳類、鳥類)もそうなのでしょうか。
ずっと不思議に思っています。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

 そういう経験があります。

正確にはそういう経験だと受け取れることというべきかもしれません。
 気付いたとき、感じたのだと後付の解釈や受け取りをしているのかも知れませんし、目の端などにちょいと入っていて、半ばか半ば以上wakefulな意識との境界で気付いていたのかもしれないし。 
 そういう記憶として構成しなおして、記憶が前後しているかもしれないし。でもやはり視線を感じるということはあることを否定しきれません。

 視線についてはその程度ですが、ある教えの先達さんをお尋ねした折、みんなに混じって後方にいた私の思うことを明確に読み取り、それをはっきり表現して対応為された事は未だに記憶に鮮明です。私の60代ですから、十数年前なんですが。
 心理学や科学が、一定の物証的知覚や確認、或いは機械やセンサーでの確認という範囲をどれだけいつ出られるか。
 心理学や科学がそういう展開をできるのか。ということが一番問題ですし、私たちが盲目的信仰でなく、しかも単に常識的な確認を超えて、仰せのようなことを不思議だと思わない、高等性に発達する事が大事かなと存じます。
 でも本当に視線だったのか、黙って思っていたことが伝わったのか(私の場合)ということなどの区別や確認は難しいし、否定する人はいくらもいますでしょう。
 そういうわけで心理学のカテでの質問ですが、いわゆる、学問らしくない学問からの回答を待つ事になると存じます。或いは超先端的学問からのご識見となるかもしれません。
 多分NASAなどはやっていると存じますが。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答をいただき有難うございました。
よく犯罪などの取り調べでも、機械を使って反応を見ますが、
感じると云う事は、脳によってなされる働きなのでしょうね。
まだ未知の分野だとすると、どきどきします。

お礼日時:2010/05/16 19:37

こういうことじゃないでしょうか?



通りを歩いていると、いろんな情報が飛び込んできます。
全部に反応すると心が疲れてしまうので、人間は適度にフィルターを張り、重要な情報には敏感に反応するが、重要ではないものには、針がほとんど触れない。

で、歩いていてたくさんの情報を脳が処理しているが、省エネモードなので、必要なもの以外無意識で処理している中、「ん?」と何か気に情報にフラッグがたつわけです。
それは、今通り過ぎた店の前に飾ってあった服かもしれないが、まだ意識の上の方に昇っていないので、なんとなく気になり振りかえるわけです。

そこにたまたま友達がいたら、気になった原因は「これか」と思ってしまうわけです。


電車に座っているときも、無意識で周りの状況を把握している。
「椅子があいた」「あの人のファションはおかしい」とか無意識で周りの状況をさーっと把握するわけです。
例え本を読んでいるときも、絶えず周りの状況を無意識で把握するのですが、自分はそれを意識してやってはいない。
だから実際は周りを見ているという自覚は無い。
そして「ん?」と何度目かのスキャンのとき、フラッグた立つわけです。
そして数秒前スキャンしたものの中にフラッグがたっているので、気になる原因を突き止めるわけです。

そして周りをもう一度スキャンして、目線を回りに配り自分を見ている人を通過して、目線をその人に戻すわけです。「なに?」って。
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この回答へのお礼

有難うございました。
無意識下の意識分かるような気もしますが、瞬間ビビーってくるものがあるのですよね。

お礼日時:2010/05/17 14:53

 それは超能力です。

そのような能力の延長がサイキックなので超能力と言って良いでしょう。これは動物にもありますよね、超心理学やユング心理などはその辺を研究したりしますがその説明で言うと普通の能力と解明済みの物理的現象内で起こりえる現象(a)と普通では考えられない能力と未解明現象(b)の二つに分けます。一般的には後者の事を超常現象とか超能力と言いますがよく考えてみれば超常現象や超能力は未解明なだけであってなんら表に現れてもおかしくないです。
 それでabを以下のように示します
a←―-----x-----→b
このXのラインは理論の発展によってどんどんbの方へ傾くというのは言うまでもありません。
 ここでx付近のラインを曖昧ラインとすると今回の質問はこのx位の感じなのではないかと推測します。
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この回答へのお礼

有難うございました。他にも説明のつかない不思議な事って色々あるのかもしれませんね。
私は超常現象を感じやすいタイプの人間かもしれません。いいことばかりではないと思いますので、
気をつけます。

お礼日時:2010/05/16 07:07

#1です。



>人間も原始時代に持っていた感覚が、
どこかに残っているのかもしれません。
:そうなんでしょうね。
ただ、予知能力というのは、あくまで結果論と考えるのが科学的ではないかと思いますね。

>でも本当に結構多いのです。
:おっしゃることはわかります。
ですが、「多い」というには2つの要因が絡んでくるでしょう。
「a.視線を感じる」→「b.誰かが見ていた」に関する確率の問題です。

従来までは、
a=20
b=10
とした場合、
確率は50%です。

最近「多くなった」と感じるのは、たとえば、
b=20という事実に基づいているわけでしょう。
しかし、これは、
a=40
の結果である場合が多いような気がします。
つまり、確率的な50%に大きな変化は無いのではないか、ということです。
むしろ、a=40の要素に注目すべきで、
もし、お考えを巡らせるのであれば、なぜ「a.視線を感じる」機会が増えたのか?
ということのほうでしょう。
たとえばの話ですが、それだけ、神経を過敏にさせるような出来事が身辺で起こった、などです。
  
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この回答へのお礼

度々有難うございました。やはり偶然の確率では、どうも納得しがたいものがあります。

お礼日時:2010/05/16 06:57

それはテレパシーっていうものですね


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC% …
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この回答へのお礼

有難うございました。
テレパシーですか、そうかもしれません。でもそれって個人差とかあるのでしょうか、
私はこの頃、友達の顔を思い浮かべていると、電話がかかったりするので、年と共に
半分あちらの世界に足を踏み入れてるのかもしれません。

お礼日時:2010/05/15 21:05

専門的なお答えにはならないかもしれませんが。



>ふと視線を感じて振り返ると
:必ず誰かが見ている、というわけではないように思われますが、いかがでしょうか。
単なる偶然であっても、偶然というもの自体、起こる確率が低いので、どうしても印象に残る、ということはよくあります。
振り返っても誰もいない場合のほうが遙かに多いと思うのですが、それは忘れ去られるのが一般的でしょう。

ただ、視野は以外に広いようで、はっきりと理解はしていなくても、何らかの影としての(無意識的な場合も含め)認識は頻繁に行なわれているようです。

>他の動物(哺乳類、鳥類)
:の場合は、極端に視野が異なる場合もありますし、また、視覚以外の嗅覚などで存在を認識できる確立も高そうです。
  
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この回答へのお礼

有難うございました。
動物はあらゆる感覚が鋭いのでしょうね。人間も原始時代に持っていた感覚が、
どこかに残っているのかもしれません。視野から脳に送られる無意識的な認識
説得力があります。個人差はあるのでしょうか。年とともに研ぎ澄まさせてくるのか、
鈍くなるのか・・・・?でも本当に結構多いのです。

お礼日時:2010/05/15 21:18

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