性格悪い人が優勝

人を呪わば穴二つとよく言います。
誰かを恨んだり呪ったりすると自分も不幸になるという戒めですが、
例えば難病で余命幾ばくもない、不幸が確定したような人が、自分を陥れた人間を不幸の道連れにしたいと呪わうのも悪いことなんですかね?
「陥れた奴らはいずれ罰があたる」などと根拠のない因果を説く人もいますが、本当にそうだったら「憎まれっ子世に憚る」なんてことわざができるはずないと思うのですが…

A 回答 (8件)

負の感情というのは、自分を成長させる原動力となるものですが、「自分を陥れた人間を不幸の道連れに」という感情は自分をダメにするものだと思います。



 例えば、上司や先輩からバカにされたことで、「いつか見てろ見返してやる」と思って仕事に臨むと、気づいた時は彼らが認めるでけではなく、会社の中で彼らを上回る存在になっていることがあります。

 ここ数年、妻から良く言われるのは「いじめた人は何も覚えていないけど、いじめられた人はいつまでも覚えているのよ。」ということで、機会あるごとに言われています。
妻から言われていることは全くの正論で、たまに逆切れしますが、娘からは完膚なきまでに叩きのめされるため、妻が私に言いたいことはいつも娘や息子に言わせて、私がギャフンとなる姿を見て喜んでいます。

 長男の闘病で学んだことがあります。親が我が子を失くすというのは私の想像をはるかに超えた苦しみだと思いますが、誰の責任でもない場合はまだ幸運だと思います。
それが、事件や事故で誰かに責任がある場合は、自分自身や相手を攻撃する強い感情が生まれるため不幸だと思ったことがあります。
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この回答へのお礼

皆さんありがとうございました。
まだもやもやしているのが正直なところですが…
でもいいご意見感謝します。
ベストアンサーは自分の立場に近い人を選びました。
ご意見下さった皆さんにも感謝します。

お礼日時:2019/08/10 12:59

因果の法則をちゃんと理解していれば解ると思いますが、「自分の撒いた種は自分で刈り取る」というのは今世だけの問題ではありません。


人は成長の為にこの世に生まれて来ているので、「憎まれっ子世に憚る」のにも意味があります。
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その人にとっては陥れられたのだとしても、相手にしてみれば正当な行為かもしれません。


自分の価値観だけで判断して誰かを不幸にするのは悪い事だと思います。
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例えばもし私が余命幾ばくもなくなった場合…



せっかくの残り少ない時間を自分を陥れた人の為に使いたくありません。

好きな人、大切な人に私の気持ちを伝えたり、少しでも一緒に笑いたいなと思います。

だから、呪う時間って無駄なだけだと思います。
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その手の話は刑罰に関する事柄です


悪い事をしたら神様が見てるよって話と同類です
ここで注意が必要なのは昔と今では「神様」の捉え方が違う事です
昔の人の感覚は解りませんが神や呪いを本気で信じていたと思われます
今のファッション感覚の「神」とは違う訳です

つまり呪いを信じて実行したら当然呪いが自分に返ってくる事も信じてたのです
死にそうな人が呪うから呪いが完遂する。
不幸が有った人の周りで恨んでた人が不幸になってるから「呪いが有ったに違いない」
因果が逆のパターンも有ったでしょう
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矛盾することわざはいくらでもあります。



意味を比較して論じても時間の無駄です。
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もともと、ことわざ何て物は、多くは自分が体験したり、見て感じた事を言葉にした物のはずで、矛盾する物が沢山ある。

善は急げ→せいては事をしそんじる、好きこそ物の上手なり→下手のよこ好き、など。野村さ○よ、は、憚らなかったし、読売のナベ○ネ、は、まだ憚っているし。
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そんな重箱の隅を突っつくような話されてもなぁ

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