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数学の扱っている対象は、実在するのですか?
それとも、純然たる想像の産物ですか?
(同様な質問を哲学カテにも投稿します)

A 回答 (8件)

想像の産物ですが、言い換えれば「理想」という事ではないでしょうか


例えば、数学が言う三角形は、その内角の和が180度
しかし、現実世界では三角形(のようなもの)を描いても内角の和が正確に180度となることはありません
それは、線に幅があるからです
数学の世界では線に幅が無いものとして、(理想的)三角形を考えているから、その内角の和が180度となりますが
所詮それは想像の世界のもの、理想的なもの という事になります。

このように考えていくと、線とは何か
点とはどんなものか 
という考えなどが生じてきて、哲学領域に踏み込むことになります。

そして、そんな考え方にとに取りつかれてしまった受験生などで、精神病的様態に陥ってしまう人もいます
数学者の中にも、精神を病んでしまう人もいますよね

数学は真理をついていますから「想像の産物」という表現は不適当かもしれません。
数学を突き詰めると真理に触れることになるからこそ、しっかりとした精神の持ち主でないと真理のエネルギーに負けて精神を病んでしまう
あるいは、「神」のようなものが、人間には決して「この真理領域」には踏み込ませまい として真理に近づいた数学者を
病ませてしまうのかもしれません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<想像の産物ですが、言い換えれば「理想」>なのですね。
<所詮それは想像の世界のもの、理想的なもの>なのですね。 
<数学は真理をついていますから「想像の産物」という表現は不適当かもしれません。>なのですね。
こ回答の皆さんがほとんど想像の産物ということですので、天の邪鬼の私は、実在としての見方から、考えてたくなります。
もし、<「想像の産物」という表現は不適当>が、実体ヘと導くのであれば、私としては願ったりなのですが。

お礼日時:2019/10/31 18:43

ゼロの概念は実在しない事を表現したものであり、少なくともゼロだけは想像の産物と言うより実在するものの換言です。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
よく分かりませんが、
<ゼロの概念は実在しない事を表現したもの>という説明は、実在する、ということですか?

お礼日時:2019/11/05 16:44

No.6へのコメントについてです。



 足し算で答が合うものについては、足し算が使える。足し算で答が合わないものについては、足し算は使えない。おもち1個とおもち1個をくっつけても、おもちは2個にはならないし、1Lの水と1Lのアルコールを混ぜても2Lにはならず、IQ100のひととIQ100の人がチームを作ってもIQは200にはならない。(ある意味似たような話→ https://oshiete.goo.ne.jp/qa/133062.html )では、どういうことには足し算が使えて、どういうことだとダメなのか。数学はこの問いには答えてくれない。そんなの、数学の知ったこっちゃない、ってわけです。なので、(仰る意味での)ある「実在」について、足し算が使えるかどうかは、経験によって判断するしかない。(ただし、個人的経験のことじゃなく、共有された知としての経験の話です。)数学は(仰る意味での)「実在」には関わらない。その数学を「実在」にどう利用するかは科学・技術(すなわち、蓄積され共有された知)の話なのです。
 一方、数学はもともとがモノを管理したり建物を作るために発達したんですから、当然、広く共通の規則性を持つものに関する経験を抽象して、「数」だとか「足し算」という概念をひねり出したに違いない。すなわち「実在」に利用しやすいように作られたんです。デカルト以降でようやく、算数以上の数学を実験科学や設計に本気で使うようになった。大抵の応用には高校数学かせいぜい大学初年級ぐらいの数学で間に合うけれど、もっと高度な数学を使わないと記述できない実用的な理論、というものももちろんあります。そういうものも含めて、やはり、「足し算で答が合うものについては、足し算が使える。足し算で答が合わないものについては、足し算は使えない」という基本的な判断については、その判断の責任は数学にはない。
 ですから、
> 数学は実体に満ちた科学技術を支えている
というよりも、「科学技術は数学を応用している」という普通の言い方の方が、本質を突いているんですよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<ある「実在」について、足し算が使えるかどうかは、経験によって判断するしかない。>について、私は次のように理解(誤解)しました。
足し算は同類にのみ使える。ただし、何と何が同類かを決定することは、むずかい。その同類については、1.2.3・・・というように数えることができる、と。
<「科学技術は数学を応用している」という普通の言い方の方が、本質を突いているんですよ。>ですね、

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お礼日時:2019/11/02 07:49

「確かに実在する」とお考えのものをひとつでも挙げていただければ、ご質問の意味がはっきりしたと思うんですが。


 たとえば「この一本の鉛筆」は分子・原子・素粒子のレベルでみれば常に変動し続けている。10万年も放置すれば粉々になるでしょう。そして、どれだけ変化したら、どこまで崩壊したら「この一本の鉛筆」ではなくなるのか、その限度が自明に決まっているわけじゃない。ということは、「一時的にせよ、ある何らかの、大体一定のパターンが保たれていると思う」という認識を持った場合に、そのパターンを指して「この一本の鉛筆」と呼んだのです。すなわち、人が習性に従って(あるいは理屈を積み上げて)認識した、一過性の緩いパターンを指して(分節化して)名前を付けたり分類したりしている。だから「この一本の鉛筆」というのは「言葉で表される概念」であって、その意味で「純然たる想像の産物」に他なりません。
 一方、電子は実在し、かつ(位置や運動量を別にすれば)不易である、と信じられている。ですが、その実在性は、「様々な現象を説明できる」という間接的証拠によってのみ支えられていますから、「純然たる想像の産物」以上のものにはなりえない。つまり「電子」(あるいは「フロギストン(熱素)」)もまた、世界を理解するために作られた、「言葉で表される概念」です。
 さて、数学の対象も「言葉で表される概念」ですからもちろん「純然たる想像の産物」であり、「この一本の鉛筆」のような儚く曖昧なシロモノとは違って、不易です。

…てな話をなさっているんであれば、ソシュールとかヴィトゲンシュタインを読むといいと思うよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
こ回答の皆さんがほとんど想像の産物ですので、天の邪鬼の私は、行きがかり上、実在としての見方から考えています。
実在については、日常語のある程度しか考えておいません。実在は、<「一時的にせよ、ある何らかの、大体一定のパターンが保たれていると思う」という認識を持った場合に、そのパターンを指して「この一本の鉛筆」と呼んだのです。>位しか考えておりません。
感覚的ですが、数学は実体に満ちた科学技術を支えているますね。これは、想像の産物ではなく、数学が確固たる実体を持っているから、だと思います。(あまり理由になっていませんね) 逆に、数学が想像の産物なら、実体の科学技術を支えることは難しい、と思います。
お笑い下さい。

お礼日時:2019/11/01 15:18

その二択だと「想像の産物」のほうになりますが、第三者にも認識できる特徴、規則が存在します。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
想像の産物といえど、<第三者>すなわち普遍的な<特徴、規則が存在>する、ということですね、

お礼日時:2019/11/01 14:56

この手のご質問は、ご自分なりの確信した答えを持ってらっしゃるので、回答に至らない事が多々ありますが答えます。


数学に単位(m、kg、s、A、K、mol、ca)は無いので扱っている対象は実在しません。
点や線も実在しません。点Aと点Bを繋ぐ直線の距離も実在しません。点や線に体積がないので見えないからです。
見えないものは想像するしかありません。純然たる想像の産物なので、無限次元ベクトル空間も扱えます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
こ回答の皆さんがほとんど想像の産物ということですので、天の邪鬼の私は、実在としての見方から、考えてたくなります。
虚数は、確かに創造した・想像の産物、と思います。
ところで、ピタゴラスの定理は、ピタゴラスが創造したものとは、私は思いにくいいです。見えない触れない実体があり、それを彼が発見したもの、と思っています。その発見のため<自然界の実在と良く呼応>しているのでしょう。数学が見つけた実体が、科学のバックボーンを支えている、のだと思います。(お笑い下さい)

お礼日時:2019/10/31 18:35

数学の扱っている対象は、純然たる想像の産物だからこそ、


人間の思考の中に確実に存在するのです。
むしろ、日常生活で見たり触ったりする事物の存在のほうが、
知覚を通じて曖昧に認識されており、数学よりもずっと不確実です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<純然たる想像の産物だからこそ、
人間の思考の中に確実に存在するのです。>
数学は、日常の雑多の物が混ざったものでなく、純化されたものを(ものとして?)想像しているのですね。

お礼日時:2019/10/31 18:31

想像の産物です。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
了解

お礼日時:2019/10/31 17:59

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