プロが教えるわが家の防犯対策術!

今の子供たちは常に与えられたモノ(課題)をこなし、自発的に学習をすることができないように思えます。

大人たちに守られている中、生きていくことに危機感が無く、日本の将来に不安を感じます。

そもそも、今の教育は何が悪いのでしょうか?
最近子供たちの学力低下しているとの報道を耳にしましたが、「ゆとり教育」が問題なのでしょうか?

私には何か別の原因があるのでは?と思われます。

なぜ、高校に行かなくてはならないのでしょうか?

なぜ、大学に行かなくてはならないのでしょうか?

その気になれば図書館で本を借りて自分で勉強できないですか?

A 回答 (11件中1~10件)

ゆとり教育は間違っていると思いますね。


以前、小学校の算数の教科書をみる機会があったのですが、「電卓で計算しましょう」とあって唖然としました。
あんなことをしていては、学力低下して当然ですね。

それはさておき、今は勉強をする理由がない。
無理に上の学校にいって、いい会社に就職しなくてもそこそこの生活はできる。
言われたことだけをやっていれば、何も考えなくていい。
競争などしなくても生きていける。
こんな感じじゃないでしょうか。
    • good
    • 0

#1さんの書かれていることが本当その通りなのです。



中2と高1の娘の母としての感想です。
「ゆとり教育」「完全週休2日」相反してると思うのです。

現場の先生が、子供の変化についていけていない。
教師が思っているよりも子供達の変化が著しい・・のかなと思ったのですが、幼稚園・・小学校・・中学校・・公立なら地域内で割りと狭いと思うのですがその学校間での疎通が希薄なような気がします。(うちの校区だけ?)
少子化もありますが、子供に対する親の対応も変化してきています。

教育を受けている立場、教えている立場(セクハラ教師が増えたことより、精神的にダメージを受けている教師が多いこと)・・その変わりかたに一番上の位置にいる「お役所」「役人さん(高学歴であるはずの)」が、何にも気づかず脳天気に「ゆとり教育」なんてのをぶち上げてる・・ってのが現状?なんて気がしている、中高生の母でした。
    • good
    • 0

ゆとり教育も一因かもしれませんが、それはごく一部であると思います。


もっとも根本的な問題は、生徒たち自身だけでなく、
社会全体の『試行錯誤を受け入れようとしない』傾向です。
すなわち「よい結果を早急に求める姿勢」です。
企業も、教育も、経営も、人間関係も・・・・
もっともっと考えて、話し合って、悩んで・・・っていう教育の根本的な精神がまったく発揮できずにいます。
教員すら、到達度評価や意欲・興味・関心の評価などにおわれ、5年先10年先の生徒の将来が見えずにいます。
『失敗したらやり直せばいいじゃん』という試行錯誤をもっと評価しないと、正解を覚えてそれが答えられればOKみたいな教育は変わっていかないと思います。
ただ単に勉強時間が長けりゃいいってもんではありません。
    • good
    • 0

社会人になってはじめて感じた事があります。


それは失敗しても学校の先生のように怒られる事がない
って事です。
はじめて失敗したとき次から気をつけてね~で終わったのは
あれって思ってしまいました。
それは上司によりけりでしょうけど。
それで自分が駄目だなって思ったのは失敗すると怒られる
(宿題忘れると怒られる)の経験が身についてしまっている
為に失敗をかなり恐れてしまいます。
自分でもそれはまずいと思っているのですが。
それはそうと自発的に学習する事が出来ないのも同じような
事ではないでしょか?
指示に従いそれを守れば自分から何かをして失敗して怒られる
という事がないですから。
結局社会全体が失敗を許さないみたいな風潮があるんじゃないでしょうか?
企業が年功序列を廃止し実力主義といえばいうほどそういう
風潮になる気がしてるんですが。
    • good
    • 0

ご質問者さんのご意見は最もだと思います。



義務教育に関して言えば、現在の6・3制がよいかどうかは別にして、「基礎学(体)力」「社会との関わり(人間関係)」「道徳・マナー」等、日本人として生きていくうえでの基礎的な能力を身につけること重視すべきです。

高等教育以上については、もっといろいろな選択肢があっていいですね。私は高校・大学進学率が高いことが良いことだとは思いません。現実を見れば、さしたる目的もなく高校・大学に通っている若者は大勢いますが、私は、こういう若者こそ、早く社会に出て(働いて)実学を勉強すればよいのに、と思います。

それにしても、日本の企業はなぜ日本の若者を積極的に雇用しようとしないのでしょうか。最低賃金法など様々な課題はあると思いますが、企業海外進出のニュースを見るにつけ、このままでは国が滅んでしまうのでは、と危惧しています。
    • good
    • 0

友人に聞いてみたところ、「未来が無いから勉強しないのではないか」という意見も出ました。


現在の日本の状況をみると、破滅に向かって一直線です。
「末は博士か大臣か」という希望がないのに、勉強してどうするんだ。ということですね。
親も「勉強しろ!」と言わないし。
子供たちは敏感です。大人の閉塞感、危機感はおぼろげにでも感じているはずです。

ワタシは「ゆとり教育は間違っている派」です。
・算数の問題に「電卓をつかいましょう」
 電卓を使うんじゃ計算の練習にならんだろうが!
・運動会に「競争は無くしてみんなでゴールイン」
 一番になる努力をしなくてもいいんだ。一番になってもしょうがないんだ。
・パソコンで漢字を書きましょう。
 書き取りは文字を書く練習だろうが!

練習を抜きにして、結果だけ得る教育方針が正しいとはどうしても思えません。
    • good
    • 0

なんか皆さんの意見が今の日本の問題を如実に表しているように思えます。



教育=学校、という意見しか出ないからです。

私はむしろ「家庭・親」の方に問題があると思いますよ。
競争はダメ、体罰はダメ、学級崩壊を招くから面白い授業をしろ。。。
これらはみなPTAつまり保護者からの要請に基づく変革ではないでしょうか?

今の保護者で子供に厳しく当たれる親がどれだけいますか?
授業中はきちんと先生の話を聞く、悪いことをしたら怒られる(ときには体罰も必要でしょう)、逆にいいことをしたら褒められる(賞をもらえる)。
こういったことは家庭で教える基本的なことで、学校側に求めることではありません。

保護者が学校に教育問題を押し付けている間は、この問題は解決しませんね。
自分達も学校側と同じ立場なんだ、という認識を持って子供に接するべきだと思います。
    • good
    • 0

勉強をしたくない人間はする必要はありません。


将来の目的が決まっている人もそれ以外の勉強をする必要は無いでしょう。

ここでいう勉強とは高校までの「受験のための」勉強という意味です。

中学高校で「私勉強が大好きで」なんていう人は稀でした。
当たり前ですよね。そんなのばっかだったら日本中学者だらけになってしまいますから。
私は早くから目標が定まっていたため、数学などは受験のためにしかしませんでしたし、大学に受かってからは全く手をつけていません。
昔からよく言いますが高校の勉強なんてものは専門分野に就職でもしないかぎり役には立ちませんからね。あ、でも英語は多少役にたったかも。

視野を広げるためにという人もいますが、役に立つかもしれないというだけでいろんなことに手を出すのはやりたいやつにはやらせとけ、というレベルの話です。

別にいい大学を狙っているわけでもなく、いい会社に入れなくてもいいので勉強はしない、という考えのどこがいけないのか分かりません。
そんな考えのやつに官僚とかになられても困りますからね。

そういった意味で私もゆとり教育には反対です。
少なくとも小中学校では、自分で取捨選択が出来ない、する判断力もないといったことから、学校側は高いレベルの教育をするべきです。
もちろんやるかやらないかは生徒の自由ですが。

要するにやる気が無いやつに無理やりやらせても、ものにはならない。
教育現場のやることは究極的には高度な勉強を受けることの出来る下地を作っておくことだけ。
あとは生徒が自分の将来についてどう考えているのかということのみ。
    • good
    • 0

たぶん、物差しが一つしかない。

評価基準が一つと思いこんでいることが問題ではないでしょうか。
日本の場合、みんな、学力、テストの結果、学校の順位を絶対的な評価尺度とみなしていることが
問題の原因と思います。

社会に出てしまえば、そんなことは、あんまり関係はないんですが、
学生・生徒のころは、つい、成績だけを気にしてしまいます。

親も、教師ももちろんそうだと思いますが、それが間違いです。

別にスポーツが好きならそれに打ち込めば良いですし、
勉強がすきなら、勉強をすればよいですし、
商売がすきなら、はやく商売をしたほうが良いですし、と言った感じです。

勉強は、図書館でも、ネットでもいつでもできます。
学校の勉強だけが、勉強ではありません。
    • good
    • 0

今の時代には目的がないからです。



今まで日本には、明治維新を成し遂げ近代国家となることとか、立身出世して故郷に錦を飾るとか、戦後復興などの公の目標がありました。

世の中もそれを後押しする雰囲気がありました。だから子供もそれに触発されたのです。

一番の原因は、国が国民に目標とか夢を与えないからです。

学校については、義務教育である中学校までは、国民としての基礎を教えるため必要だろうと思います。基礎がなければ発展しないからです。しかし高等教育については、必要性はあまりないと思います。

今の大学など、結局、学位を付与する機関に過ぎません。本来は学問を究めるべきところだと思いますが、入試さえ通れば、単位を修得し、卒論を提出すれば多くの大学は卒業できるそうです。学問を修めるだけなら私塾で良いはずです。幕末にあった松下村塾みたいなものでよいのです。
大学が堕落したのは、学位付与機関に成り下がったからで、学位など廃止してしまえばよいのです。

ただし大学の研究機関などは存在意義は認めます。しかし教育機関としての大学には疑問を感じます。私は高卒で、学士さえとっていませんが、はっきり行って大卒者の能力は高いと思えません。修士や博士をとった人々と対等に議論もしますよ。結局、学問というものは教えられるものではなく、自ら追求するものなのです。

高等教育については、私塾だけあればよいというのが私の持論です。勉学したければ仲間で集まって私塾を作ればよいし、日本では多くの書籍がありますから、独学することも可能です。学位付与機関に過ぎない大学などは、世の中の罪悪ですから消滅すべきです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!