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今回大学で教師中心主義や児童中心主義の教育方法について学び、レポートを作成しています。2つの考え方にはそれぞれ長所短所があり、これらのプラスとなる部分をうまく取りいれた教育が必要と思います。しかし今の日本の教育状況を見ると、上記とは別の教育路線も必要だと感じます。今後の教育課題と近いものがあると思いますが、具体的にどのような方向で進めていくべきだと思いますか?

A 回答 (1件)

こんばんは。

私は教育学部の人間ではないですが、自分自身の経験から、「教師か生徒か」という二極だけで考えるべきではないと考えています。その二極以外に教育に携わる可能性があるのは、地域や行政や家庭なわけですね。

で、今の日本がどうかと言えば、行政が「ゆとり教育」という名の「愚民化政策」を押し進めた結果、日本の学生の、いわゆる「学力」(←的確に言うなら、「偏差値的学力」か。)が低下し、数多くの連中の批判を呼び、現在その「偏差値的学力」を挙げようとてんてこまいになっているわけですね。そしてまた、家庭に至っては(家庭によるが)、子供に勉強を教えられない親がいる。従って、勉学意欲はあるが、その機会に恵まれない子供は勉学に励むことを、半ば必然的に断念に追い込まれる子供がいる。また、受験に失敗し、将来に絶望し、自殺にまで追い込まれた若者がいる。さて、そのような中でどうしたら良いのか?

私見ですが、ここまでひどいなら、地域による解決しかないのではないでしょうか? 具体的に言えば、お金のない中高生に対して、地域のボランティアが協力して勉強を教えること。そして、どの学校にもカウンセラーを常設し、受験の失敗などによる心の傷のケアを万全にできるようにしておくことです。

具体例は少数ながらも始まっています。京大の上野健爾氏は、地元の高校生向けに数学教室を開いているし、東工大の志賀徳造氏は、学生同士が話し合うことの出来る「数学サロン」なるものを主催しているようです。

日本での「希望格差社会」は残念ながら、既に現実のものとなりつつあります。しかし、子供は自分の環境を選んで生まれてくるわけではありません。子供の生まれた環境によって、本人の将来像が自動的に決まることなどはあってはならない話です。たとえ、生まれた家庭の所得にどんな開きがあったとしても、「機会」や「選択可能性」には開きがないように、我々の地域社会がたゆまぬ努力をするべきなのでしょう。

と、思いますが、どうですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます!確かに教育は地域の取り組みに助けられてる面がありますね。

お礼日時:2005/07/02 10:42

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