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北部仏印進駐と南部仏印進駐って何が違うんですか?



日本史
歴史

A 回答 (2件)

北部は、中華民国に対する物資の輸出を阻害する為の侵攻。


南部は、インドシナ半島を日本の支配地域とする為の侵攻。
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マレーシア・シンガポール・インドネシアなど、英米蘭の植民地に対する圧力がまるで違う。


連合国側は日本陸海軍の航空部隊の長大な航続距離がほとんど知られていなかったこともあり、北部進駐だけならばそれほど脅威に感じていなかったが、南部に進駐され、主要植民地が完全に爆撃圏内に入ったと判断した。

北部だけなら、爆撃機は届くかもしれないが、戦闘機は届かないと思われていたのだ。爆撃機だけなら戦闘機の迎撃でたいしたことはないことは欧州戦線のバトル・オブ・ブリテンで実証されている。逆に言えば、護衛戦闘機付きの爆撃機隊は大変な脅威だ。

日本は、インドネシア油田の対日輸出を認めさせる脅しのつもりもあって南部進駐を決定したが、当時の日本は海軍のゼロ戦に続き、陸軍も隼という長距離戦闘機の実戦配備が始まっていた。
どういうことかといえば、日本軍は北部進駐の段階で、すでに護衛戦闘機付きの爆撃隊をマレーシア・シンガポール・インドネシアに送り込む能力を持っていたのだ。つまり、日本にとっては北部進駐と南部進駐には実質的には大きな差がなかった。だから、大事にならなかった北部進駐と同じく、南部に進駐しても、それほど大きな制裁強化にはつながらず、むしろ制裁緩和が期待できると判断していた。

このように連合国と日本とでは南部進駐に対する認識の重さがまるで違っていた。
軽い脅しのつもりの日本と、重大な脅威と受け取った連合国。この齟齬がハル・ノートを産み、交渉決裂・開戦につながってしまった。

今、北朝鮮を巡って似たようなチキンレースが展開されている。歴史が繰り返されないことを祈っている。
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