「覚え間違い」を教えてください!

歴史に詳しい必要はないんですよ その反応、人間などの反応がだいたい分かれば良いと思います。

孔子でしたか「明日に道を聞かば 夕べに死すとも可也」と言ったのは。

それでも良いのでしょうねえ。死にたい人は死んでもいいのでしょうか?

この様に不条理のまかり通る世の中ですから 子供を作って力になりたい人は別として

子も親もなくなるような人は親孝行でもして、済んだら自由にしても良いのではないでしょうか

そうなるような事情のある人も多いでしょうし、過ぎ去った時間は戻ってきません

悟った人はイエスのように犠牲になっても、ソクラテスのように毒杯を飲んでも

仙人のように山に消えても、即身仏になろうと、ホームレスになろうと、金儲けに勤しんでも

TVの番をしようと、月月火水木金金と働こうと・・・

公共の福祉に反しない限り 好きなように生きたら良いのではないでしょうか?

と思ってしまいます。どうでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

質問者さんが仰っている


「電車などに飛び込んで自殺する」について
接近中の電車に向かって飛び込み接近中の電車の往来(運行)を妨害した者は下記に記した「往来妨害罪」に問われれます
刑法125条 
「往来妨害罪」
「鉄道若しくはその標識を破壊し、又はその他の方法により、汽車又は電車の往来の危険させる行為をした者は2年以上の有期刑に処す」
よって電車に向かって飛び込み自殺するのは「往来妨害罪」に当たる「違法行為」なので当然法的に許されない行為ですよ。
オマケ
「電車などに飛び込んで自殺するとその賠償金が(家族)に請求される」については
「民法の規定」により「自分自身の監督責任を有する」が「自己責任」において第三者に不当に損害を与えた場合そのために法的責任は不当に損害を与えた者が負うとなります
簡単に言えば
自己責任を取れるものが電車に向かって飛び込み自殺をそれによって鉄道会社に損害を与えても民法の規定により損害を被った鉄道会社は家族に損害賠償請求をする事は出来ない。ということです
因みに私の父と弟は元鉄道マンで父と弟に対して
「投身事故によって生じた損害を請求するのか」と聞いたところ「基本的には請求しない」との事でした
というのも請求金額がかなり高額になるため請求したところで支払い不能で支払われないからだとのこと
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死ぬ権利が法的に認められてはいない事についてはご質問が無かったのでご理解されたものとします。


「自己責任」について
質問者さんは
「本人が死んでしまったら責任のもとりようがない」に関しては言えばだからこそ死んで責任が取れない分を生きているうちに取るのです
例えば家族のため「生命保険」を掛ける等です
高齢之方々の間で子供達に「迷惑」をかけないよう「他人」に依頼出来る分を他人依頼する事が流行っています
「自分自身の介護」や「病気の面倒」や死後の「自分自身のご遺体の処理」等を有料でサービスしている企業に「高齢の方ご自身の財産」で依頼し子供たちには「ご自身の死亡届提出」など法的に子供たちにしか出来ない事を子供達に任せる。
それ以外はこと達のの手を煩わせないようにする
「遺骨」については子供や孫が「供養の面倒」をみなくて済むよう生前中に業者に依頼して「海に散骨」してもらう。
生前から死後迄のご自身が取れる責任は全て取るようにしています

質問者さんにはこの事を是非ともご理解して頂きたいですね
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いやいや、haru27さんはまだ若い方じゃないですかね、精神的には。

確かに頑固なところもありますが、それに気がついてる時点でまだ大丈夫だと思います。
言ってることも、決め付けかなあと自分で思ってる時はまだ、大丈夫ですよ。

猪突さんなんか、ある意味毎回おんなじ事言ってましたからねw
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この回答へのお礼

Thank you

高校の先生だったか「自分の頭で考えろ」と言っていましたが

その言葉は私の頭の上を スースーと通り抜けていました

それで大学に落ちて自分の頭で考えるようになりました

しかし何か大学生活も空しかったですねえ 中退しました

それから自分の頭で考えましたが 労働などしていると考える余裕はなかったですねえ。

日本はじっくり考える余裕も時間もない国なのでしょうか?

頑固な人は寧ろ減り 考えないほうが良いという人が増えたように思います。

困ったものです。

お礼日時:2020/03/08 16:48

「尊厳死」について


我が国には「尊厳死」に関する法律は存在していません。
よって「尊厳死」に関わることは現行法に基づいて原則法的処理をしています。
自殺をしようとするその理由が自身の尊厳を守るためであっても自殺や自殺未遂は罪には問われないので当然罪には問われません
次に
自分の尊厳を守るために自分を殺すよう他人に依頼しその依頼をうけた者がその依頼を受け依頼者を殺害した場合
依頼することそれ自体は違法では無いので依頼者は罪には問われません
依頼を受け依頼者を殺害した場合にはその者は「嘱託殺人罪」に問われます。
当人の尊厳を守ると言う理由であっても当人の意思によらずにその者を殺害した者は「殺人罪」に問われます
同様に当人の尊厳を守ると言いうと理由であってもにその者を殺害するよう依頼した者は「教唆罪」に問われます
また
「生命維持装置」によって生命を維持している者に対して「生命維持装置」を外すことはその者を死に至らしめることになるので正当な理由がなくかつ生存させる為に必要な処置をせずに生命維持装置を外した者に「殺人罪」に問われます
これは「重度の障碍者」であろうが「末期の患者」であろうが原則変わりません。

次に「尊厳死」と「安楽死」との違いです
「尊厳死(消極的安楽死)」とは患者の尊厳を守るために患者に対して行っている「延命治療」中断して患者を自然死に向かえる亡くなり方
「安楽死(積極的安楽死)」とは病気や治療による苦痛から患者を開放させる為に薬等を使って患者の死期を早める事
尚我が国は本人ので希望であっても「安楽死」は法的一切認められてはいません
「尊厳死」については厳格な条件に従ってそれを医師が行った場合には法的に認められる場合があります。
それは「人の尊厳」を守ることが法的に最も重要だからであり、よって尊厳を守るために患者本人の希望に従って患者本人の延命治療を中断する事は法的「正当な理由」と見なされるからです 
以上です
自殺や尊厳死に関してご不明な点があればお尋ねください。
説明出来る範囲でご説明致します 
尚「自己責任」に関しては改めて回答致します
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この回答へのお礼

ありがとう

最近お腹が痛く 毎年悪くなっているので 対策の方が追いつかず

そのうち我慢できずにあの世に逝くのだろうかと考えています。

そういう人は他にも居り 痛くなくてもあの世に生きたがる人もいて困ります

自殺というのもなにかボタンか何か有って それを押せば死ぬ コロッと逝く

というのであれば押すかも知れませんが 大概の人は悩んだ末やはり死ぬのは怖いと

思いとどまります。私もそうです。自殺するにはエネルギーが必要です

だからうつの人は回復しかけた時に自殺するです。

自殺は出来ればしたくない まだ10年後20年後の話でしょうねえ。

お礼日時:2020/03/08 16:56

自殺や自殺未遂に関してわかりづらい説明をしたようなので改めてご説明致します


「他人に対して正当な理由無く損害を与えた者は法的責任を問う」
他人を正当な理由が無く殺害した者には上記により「殺人罪」に問われます。
「自分自身に損害を与えた者には原則法的責任を問わない」
自殺をした者・自殺をしようとした者は上記により「殺人罪・殺人未遂罪」に問われません。
その法的理由
「自分自身に損害を与えた者には原則法的責任を問わない」としないと「基本的人権の行使」が法的に認められなくなるからです 
例えば
自分の財産を他人に無償で贈与した場合、自分の財産を自分自身によって損失させられた即ち損害を与えられたとも言えますが、それは所有権を行使したに過ぎないので罪には問えないです
同様に自殺や自殺未遂は行動の自由即ち自由権を行使したに過ぎないので罪には問えないのです
「自殺する権利=死ぬ権利」について
「誰であっても正当な理由無しに基本的人権を侵害してはならない」
自殺や自殺未遂は自殺しようとした者の基本的人権即ち「生存権」を侵害する事なので上記により法的に認められないのです
よって「自殺する権利=死ぬ権利」は法的には認められてはいません。
このことは自殺しようとする者を警察官等が発見したときその者の「生存権」を保護するためその自殺しようとするその行為を止めようとする事からも言えることです
まとめ
「自殺する権利=死ぬ権利」は法的認められてはいないが自殺した者・自殺をしようとした者に対したは「罪」
を問わない。
となります
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この回答へのお礼

ありがとう

病気を苦に自殺しようとした人がいましたが 未遂に終わり随分怒られていました。

病気を治そうとするドクターにとってそれを無にしてしまう自殺は腹立たしいし許せないのでしょう

またその医者の責任にも及ぶかも知れません。

自殺ねえ。私は寿命まで生きてはいないでしょうねえ

このまま衰えていって辛い思いばかりして生きるのはしんど過ぎます。

お礼日時:2020/03/08 14:52

常に考えてますね。

良いことかどうかは別にして。こうだろうか?ああだろうか?こういうこともあるな?とか。
自分の知識見識なんて微々たるもんだから、考えるしかないです。
むしろ、決め付けで書くよりも、数段進歩したとは思ってるんですが、まぁそれでも大した事はないですよ。

イメージを転写するように書くこともありますが、基本的には書きながら考え、考えながら書きますね、特にこの様な哲学的QAだと。私に特有と言うわけでもないと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

私が決めつけで書くのは 新しいことを考えつかないからでしょうね。

自分はこう思うという考えがもうあるので それ以上のことが思いつかない

年ですかね 硬直化しているのかも知れません。

学校の先生でも 若い先生は新しいアイデアで生き生きとやってくれますが

年の行った先生は書くことが決まってますから 面白くないですねえ。

大学の教授でも面白い教授は柔軟でイキイキした教授で頑固頭の教授は怒られますからねえ。

考えてみると私も年だなと実感します。

お礼日時:2020/03/08 14:26

お断りです


自殺が罪に問われないように自殺未遂もまた罪には問われません
その他も含め詳しい説明はあとにします
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この回答へのお礼

またよろしく。

お礼日時:2020/03/08 14:27

私も、人類の歴史に詳しいわけではないですが、ホモ・サピエンスが誕生して


40万年とか30万年とか言われているそうですね。
そしてこれから更に歴史があるわけです、滅ぶにしても。太陽の寿命があるわ
けですから、人類は自滅せずともいずれ滅亡するでしょう。

しかし、その長い歴史の中で、ほんの数十年という短い期間ではありますが、
前の世代と後の世代を繋ぐべく生を受けているのが我々です。

その人間の「生」がどういうことなのか?どう生きるべきなのか?が哲学の主要
テーマではないですか?

>公共の福祉に反しない限り 好きなように生きたら良いのではないでしょうか?

これは哲学の捨離ですね。
不条理がまかり通るのが世の中と思うのならば、少しでも共同体の維持・発展に
努力して生きるというのが、公共の福祉に積極的に関わってゆくということでは
ないでしょうか?

公共の福祉に反しないように、世間の攻撃に遭わないように、好きなことをして
生きてゆくーそりゃあ自由ですがね、私は哲学は捨てないですね、時代のケツも
舐めないですね。

そのほうが絶対幸せだと確信しているからです。
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この回答へのお礼

Thank you

色々同意する点はあるのですが 冒頭の

>そしてこれから更に歴史があるわけです、滅ぶにしても。太陽の寿命があるわ
>けですから、人類は自滅せずともいずれ滅亡するでしょう。

これが最終的には問題に成るでしょう。どうせ結局滅亡するなら 遅かれ早かれ滅亡するんだから・・・

というのは私は違うと思います 太陽から独立してでも我々の存在 人間存在は未来を目指していくのが本当だと思います

100年前は中学出る人が少なかったです。後100年後1000年後10000年後1億年後

世界はどうなってるか分かりません。トランプの作った塀が有名になってるかも知れません

教育もどうなってるのか分かりません今とは全然違っているかも知れません。

私は哲学を捨てる時が来るかも知れません。親の介護に明け暮れるかも知れません。

お礼日時:2020/03/07 22:19

歴史に詳しい必要はないんですよ その反応、人間などの反応が


だいたい分かれば良いと思います。
 ↑
ワタシもそう思います。
専門家になるわけじゃないのですから、
大きな流れが判ればそれでOKです。

第一次大戦が終わって、大正デモクラシーが
出てきた。
何で?
戦争に参加させるなら、政治にも参加させろ、という
意識が強くなったからです。

第二次大戦後、黒人の公民権運動が盛んになった。
戦争で貢献したんだから、という意識が強く
なったからです。

こうした大きな流れを掴んでいればそれで
十分だと思います。




孔子でしたか「明日に道を聞かば 夕べに死すとも可也」と言ったのは。
それでも良いのでしょうねえ。死にたい人は死んでもいいのでしょうか?
  ↑
孔子は、悟れば死んでも悔いは無い、とい意味で
言ったのでしょう。
死にたい、という意味ではありません。




この様に不条理のまかり通る世の中ですから 子供を作って力になりたい人は別として
子も親もなくなるような人は親孝行でもして、済んだら自由にしても良いのではないでしょうか
  ↑
自由にして良いと思います。




悟った人はイエスのように犠牲になっても、ソクラテスのように毒杯を飲んでも
  ↑
イエスなんてのは、2千年前の麻原尊師に
過ぎません。
ソクラテスは無実の罪で死にましたが、
人間は間違える、ということで弟子のプラトンが
真理の探究へと道を進めました。




仙人のように山に消えても、即身仏になろうと、ホームレスになろうと、金儲けに勤しんでも
TVの番をしようと、月月火水木金金と働こうと・・・
 ↑
金儲けが良いです。



公共の福祉に反しない限り 好きなように生きたら良いのではないでしょうか?
と思ってしまいます。どうでしょうか?
 ↑
公共の福祉に反したって、好きなように生きれば
良いと思います。
自分の人生なんですから、人間、皆死ぬのですから。
人工的に作られた公共の福祉なんぞに囚われる必要も
無いでしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

成る程~~ 公共の福祉なんかにとらわれずに生きたいように生きたら良いと

こう仰る訳ですね。自由に金儲けをするのが良いかも知れません

守銭奴にならない程度ですが。 トランプさんは守銭奴か?

戦争に参加したから公民権など生存権をくれというのは悲しいですねえ

人を殺したから自由になった という事もありえますねえ。

イエスが2000年前の麻原尊師ねえ クリスチャンが聞いたら驚くでしょうねえ。

自由なわけですね そして罪と罰はあると。

お礼日時:2020/03/07 19:36

古代の世界は、現代日本と違って人はボロボロ死んだでしょうし、命が軽かったのだと思います。

人類がまだ非力で、生存に意味を見出すことは簡単ではなかったのでしょう。
今日道を聞いたら晩に死んでも良いと言うのはそのままの意味だと私は思います。求道に生きた者がそう思うのは不思議ではありません。

私は、出生も仕事も結婚も子供も知己も、全ては出会いだと思うんですよ。出会いなんだから自分だけでどうこう出来るもんじゃないんです。
出会いの無い人生は虚しいとは思いますが、あったはずの出会いを蔑ろにした自分がいたのも事実かなと思います。何を言い訳しようとも、大事なことを大事にしなかった自分を省みて、至らなかったのだと弁え知るしか無い。だから、大事なことを大事と分かる、ちゃんと至る自分になって、その人生と言う道を歩くしか無い。

この年になって思うんですが、人は、その人に相応しい人生を歩む。凡人が偉人の人生を歩む事はないし、偉人が凡人の人生を歩む事はない。ショボい人はショボい人生を歩む。ちゃんとした人はちゃんとした人生を歩む。
人生は何が起こるかわからないと人は言うが、それは人の持つ自分像が、実際の自分と離れているから出てくる感想なのではないかと思う。自分やら周りの人が、Aさんは善人だから良い人生を歩むと思ってても、実際に悪人ならばその人生は破滅する。自分でも周りからも、Bさんはダメなやつだと思われてても、実際には立派な人格を持ってるならば、彼の道は栄え、不吉な事はない。

人の思いは実際とは違うために、人生ままならないとか、思い通りにいかないとか、不思議だとか、何があるかわからないとか、そんな通念が出来上がる。

実際には人は、なるべくしてなる。幸せになるべくして幸せになり、反対も然り。

自分の人生こんなもんだと思うなら、納得はいくでしょう。自惚れは剥がれ落ちて、驕慢も萎えて、卑屈さも忘れ、自分の実際を悟った時、自分の人生の在り処も判明するんじゃないかな。
その時初めて、自分はどうなりたいのか?も判明すると思います。

追伸
まぁ異論もあると思いますよ。時代とか、戦禍や災害もあるし、人間にはどうしようもないことに巻き込まれるみたいな。
翻って、現代日本は安定してるじゃないですか、比較的。と言う事は、やっぱりちゃんとした人の割合が多いんですよ。
ちゃんとした人が多ければ、悪い時代や災害も難少なく乗り切れると思うんですよね。
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この回答へのお礼

ありがとう

けして良くないことではないですが 考えながら書いてるんですねえ。

それで小説的に成るのではないでしょうか?

私の場合は今現在の考えが在るのでそれに沿って書きますが 反面新しい考えは出てきません

質問する事によって勉強になるのです。なる程なるほどと思う点が多いです。

お礼日時:2020/03/07 19:18

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