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そもそも生きる権利は守らなければなりませんが 死ぬ権利ってあるのかなあ?

死にたい人が死んで悪いのだろうか?

確かに悲しむ人や迷惑を掛ける人はいると思いますが

本人が死にたいのに生きている責任があるのだろうか?

極端に言えば痛くて痛くて仕方ない人が もう我慢できない 死ぬ と言って

死んだとして 彼を責めることが出来るでしょうか?

リュウマチとかも可哀想ですねえ。自殺する人も多いようです。

尊厳死とか 生活保護自殺とか どうなんでしょうねえ?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    世界中に生きたくても生きるお金や食料のない人は何十万人以上居ます

    反面死にたいという人が日本だけでも五万といるのです。

    どうすれば良いのでしょうか?・

      補足日時:2019/09/13 10:17
  • 鬱病の人が死んで良いわけじゃない。

    延命治療の人ですね 後末期がんとか。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/14 14:01

A 回答 (24件中1~10件)

生きるのに疲れているのは、むしろ若者では?


死ぬ権利だとか死にたいとか、死ぬ方法だとか、ひたすら懇願しているのは若者のような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとう

現に自殺が増えてるのは10代の若者ですねえ

居場所がない やらなければならない事が多すぎる。

「20歳の原点」の高野悦子も中学生の時から死を考えている。

10代というのは昔から危険な季節である。

お礼日時:2019/09/12 18:24

誰も責めることはできないと思います。


ただ、現状現実として、死ぬ権利は認められていません。
なので死ぬのに適したシチュエーションが用意できず、死体の処理という大変負担の大きい作業を、誰かに押し付ける(それもたいていの場合無償で、心のケアもなく)ことになってしまいます。
医療が発達しすぎて、普通なら死んでいる人でも痛みを抱えながら生き続けてしまうことの弊害です。
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この回答へのお礼

ありがとう

人間は死にたくても生きなければならない存在なのだろうか?

普通なら死んでる人でも痛みを伴ってでも生かす。

いくら存在主義でも自由はあると思う。

自由はないのか?

お礼日時:2019/09/12 18:31

疲れた?


そんな理由は理由にならん
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この回答へのお礼

疲れた と言ってこの世を去る人は多いです

人間はそんなに嫌でも無理でも生きていなければならないのか?

お礼日時:2019/09/12 18:33

「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」


https://venture-finance.jp/archives/3260


終身雇用に年功序列…日本型雇用はどう変わる?
https://10mtv.jp/pc/column/article.php?column_ar …
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この回答へのお礼

ありがとう

生きるだけのお金を稼げねければ? 福祉のお世話になるか どうするかですねえ。

お礼日時:2019/09/12 18:57

回復の見込みがなく、日常生活を送るのに耐え難い苦痛があり、本人の自主的な意志であることが明確な場合は安楽死を認める制度を持っている国はあります。



哲学的な命題ですから、社会として認めるには、基準と手順をきっちり決め、その社会の成員の合意を得る必要があります。

日本は哲学的命題をきっちりと考えて結論を出し、漏れのない制度を作るのは苦手ですから、難しいでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

哲学的命題としてどうなんですかねえ?

死にたければ死んで良いのか 死にたくても生きなければならないのか

生きたければ生きていいし 万難を排して生きていいと思いますが

死にたい人間の意志をどうするかは課題ですねえ。

お礼日時:2019/09/12 19:03

死にたいと言いながら、


病院で延命治療してれば
単なる愚痴に聞こえますよね。
治療を受けるかは個人の自由で、
誰も強制してませんよね。
また生活保護も強制してません。
自ら申請してますからね。
基本は自己責任で、
社会に迷惑掛けないのが
1番だと思いますよ。
日本は高齢者より、
若者の自殺が世界ワースト
深刻な問題ですからね。
若い方のケアしないと、
国が滅びちゃいますからね。
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この回答へのお礼

延命治療はしない と決めていても生かすように生かすように治療するでしょう

本人は死にたくても周りが死なせてくれない

或いは気持ちは死にたくても 死にたい意志が有っても それ以上に本能が死なせてくれない

という場合もあるでしょう。この問題は大きな問題です。

人間は人口爆発を乗り越えなければならないのです

生きる気持ちのない老人を無理やり生かして 生きていたい若い人を餓死させるかもしれないのです

お礼日時:2019/09/12 20:13

そもそも生きる権利は守らなければなりませんが


死ぬ権利ってあるのかなあ?
 ↑
権利なんてのは、人間が創造した概念ですから
ある、とすることも、無い、とすることも
可能です。
つまり、人間が決めれば良いことです。



死にたい人が死んで悪いのだろうか?
 ↑
悪いです。
1,個人レベル
 そこまで育ったのは、親や社会、国家がお世話
 したからです。
 つまり命はその人だけのものではりません。
 死にたいなら、お世話した人、総ての了解を 
 得る必要があります。
2,社会、国家レベル
 国際生存競争を生き抜くために
 死ぬ権利など認めるのはマイナスです。
 まして、自殺大国日本でそんな権利を認めたら
 希望者が殺到しかねません。
 安易に自殺して後で後悔?なんて人も多いでしょう。



確かに悲しむ人や迷惑を掛ける人はいると思いますが
本人が死にたいのに生きている責任があるのだろうか?
 ↑
昔は、領民は領主の所有物とされていました。
所有物に勝手に死なれては困ります。
それで自殺は犯罪とされていました。
現代では個人的側面が強いですが、それでも
国家的利益を無視することは出来ず、自殺は
犯罪では無いが違法、とされています。




極端に言えば痛くて痛くて仕方ない人が もう我慢できない 死ぬ と言って
死んだとして 彼を責めることが出来るでしょうか?
 ↑
そういう場合には、下級審判例ですが、
安楽死を認めています。




リュウマチとかも可哀想ですねえ。自殺する人も多いようです。
尊厳死とか 生活保護自殺とか どうなんでしょうねえ?
 ↑
死ぬ権利など認めるよりも、そんな気持ちにならない
社会を構築すべきでしょう。
死ぬ権利など認めたら、医学の進歩などが遅れるのでは
ないですか。
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この回答へのお礼

Thank you

生きたいから生きる 死にたいから死ぬ という権利はないのでしょうかねえ。

生きたい人が多いと思います しかし鬱の人とかも死にたい人も多いでしょう

死のうと思えば死ねるのです 死のうと思いながら「死んではいけないのでは」という気持ちで生きています

仰るとおり鬱も治ってくれば「死ななくてよかった」と思う人もいるでしょう

しかし治ってきた時 死ぬ気力が出てきた時に死ぬ人が多いのも実際です

勿論死にたいから死んでいいとは言いません しかし10年間毎日死にたいと思って生きることの辛さが

一体何に成るのでしょうか?

それくらいなら その人の生きるために必要な食料や必要品を 生きたくても生きれない状態にある人に

譲ってあげたら良いのではないでしょうか?

世界中に生きたくても生きるお金や食料のない人は何十万人以上居ます

反面死にたいという人が日本だけでも五万といるのです。

どうすれば良いのでしょうか?・・・・・

お礼日時:2019/09/12 21:37

哲学的には全年齢層に死ぬ権利がある。



社会学的には納税義務年齢(現在の日本では満60歳)に達すると権利が生じる。
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この回答へのお礼

ありがとう

>納税義務年齢(現在の日本では満60歳)

よくわからないのですが 60歳になると権利が生じるということでしょうか?

お礼日時:2019/09/12 21:45

死ぬ権利はあるでしょう。


それを法体系が保証するかどうかは別の話
そのせいで苦しまずに死ぬ権利はいまのところないです
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この回答へのお礼

ありがとう

死ぬ恐怖や苦しみはありますよね。

人によってその大きさは違うでしょうねえ。

それを乗り越えるほど死にたければ死ぬ権利があるということでしょうか。

お礼日時:2019/09/12 21:49

死んだ人に罰は与えられない。

遺族や、未遂に終わった場合でも、自殺企図では、私を殺したという殺人罪のような罪には問われないのだから、権利はあると解釈していい。
皆が駄目だと止めるのは単に人命を失うことが社会への損失となるから。
よく言われるように、人は他者の支えのもとに生きている。みなが投資をして等しく見返りを得るという形で生かされている。その互助システムを自殺という形で勝手に中断していいはずはない。だから自殺は悪だ。身勝手だ。責任感がないという理屈。
この理論は滅茶苦茶です。誰も国家の僕になります喜んでと生まれてこない。勝手に生まれさせられた。命の創造という犯罪に対して慰謝料を請求してもいいくらいの大罪を肩代わりしている身だ。にもかかわらずこの苦痛は誰にも背負わせられない。元々好きで始めたのではないものを、責任なんてない。
第一、楽園でもない世界に、無責任に数十年にも及ぶ苦痛の人生を課せる権利はあるのに、苦痛なく終わらせる権利が認められないのかがおかしい。
考えた結果出たのは、世の人は他人に心など無いと思っていて、ただ外面の、社会を支える一員としての人材としか見ていないから、安易に出産したり自殺を悪害視するのだということ。個人という概念が希薄で、社会全体として互助し機能するのが肝要。その様は全体で一個の生物と言っていい。
どれだけ苦しかろうと、昔から人は意味もなく生存を繋いできた、その流れに従っている考えなしの存在なのだ。幸福追求権とか個人の自由とか何か考えたとしても、その思想は、昔から連綿と続いてきた濁流を脱するとか、断ち切るといった大層な力はなく、束の間に泡のように消えてしまう。
今どうしても社会を脱して生きることは不可能であり、従属するか死ぬかしかない。離脱する自由さえないとしたら、本当に個人は存在せず、無感覚のゾンビが塊になって蠢くおぞましい巨大生物だ。命の終焉を以て初めてこの狂気の傀から自由になれる。それが現実。
この有様に何の意味があるのか、この苦痛に耐えて何になるのか、まともに考え始めたら何も出来なくなる。何も考えずに流されることができる思考停止者だけが社会人としてのみ生きることを許される。
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この回答へのお礼

Thank you

いろんな言葉が出てきますが 確かにそうですねえ。

自分で生まれたくて生まれたわけではなく 親を選んで生まれたわけでも

国を選んで生まれた訳でもないのに 苦痛を伴い色んな教育を受け

大人になってみたら要らない教育が多すぎる。

部活などで運動中は水など飲まないほうが良いと教わってそうして来たら

事実はその逆だった。書く英語を随分教わったがしゃべる英語は教わらなかったので

英語ができない。おとなになっても試されたり騙されたり酷い目に遇って

交通事故の被害者になって ひき逃げされたが相手は逃げ得く こっちが悪いと言われた。

苦しい事はたくさんあった 孤独や厭味 イジメや体罰 肉体労働も苦しかった

そして得たものは?何だろう? 何を得たのだろう? 嫁さん子供なし お金なし 仕事は作業

この人生何だ?

お礼日時:2019/09/12 22:40

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