「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

人間原理って云うのは、創造論が下地になってますか?

あるいは、コラボしたような感じですか?

A 回答 (29件中21~29件)

観測地点は常に原点たりうる。

という事です。

・・・
たとえば天動説も正しい。という事です。
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この回答へのお礼

銀河系の中心から遠く離れた所にいる地球。

中心は、回転軸ですね。

そしてその発見は、観測に依って得たものだけれど、天動説は観測ではなくて鑑賞に依って得たものなんだなぁと、思いました。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/31 08:45

《神のデザイン》という主題をめぐって つたない仮説ですが 投稿します。



人間原理における人間主観をできるだけ透明にして なお人間原理をふくむ
見方にならざるを得なかったものです。


〇 神による人と世界とのデザイン
 
1. 《場》が生まれる。(あるいは 元からある)。時空間として動いて
いる。
2. 場が揺らぎ コトとしてある。
 
3. コトなる場が揺らぎ過ぎて 別の部分的な場が生じた。モノとして分
かれる。
 
4. コトを起こしている場が 元の場とそこから分かれたモノとから成る
ようになった。

 
5. 場も言ってみれば存在であるが のちに人間は そこから分かれてい
るモノのほうに《有るか無いか》の存在を見ようとする。場は 地であり
モノは 図である。

6. 人間は 場についても その知性を当てはめてそのモノとコトから成
る世界を捉える。
 


7. 場がゆらぐ。場が場する。世界が世界する。というとき 初めの場や
世界を 《記憶》と呼ぶ。
 
8. 記憶なる精神が精神するとき そこに《知解》が生じていると見る。
納められた情報が 倉庫から出て顕在化する。
 
9. 記憶と知解との突き合わせをつうじて 《意志》が発出する。知解は 
自分が部分観ではないかとおそれて記憶に相談する。その結果である。
 
10. モノがモノするとき 熱を帯びユラギのほかにさらにエネルギーを
生じさせる。このエネルギーを意志が帯びる。
 
11. 光のタトヘとして言って 《光源》が 記憶である。記憶が記憶す
るとき 《発耀》としての知解が生まれる。記憶と知解とのすり合わせをつ
うじて 《明るさや温かさ》としての意志が現われ出る。
 
11-1. 意志行為には プラスとマイナスとがある。のぞましいものと
のぞましくないものと選択の分かれる自由度が生まれつきそなわっている。
明暖と暗冷との両面が表わされ得る。


 
12. 記憶は 社会形態としては 司法に当たる。知解は 立法である。
意志が 行政にあたる。
 
13. この三つの事項の一体性が 《神のデザイン》である。三位一体
なる神という想定になる神論から解釈したものである。
 
14. 神としての三位一体は 時間を超えているので 《父なる神》と
《子なる神》とその両者から発する《聖霊なる神》とは 絶対の同一であ
る。

14-1. それぞれの個はほかの個と・そして全体とも それぞれひと
しい。時間的な変化はない。


 
15. 人間の精神における《記憶 ‐ 知解 ‐ 意志》なる一体は・そして国
家としての《司法 ‐ 立法 ‐ 行政》の分立=協働も それぞれ時間差をとも
なった一体性である。
 
15-1. 行政のおこなったことが 司法によって《あとから》その合
法性いかんがあらそわれる。

15-2. わが意志行為も あとで記憶に照らして間違っていたと分か
ることがある。
 


16. 人の一生のあいだには 意志ないし行政の行為が記憶ないし司法
の判断とついぞ合致しないままに終わるということさえ あり得る。

16-1. 悪貨が良貨を駆逐し 表現のあやとして言って 巨悪はほろ
びず生き延び得ることがある。
 
17. 《因果応報説》が 現実につねに当てはまるとは言えない。それ
は 時間的な意志行為には――そのままでも・そして あるべき記憶とし
ての秩序とのあいだに――ズレがあり かなしいかな 神の普遍的・不可
変的な一体性は あたかも破られ得る。

17-1.あたかも 相対性が 絶対に対して勝つ(!?)。
 
17-2. 相対世界における或る人の意志行為に 絶対なる神が勝った
とすれば それはその意志行為のあやまちが明らかにされたことを意味す
るが そのような認識と判断は あくまで相対世界における人間の《意志
による知解》としての判定である。それを神にかこつけて表現したに過ぎ
ない。(神が勝ったのかどうかは 分からない)。

17-3. ただし 理論上は 考えてみれば何ごともすべて結着はつい
ている。
 


18. 《plan → do → see 》のサイクルは 《知解→ 意志→ 記憶(秩
序作用)》または《立法→ 行政→ 司法》のそれとして捉えられる。
 
19. これらのことをいにしへの聖書記者は 次のようにタトへにおい
て記した。

▲ (創世記 1:27 ) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわ
ち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
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この回答へのお礼

“コト”に付いて、簡単な説明が欲しいのですが。

お礼日時:2020/03/31 08:31

人間は、宇宙から(生まれた)出来てきたので その宇宙の原理を受け継いでいます



人間の見る現実は人間を作った宇宙から出来ていますから 自ずと整合性が在る訳です。

我々小宇宙は大宇宙から生まれた だから小宇宙は大宇宙に対応している 似ているという訳です。
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この回答へのお礼

大宇宙からうまれた人間は、小宇宙と云えます。

そう思えば、小宇宙である人間は宇宙の原理を、受け継いでいる筈です。

でも、人間原理は人間中心主義的なので、不遜ではないかと思うのです。
大自然に支えられて存在しているのに、それは人間を存在させる為なのだ、などど云うのだから。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/30 23:25

人間原理を どう評価するか? あるいは 評価はしないのか? といった


観点から №5の書き込みを継ぎます。



〇 神は 愛なり。
☆ と言われます。この命題は 人間が神についてそうあって欲しいという
主観(のぞみ)が色濃く入っている。――という論理による批判がくだされ
るものと思います。

なぜなら 人間の主観を禁欲するなら 神は のぞみや願いから自由な内容
の存在であるとなるはずですから。



いま次のように 神とは何かを述べたとすれば 明らかにその[5]の②項
は 主観的願望を採り入れた人間原理によっていると見られると思われます。


〇 神とは 何か? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. 人知を超えたものがある〔と想定せざるを得ない〕。
1-1. 自然を超えたチカラ・経験を超えた場というものが 人間のあた
まをよぎる。

2. これは 《無限 あるいは 絶対性》である。
2-1. 無限とは 経験事象として――円周率の小数点以下のごとく――
限りなくつづくという意味の可能無限ではなく 真無限のことである。それ
は 《二で割っても三で割っても 商は 元のままの無限である》それだ。

3. この・人知を超えた無限なるものを 人間のことばで神と呼んでいる。

4. 言葉が与えられたなら 概念として――もともとは思考の対象である
ことを超えているのだが――思考や想像の対象となる。

5. 神という概念をめぐって 次のように扱われた。

① 神:無限・絶対性・超自然・超経験

② 属性(また価値観)が付与され:真理・至高の善・美;慈愛;全知全能

③ 擬人化:絶対者
④ 物語化:創造主


6. 絶対性なる神が 相対世界とどのような関係にあるか。

(ⅰ) 神は 経験世界を( / と):
 (あ) 覆い包む。
 (い) ミケランジェロの絵のごとく 指先と指先とが触れなんとしてい
    るかのように接している(または 接していない)。 
 (う) ニュートリノのごとく貫いている。
 (え) 無の関係にある。(あるいは 《隠れたる神》としてある)。

(ⅱ) 《自然即神》なる神観は 相対世界〔なる人間の知性〕の買いかぶり
    である。(自然は 無限・絶対性ではない)。

(ⅲ) 善神と悪神との二元論は あり得ない。その善悪は 相対性である。

(ⅳ) 八百万の神々といった多神論は その神々が――経験事象の一つひと
   つであって――言わば神の分身である。自然の事物が 超自然の〔降り
   てくるというその〕依り代と見なされている。

7. かくして 神は――同じひとつの神が取り出されることにしかならない
ゆえ―― 普遍神である。その呼び名は違っても・また《無い神》を立ててい
ても 同じ一つの神におさまる。

7-1. おれの神は普遍神でないと言うなら・あるいはそう言ったとしても 
それは 言わば個別の人間のいだく特殊絶対性(そういう神観)として――な
ぜなら 信教・良心の自由にもとづくことになるゆえ――その人の自分だけの
或る概念としての神である。

8. ・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


☆ [5]の②項をめぐってですが キリスト・イエスが こう言ったとあり
ます。

▲ (ヨハネによる福音 14:6 )  わたしは 道であり 真理であり いのち
である。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/john.html

☆ たぶん人間の価値観の入った・神の属性([5]の②項)を聖書記者は し
るしている。


つまり問題の問題は:

〇 われわれ人間は 人間原理から自由な場にいて その原理による価値観の
付与を つつしまなければならないか。

☆ という問いに帰結するのではないでしょうか。どうなんでしょう?

自然科学は どういう答えを用意してくれていましょうか。価値自由な世界認
識が 最終の真実でありましょうか。
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この回答へのお礼

ここでは、以前から対立が続いている「神」に付いての認識の違いがあるのです。

その違いは、人知を超えた、経験できない、依って非知を以て神とする、と云うブラジュロンヌさんに対して私は、聖人君子等に依って神の精神に触れる事が証明され、それ故にその存在を世に知らしめる事になった、と云うところです。

これを外せば、「人間原理から自由な場にいて その原理による価値観の付与を つつしまなければならない」と同意、となると思います。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/30 23:09

★ 創造説


☆ 特に聖書の『創世記』に描かれた世界の創造における人間の位置づけとし
て 人間原理がしのび込んでいるかと思います。



これまでの歴史において ヒトは 万物の霊長として言わば地球に君臨して来
ているので 歴史の初めにおいてもそのように他の生物をおさめるようにと創
造主によって言われたかたちになっています。



結果としてあるその時の現状から過去のことを捉え判断し 現状に合った或る
物語を編むのが 人間原理だと思います。

さらには初めにそういう目的が置かれていたんだという・人間にとって都合の
よい見方が添えられることになると思われます。

そう成るべくして成ったんだという・世界の解釈――の仕方――でしょうか。



いわゆる形式論理から行けば とんでもない・ただの人間主観にすぎないとな
ると思います。希望的観測として成った仮説だと。
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この回答へのお礼

待ってました、と云いたいところですが、やっとここに着きました。

うん、やっぱり。
そうですよね。
そう思うから、最後の二行は蛇の足、かな?

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/30 22:40

人間が観測者である以上、どんな場合にも人間の視点でしか、物事を捉えることができないという意味では、哲学者ヘーゲルがいっています。

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この回答へのお礼

認識したものを意識する(できる)って云うのは、人間だけの特権ですものね。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/30 22:35

物理学において提唱された「人間原理」について


「人間原理」とは宇宙の構造を人間の存在に求める考えた方です
「人間原理」には「弱い人間原理」と「強い人間原理」の2つがあります
「弱い人間原理」とは
宇宙の構造を考える時、人間という考慮しなければならないという考えた方
「知的生命体が存在し得ないような宇宙は観測され得ない。よって、宇宙は知的生命体が存在するような構造していなければならない。」
物理学において提唱された「人間原理」は自然主義的なアプローチ
であるのに対して「創造論」は超越的な存在による創造よるものとしていることから、「人間原理」と「創造論」は決して相容れる考えた方ではありません
そもそも「人間原理」が提唱されたその理由は
科学(物理学)では「生命現象」が何故発生したのか?その物理的な説明が出来ない
全ての物理現象を偶然とみなした場合「知的生命体」が出現する確率は天文学的に低く、それでは「知的生命体」が出現することはあり得ないとされかねない
等です
よって「生命現象」を物理的に解明しようとするのははたして科学的に正しいことなのか?という疑問が生じました
「人間原理」はまさにその疑問に対する当時の科学(物理学)の答えです
しかしながら「人間原理」は現時点においても「検証不可能な理論」であり「結果論」に過ぎない考えた方です
よって「人間原理」は現代科学(物理学)においても理論的に正しい証明された理論ではありません。あくまで仮説の一つに過ぎないのです。
更に言えば現代の科学者(物理学者等)においては「人間原理」を強く推す科学者はほとんどいないのです。
はっきりしていることは現代科学(物理学等)では「生命現象」が発生したその物理的な理由や「生命体」が進化し「知的生命体」が出現した物理的な理由は判明していないばかりその糸口さえないのです
上記の何故の解明は科学における究極の課題です
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この回答へのお礼

宇宙科学者の哲学精神が編み出した原理、と云ってみたくなりました。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/30 22:31

必ずしも創造論を前提とはしていないです。



パラレルワールド(最近はマルチバースとも言われます)の存在を認めれば、その中で人間が生まれ得る世界のみが自然淘汰により生き残ったと言う解釈が成り立ちます。これであれば神様の存在を必要としません。
もちろんそうではなく、神様がこの世界を設計して決め打ちで作ったんだと言う考え方もできます。

ご参考:パラレルワールド説
http://www.kanazawa-it.ac.jp/rg/rg2009/rg2009.html
http://www.kanazawa-it.ac.jp/rg/rg2009/rep2009/r …
[現代宇宙論の描くパラレルワールド]
佐藤勝彦
明星大学客員教授、東京大学数物連携宇宙研究機構特任教授/宇宙論・宇宙物理学
「宇宙は無限にあり、その無限にある宇宙ごとに物理法則も異なっている。そうすると、無限にあるわけですから、うまくパラメータがあった宇宙では、人間のような知的生命体が生まれるでしょう。しかし、知的生命体が生まれない宇宙は認識されようがないんですね。結論から言えば、存在が認識された宇宙は、認識主体が存在する宇宙ということになるわけです。」

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO19265380W7A …
我々と別の宇宙は本当にある 物理学の最新理論
宇宙論研究者の野村泰紀教授に聞く

「最大のきっかけは宇宙の真空エネルギーの問題だ。真空エネルギーというのは宇宙が最も安定したときのエネルギーで、宇宙の性質を決める重要な値だが、宇宙観測によって計測した値が理論からの予測値より120桁以上も小さかった。あまりに小さいので、物理学者たちは恐らく本当はゼロなのだろうと思って、それを実現する仕組みを懸命に探したが、見つからなかった」
「1987年にノーベル賞受賞者のワインバーグが、まったく異なる解決策を提唱した。まず、真空エネルギーがもし今より数桁大きければ宇宙には星も銀河も生まれず、空っぽだったことを計算で示した。さらに、真空エネルギーが異なる宇宙が膨大にあるとの説を唱えた。膨大な数の宇宙があれば、中には真空エネルギーが理論値より120桁小さい宇宙もあるだろう。そして宇宙を観測し真空エネルギーを突き止める人間が存在し得るのは、そんな宇宙だけなのだ。これを『人間原理』と呼び、この宇宙の真空エネルギーが極めて小さい理由を説明できる」
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この回答へのお礼

ユニバース、と云う言葉は知っているのでマルチバースと云う方が、ピンときます。

こうした理論は、想像するだけでも大変ですが、でもなんとなく宇宙の極限に近づいているような気がします。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/30 22:26

創造神の設計仕組みを、宇宙のなかに見出だそうとする、人の精神的、知的営み全般のことではないでしょうか。

自然哲学、自然神学、自然科学など全般ではないででょうか。ブラジェさん、回答、お願いします。
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この回答へのお礼

人間原理って、wikiで見るとすごい事になってますね。
一読しただけで目が回ってしまったので、ここで質問したほうがいいかなと、思いました。

ブラジュロンヌさんの回答は、なんとなく予測できますよ。

回答を頂いたようなので、見るのが楽しみです。

お礼日時:2020/03/30 21:32

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