一回も披露したことのない豆知識

令和2年に30周年を迎えた長堀鶴見緑地線。最初は(当時の終点)横堤や鶴見緑地からだと梅田も難波も中ふ頭も本町もかなり行きにくく、距離の割に割高になりました。

先に余談をいいますと、当時はノーマイカーデーは毎月20日。ただし令和2年3月20日は祝日のため当時のルールでは800円でした。

平成2年の運賃ですが、
地下鉄の当時の運賃は160/200/230/260/320/350/380だったと思います。(鶴見緑地線開通時)
私鉄(京阪/近鉄)は120/170/230だったと思います。
JRは120/150/160(電車特定区間)

運賃はこの時から少し変わっていますが、鶴見緑地からではなく(マンションの多い)横堤から

1.梅田へは、京橋から環状線で200+160=360円(片道)
2.難波へは、京阪淀屋橋経由で片道480円、環状線鶴橋、鶴橋からは本数の多い近鉄で日本橋まで500円、近鉄難波まで550円
3.本町へは環状線が初乗りで済む森ノ宮経由で480円、大阪経由では510円
4.中ふ頭(インテ大阪)へは森ノ宮から320円として片道640円、往復1280円。仮に一日乗車券でも日曜祝日は800+(京橋~森ノ宮往復)240で1040円

さて本題、長鶴線がとりあえず(京橋のところが)天満橋まで建設されていたら客の流れとかどうなったでしょうか?

また大阪市中心部への延伸は(天神橋)ここで南下(農人橋)(松屋町)以下大正まで同じになっていたでしょうか?

もし、長鶴線が開業時から天満橋が起点だったら便利だったでしょうか??

あと、36系統や46系統のバスも変化はあるでしょうか?
私の予想46系統は廃止で36系統に統一され
大阪駅前から焼野が1時間1本、安田(茨田大宮or門真南)2本ぐらいまで減っている。

近鉄バスに関しては、平成一桁までは1時間あたり3本ぐらい運転されていたかと思う。

それ以外・・・・

横堤などから京阪で京都方面に向かう場合・・・

現在では「宇治伏見1Day」とか「貴船鞍馬1Day」チケットで京橋~淀屋橋を故意に折り返すのも合法ですが、当時はそういうチケットはなかったと思われます。
時期にもよりますが、天満橋からだったらカップルで並んでは難しいですが京橋から乗るよりは座れるチャンスはあります。概ね中書島以上の駅は京橋からでも天満橋からでも淀屋橋からでも運賃は大して変わりません。
私なら今の長鶴線のルートなら、行きに限り横堤→(心斎橋)→淀屋橋→京都方面とします。帰りは京橋で乗り換えますけど。

しかし、長鶴線に天満橋駅があれば、混雑状況にもよりますが天満橋から京阪という選択肢もあります。
まだ中之島線が開通前(工事前)であれば天満橋駅の3・4番線もあり、特に行楽期は京阪電鉄側も(淀行臨時急行でも)天満橋始発を設定してきただろう。

A 回答 (1件)

もし天満橋回りだったとしても、OBPを通る以上、駅は間違いなく府庁寄りの方に作られたのではないでしょうか。

京阪に乗るには谷町線のホームを延々と歩くイメージ。それだったら、京橋での乗り換えの方が便利だと思います。

更に言うと、環状線への乗り換えが京橋だけではむちゃくちや不便です。今でも、環状線の京橋駅から長堀鶴見緑地線の京橋駅まで迷わず歩いて行ける人は少ないでしょう。森の宮経由で正解だったと思いますよ。
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