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かつて姉家督という制度があり後に長男が生まれても
最初に生まれた長女を跡継ぎにし長男は跡継ぎにしない
というのが北関東や東北地方の魚農村では
行われていましたが明治後期から確認出来なくなっているのは明治政府が執行した儒教の家父長制が
影響しているのでしょうか?
昭和初期でも少数ながら最初に生まれた長女が婿養子を
取り家父長制に沿ってこの婿養子が戸主となり
長男には家督を相続させないというのが東北の
農村では存在していましたけどね。
やはり本来日本において男尊女卑はそこまで
強くはなかったようですね。日本が父系社会となったのは
明治からです。

A 回答 (2件)

>明治後期から確認出来なくなっているのは明治政府が執行した儒教の家父長制が影響しているのでしょうか?



その通りですが、明治政府が「家父長制」を取り入れたのは、西洋に習って徴兵制と選挙権を一体の権利としたからです。

西洋は元々「権利を主張できるのは、社会的な義務を果たす者だけ」という考え方があり、だから封建時代は貴族だけが権利があり同時に戦争出兵の義務も貴族だけだったのです。もちろん戦争に行くのは貴族でも男だけなので、男性の権利が女性よりも強く、同時に義務も権利もない農民や奴隷などよりも強かったのです。

これが崩れたのはフランス革命後の市民平等で、市民は権利を得たために義務として徴兵に応じることになり、徴兵されるのは男性だけだったので、女性への権利付与は後回しにされたのです。

このような「権利と義務は一体」という西洋的な考え方が、明治23年に始まった帝国議会の選挙権付与の在り方に影響し、「徴兵は男だけ=選挙権は男だけ」にしたので、女性の権利を制限し男性の家長権を強めるように民法が整理されていったのです。

しかし、日本は元々男女同権だったので、表面的な部分はともかく、西洋女性のように「財産権も相続権も持てない」ということにはなりませんでした。
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東北は千年前まで大和朝廷に服属していない地域で、弥生系とは異なった縄文系文化が色濃く残っていました。


おそらく、父系や母系という概念がなかった社会であったのではないかと推測します。
つまり「姉家督」で固定されていたのではなく、「兄家督」であろうと「姉家督」であろうと将又、「妹家督」「弟家督」などなど様々な形の中から、その時の事情に応じてフレキシブルに家督相続が行われていたのでしょう。

一方の西日本は、天皇家に代表される男系相続という弥生文化が浸透しましたが、西日本も先住していたのは東日本とは全く同じ文化でないとしても縄文人です。縄文文化に弥生文化が上塗りされる形になったとしても、ベースは縄文文化が色濃く残っていたと思われますので、大陸ほど父系文化が固守されてはいなかったと思われます。

姉家督の良い点は、こんな感じでしょうか。
・他家から優れた男性を婿に持ってこれる。
・嫁と姑の家庭内の主導権争いがないか、緩和されるので、家庭内が円満になりやすい。

日本を代表するファミリー漫画に「サザエさん」がありますが、サザエさんの家もマスオさんが婿養子ですから姉家督でしょうか。ちなみに作者の長谷川町子さんの生まれは佐賀県で子供時代は九州で暮らしています。西日本だってガチガチの男系文化ではなかった証拠の一つかもしれません。

形の上では、仰るように家父長制になったのは明治時代からかもしれませんが、実質的にはどうなのでしょう。江戸時代の武家にしても他家から養子を貰って相続させるようなことは大名クラスでもよくやっていることです。
日本は、大企業のオーナー資産家が、ファミリー以外から優秀な人材を事業の後継者に持ってくることが当たり前のように行われている国です。お隣の韓国の財閥では、グループ企業の幹部が直系のファミリーでほぼ独占され、後継者問題も一族内の争いでしかないことを考えれば、日本が儒教に毒されていないことは明らかであるように思えます。

形式的にはともかく、内実としては、天皇家以外の日本は、それほど男系の意識は強くないと感じます。
天皇家の男系固守は、天皇のポジションを護るためには必要と理解しているつもりですが、とはいえ、それが日本における男系重視の思想に影響を与えていることも間違いなさそうです。
天皇制に於いて、もしも、女系天皇も認める方向に進むとすれば、父系の家督相続に精神的な負担を感じている人々にとっては、その重しから解放されることになるのかもしれません。
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